徳島-1.吉野川(その6)平成24年5月8日(火)晴れ一時曇り
朝6時前にビジネスホテルをアウトして池田駅に向かう。途中のコンビニでパンとおにぎりを買い求め丘を下る。駅の待合室でパンを食し6時43分発の多度津行きに乗りこみ、49分直ぐの佃駅の狭いホームに降り立つ。何度も通過してきたが降り立ったのは初めて。ここから真っ直ぐ進むのは徳島線、左に別れ吉野川の橋を目指すのは土讃線とここが分かれ目の駅で、徳島線の次の駅が辻と漢字一字の駅名が続く。駅名からまた広島商業出身の甲子園優勝投手の佃さんを想い出す。
畑の間の狭い道を歩き河原に降りる。古い土讃線のトラス橋と新しい大規模な連続箱桁の徳島道が並行し、橋の歴史の変遷が良く分かる。
佃駅に戻り国道192号の狭い歩道を暫し歩く。真っ赤な三好大橋が近づき、高速道路が無い時代に何度もこの橋を渡り高知方面に行ったことが最近のように思われる。
橋を渡り北岸の新しい国道32号の広い歩道を進み、32号の新しい四国中央橋を診るため河原に降りる。橋は今流行りの耐候性鋼材を使用した無塗装橋で、こげ茶色の無機質な表情をしている。今度は北岸の県道を進むが山が迫り、あちこちで防災工事が行われている。対岸の池田の市街地は丘の上に広がり、甲子園で優勝し一躍有名になった池田高校も見える。ここの蔦監督とは、何時どの線かは覚えていないが列車の座席で隣り合わせになり、長時間お話をしたことが有る。真っ黒に日焼けした固太りの短躯の体で、本来の授業と毎日夜までの練習にと大変過酷な生活をしておられた。これだから生徒も付いてくるのであろう。しかし今の球児は団体の時はもっともらしい姿をしているが、数名の個人になると反社会的な行動を暫ししてくれる。早朝の列車に乗っているのは大概が野球部員で、大きな汚れたバッグを座席に乗せたり、ドア近くに置き通行の邪魔をしてくれる。野球以前の徳育をしっかりと教えてほしいが、監督自身にこれが足りない。
池田ダムの手前で、河川管理者が徳島河川道路事務所から吉野川ダム総合管理事務所に変わる。
9基のゲートが並ぶ池田ダムが現れる。ここで貯め水位を上げた水を、吉野川北岸地域の用水と香川県の生命線である香川用水に供給している。香川県民はここと水源にある早明浦ダムに足を向けて寝てはなりませんぞ。吉野川は本来徳島、高知、愛媛と3県に跨る川で有ったが、香川用水の完成で四国4県を流域とする大河になった。わずか高さ24mのダムではあるが、ここで貯められる水は12百万リュウベもあり、その湖の名前は「吉野川へそっ湖」と言う。池田地区は四国のヘソと謂われ、先日の西脇の日本のヘソとヘソが続く。四国の東西の交通路が交差することから謂われているが、近年四国縦断と横断道が交差する愛媛県の川之江が伊予三島と一緒になり「四国中央市」を名乗るようになった。
長らく東西方向に流れていた川がここで90度変針し南北方向に変わる。これからは広大な四国山地に入り深い渓谷を作っている。県道から人だけが通れる長い吊橋に降りると、床がグレーチングで川面が良く見える。頑丈な吊橋でゆすっても揺れない。対岸の丘の上には昨夜泊まったビジネスホテルが見える。今やこの橋を渡る人は数少ないようで、昨夜も今朝もだれも渡ってはいなかった。
直ぐに香川用水の取水口が現れ、ここから阿讃山脈を長いトンネルで潜り、吉野川の水を讃岐に送っている。上流には湖の名前を取った徳島道のヘソっ湖大橋が空高く横断している。
完全に南方向に変わり、徳島道を潜ると今度は32号線の池田大橋が迎えてくれる。この橋の左岸(西側)は32号と192号が分かれる所で。立体交差のミニインター形式になっている。高速道路の無い時代の四国では珍しい分岐部であった。
32号を少し歩くと今度は三好橋が現れる。この橋が完成した昭和2年当時は東洋一の吊橋と謳われていたが、寄る歳に勝てずケーブルが降参したのでケーブルを外し、トラス桁は健在であったのでこれを生かし、桁の下にアーチの下駄を履かせて平成1年に再生された。下駄を履かせるだけの桁下高さが有ったのが幸いしたようだ。徳島県は古い橋の有効活用がお上手である。
国道歩きは気が滅入るのでこの橋を渡り右岸側の狭い県道を歩くことにする。こちら側は民家が県道沿いに続き、大きな樹に囲まれた神社も絵になる風景である。
やがて土讃線の第一吉野川橋梁が見事な構造美を見せてくれる。写真鉄ちゃんが随喜の涙を流しそうな景色の中を特急が通過して行く、カシャ。
やがて両岸とも急傾斜の山が迫り、家を建てられるスペースは無く、本流に注ぐ小さな支流は滝となっている。いよいよ山脈の横断に入るようだ。
地形に忠実にクネクネと曲がる県道を歩き、予定地点の大きな支流である「祖谷川」の合流点に達する。秘境で有名な祖谷谷を流れてくる川で、合流点の上に架かる祖谷口橋を渡り再度国道32号に戻る。少し下流に戻り「祖谷口」駅に列車到着の10分前に滑り込む。
阿波池田から先は超閑散線となり、日中の上り普通列車は3時間に1本となる。12時50分発の池田行きの列車に合わせて今回の遡行の計画を練った。やって来た単行は乗客が3名と、これではこの頻度もやむなしで、池田から岡山行きの特急に乗り、シャバに帰った。
今日の歩行距離:20.8km。調査した橋の数:12。
累計歩行距離:1,601.1km。累計調査橋数:2,148。
使用した1/25,000地形図:「阿波池田」(岡山及丸亀4号-4)、「阿波川口」(高知1号-3)