高知-9. 物部川(その6) 平成29年3月11日(土)晴
朝早いバスに乗るので昨夜作ってもらった弁当を6時前に食べる。3食分は有るぎゅうぎゅう詰めの山盛り飯を何とか半分弱食べて歩く準備をする。薄いせんべい蒲団一枚で足腰が痛く夜中に目覚める。ベッドでの睡眠が長い者には辛い蒲団である。
7時10分過ぎに朝一番の大栃から別府行きバスの折返し便を待っていると下から上って来たバスが停まる。昨日のドライバー氏が「そこで待っていると寒いだろうから乗っては?」と声を掛けてくれる。南国高知といえども山奥の標高500mの朝は寒いのでお言葉に甘えて乗車。直ぐの別府の広場で折り返し便となり、いつもと違う人間が乗っているのにビックリした表情のおばさんを乗せて直ぐに折返して国道を下る。
昨日の折返し点の川口から下流部はそれまでの川近くの道から一転、国道と川面の高さはどんどん広がり、特に川口からは坂道がきついので1区間の歩きをズルして次の岡の内バス停で降りることにする。降りようとするとジャージー姿の中学生3名が乗り込んで来た。鞄を持っていないのでクラブ活動に出かけるのだろう。バスを降りて西に向かうとまだまだ登り坂が続く。これじゃー逆遡行にならねーじゃんか。国道から60mほど下に二つ目の堰で水を取られた水の無い川が遥か下に見える。
今日最初の橋を見るため新道の須賀井トンネルの川側の旧道に入る。旧道の上には周囲の杉から落ちた杉葉が積もっている。上流側から車が入らないのだろう。数軒の家らしき建物の軒先を進むと遥か下に人一人が通れる狭い吊橋が川面近くに架かっている。あそこまで往復するのは不可能なので上から見るだけでパスする。橋は桁下から調査するものであるが、上空から見るとはトホホ。
国道に戻り進み奈路地区に来ると国道脇に大きな製茶工場が建っている。はてなここまで茶畑は無かったがと後ろを振り返ると、南向きの山腹の斜面に茶畑が有る。地形図を見ると茶畑の印は何処にも無いが小さな茶畑が条件の良い南斜面に点在しているのだろう。
小浜地区に入り二つ目の橋も谷底に架けられているが、こちらは最近架け替えられたのか亜鉛メッキの吊橋である。ここも例の如くパス。
トンネルの無い山腹の国道を進むと対岸の山の斜面が大きく崩落している。川に土砂が堆積されているように見えないので急斜面の薄い表土が流れたのであろう。道端には今が旬の菜の花が鮮やかな色取りで春を感じさせてくれる。小さな支流や沢からの水が集まり細い川になった谷底には真っ白な砂利が陽に輝いている。次の小さな吊橋は地形図に記載されていない。ここも当然パスでしょう。
やがて小規模な河岸段丘も現れ、狭い平地に田畑も現れる。谷底まで80mほどの高低差が続く。南側の対岸の地名に「影」、「かげむね」、「影仙頭」、「影山崎」などが連なる。阿波でよく見かけた影がここにも有るぞ。陽の当たる北岸の人は対岸の日の当たらない地域を上からの目線で見ていたのだろうか?谷底の古い狭い吊橋を見下しながら進むと渓谷を一気に越える長径間のアーチ橋が現れる。橋際には大きな完成記念の石碑と対岸を見つめるお地蔵さんが目立つ。この橋の完成で谷底の狭い吊橋の役目は終わってしまったようだ。
永瀬ダム湖の水面が始まる。最後のトンネルを越え進むとバス停名が「塩」なる集落を通過する。
自然現象のサインが出だして歩くがあいにくトイレは大栃まで無い。脂汗を流しながら内股でいそいそと進む。川と国道は大きく南に湾曲し大栃が遠い。湖面との高低差を一気に短縮する坂道を気分はホイホイ、足はイソイソと下る。爆発寸前に湖面を見下ろす駐車場とトイレが現れる。地獄に仏とはこういう時だ。遡行で一番つらいのはトイレが無い地域を歩く時である。すっきりとした所で歩きを再開する。
国道は短いトンネルで湖面に突き出た丘を越えるが旧道は湖面沿いに屈曲している。安心して歩けるので旧道に入る。直ぐに大栃の入口の交差点に着く。交差点の角地にレストランが有るのでコーヒーを飲み休憩を取る。帰りのバス時刻を考慮した時間調整である。
20分ほど休み物部川最後の国道の大栃橋を見る。現橋は狭い2車線の3径間トラスで、トラスの外側の下流側に歩道を追加した橋である。昭和30年完成の大型車同士のすれ違いが困難な幅である。橋の直ぐ横に新橋を建設する工事が始まっている。完成予想図を見るとアーチ橋である。スパンは約180mと想定する。200mの長大橋倶楽部には入れないが完成が待たれる。
先日見残した舞川の残りの橋を見るため国道を南に進む。大栃橋を渡り終えると直ぐの湖岸側に風変わりなアーチ状の建物が連なる。二輪車用の宿泊施設のようで、砕石などをサイズ別に保管するコルゲートパイプを利用している。
地獄の坂道が始まる。大比トンネルを越えると沢に架かる「大比橋」の親柱は名産の柚子である。切断面をこちらに向けており種までリアルに表現しているが、皮の凹凸は出ていないなー。
地形図に記載されていない新しいランガーアーチ橋に来ると橋名がどこにも無い。無塗装の愛想のない姿に名無しの権平である。
橋際の「東高尾」バス停で5分ほど待つとJR四国バスがやって来て乗車。1泊2日の逆遡行を終える。帰りの南風はガラガラで土佐山田を出発したが、阿波池田、琴平、善通寺、丸亀と停車し、こまめに乗客が乗り満席となる。特急とは本来「特別急行」を略した名前であるが、JR四国の特急は停車駅が多く有り、かつての準急を特急に格上げした物なので「特別準急」の特準としておく。瀬戸大橋完成で中讃、西讃地域の瀬戸大橋線利用の連絡船時代との時間便益、運賃便益は格段に大きく、岡山までの550円(丸亀)、1180円(多度津、琴平)の自由席特急料金を高くは感じないのであろう。瀬戸大橋下の備讃北航路を長距離大型フェリーが航行していたのでカシャ。
本日の歩行距離:11.2km。調査した橋の数:11。
総歩行距離:9,401.4km。総調査橋数:11,364。
使用した1/25,000地形図:「大栃」(高知2号-2)、「奈路」(高知2号-4)