駅裏の2号線を東に向かい前回の折り返し点に向かい、右岸の堤防の上の道を歩く。遊歩道の際に珍しい石碑を見つけ近寄ると、「全国川サミットin揖保川」とあり、裏側を見ると参加17自治体名が列挙されていた。川の名前が市町村名になっている自治体の集まりで、平成の大合併でここ揖保川町や岡山県の加茂川町のように消滅した自治体もある。
1級河川らしい広い河川敷が広がり、久しぶりに河川敷内の遊歩道を歩くが、堤防の斜面には空き缶、ペットボトル、ビニール袋が散乱し、こんなにごみが散らばる河川敷と土手が一級河川とは・・・。龍野市街の手前にかつて運行されていた渡し場の写真と説明板があり、背後の山と景色が変わらないのに驚く。更に進む市街地の入口で、川向こうの龍野を遠望する。正面の鶏龍山の麓に龍野城があった。
河川敷の遊歩道が途切れ土手の上の県道を歩くと、狭い道を速度を落とさず車が擦れ違う。旧龍野市に入り、早速マンホールを見つけカシャ。龍野出身の三木露風作詞の童謡「赤とんぼ」が羽を連ねたデザインで、歌をモチーフにした絵柄は珍しい。
市街地に入ると直ぐに目につく煙突に誘われ横町に入ると。杉板に覆われた醸造所が迎えてくれた。龍野は播磨の小京都と言われる古い町並みの残る旧龍野藩5万3千石の城下町である。全国鉄道乗りつぶしでは通過しただけで街中を歩いていなかったので、今日は寄り道をして街中を歩くことにする。
一旦川に戻ると、駐車場の傍らに「畳堤」の説明板があり、家々からの視線の妨げにならないよう、堤防を高くせずに畳を枠の中に入れる堤防が造られたとある。今では道路の防護柵の役割も担っているようである。もっともコンクリート製のこの枠にぶつかれば車は大破するが・・。川の対岸には龍野名産の醤油の大御所「ヒガシマル醤油」の本社工場が長く川沿いに延びている。さすが大メーカーの工場である。素麺も名物で、醤油とセットになっているようで、小豆島も両者が名産地である。
再び街中に入ると周りの民家に溶け込んだ信用金庫の建物がなんとも言えない味を出している。古い町並みの散策が楽しみでる。
日曜日にもかかわらず観光客のいない街並みをゆっくりと歩いていると街角に城下町の解説と絵地図が載った案内板がある。当初は町背後の鶏龍山に築かれた城が江戸時代の平和な時代には麓に移ったとのことで、防御が目的の城も支配者のシンボル、行政の場所として便利な平地に降りて来たのだろう。
細く微妙に曲がりくねった道を城跡の方に向かうと、見事な枝ぶりの枝垂れ桜がある料亭のように見える民家がある。軽く焼いた杉板の外壁が落ち着いた雰囲気を感じさせてくれる。
ここが街の中心のような白壁造りの立派な龍野小学校の周りには武家屋敷館、三木露風らの文学者を記念した「霞城館」、裁判所、検察庁などがあり、何れも街並みに合った姿をしており好ましい。小学校の体育館、水泳場も白壁造りで統一されている。元ヒガシマル醤油本社であった洋館はうすくち醤油資料館として使用されている。北側には城の白壁と櫓があり、東側には城の入口もある。
川に戻りかけると白壁に囲まれた大きな木造の醤油醸造所が角に建っている。カネヰ醤油工場で、道の角には醤油の自動販売機が設置されている。観光客目当てのお土産を期待しているのだろう。
川に戻り遡行を再開する。右岸の国道179号から狭い市道を歩くと、直ぐ近くの国道を走らずに信号の無い土手の上の道を猛烈な速度で車が通り過ぎる。やがて右前方に「觜崎の屏風岩」と称される灰緑色の岩が露頭する岩山が目につく。県道橋を過ぎた所で丁度列車が屏風岩の前の橋を渡ってきたのでカシャ。
旧新宮町に入ると対岸の国民宿舎と東山公園に渡る吊橋がある。人道橋で床は下の見える風通しの良いグレーチング床板である。風に弱い吊橋には最適の床構造であるが、怖くて渡れない人もいるだろう。この橋を今日の打ち止めとして、西方向の播磨新宮駅に向かう。
姫新線播磨新宮駅は橋上駅舎に建て替えられ、姫路までは30分ヘッドで新型気動車が走っている。JR西日本の非電化地方交通線の一般車は、山陰本線と姫新線(姫路口)には新型気動車が配属されているが、岡山、広島、山口ではレールバスを除けば依然旧型車の天下で、時代から取り残されている。駅のベンチで遅い昼を取り、初乗車のキハ127系に乗り姫路に向かう。
高架化された姫路駅の播但線、姫新線ホームは1本の特殊な形態のホームに4つの番線がある。岡山駅の瀬戸大橋線のホームも1本のホームに4つの番線があるが、少し形態が異なる。どうすれば一つのホームで4つの番線が造れるか考えてみよう。
今日の歩行距離:13.5km。調査した橋の数:11。
累計歩行距離:895.0km。累計調査橋数:1,315。
使用した1/25,000地形図:「網干」(姫路8号-3)、「龍野」(姫路7号-4)