愛媛9-1.石手川(その2) 平成25年2月14日(木)快晴
6室しかないミニホテルの朝食を食べ7時半にチェックアウトし、西の方の温泉駅に向かう。駅の引き込み線には坊っちゃん機関車のレプリカである市内線用の列車が始業点検中である。姿は汽車であるが、街中を煙を吐いて走る訳にはいかないのでディーゼル機関で走行する。乗車するには通常料金よりも150円高い300円を取られるぞな。
広場の中にポツンと佇む駅舎は明治時代風の2階建てで西側に市内線が、東側と北側にバス停がある。歩道部分とバスが通る部分との差が無く、なんとなく日本離れした風景である。市内線には旧型車に交じり新しい低床車も軽やかに走っている。伊予鉄カラーのオレンジ色は車体の下側に入っている。西日本には広電を始めここ松山、長崎、熊本、鹿児島そして岡山と路面電車が活躍している。広島市を別格として何れも人口30万人から70万人の都市である。
道後から南に向かい湯渡橋から反遡行を開始する。橋の親柱には松山のもう一つの名所である松山城がレリーフで描かれている。水道の取水場で水を全て吸い取られた川は砂漠のワジの如く水は全く無い。川の高水敷には園地、公園、遊具が連なり、市街地を流れる川らしい施設が続くが肝心の水が無い!オレンジ色の同じタイプの公衆トイレが数百メートル置きに設けられ、これだけの密度のトイレは凄い。松山市民は環境抜群の中に住んでいる。これで水が流れていたら満点シティである。
伊予鉄横河原線が川を渡る所に「石手川公園駅」が有り、狭いホームは下路トラスの橋の上にある。こりゃ阪神のミニ武庫川駅ヤー。線路の直ぐ脇の狭い通路を対岸に渡り線路を越えるとやがて元京王線の女王がやって来る。塗色の組み合わせは変わったが前頭部の特徴ある形状とその姿は昔のままである。
暫く左岸側の遊歩道を歩いて行くと、木の梢の先端部だけに丸く葉が繁った鳥の巣が沢山有るように見える樹が現れる。こりゃなんじゃ!帰宅して調べると「ヤドリギ」と言う木のようである。鳥がそっくりそのまま巣に使用できるので宿り木と名付けたのだろうか?
左岸側をそのまま歩いて行くと左側から川(小野川)が接近しやがて合流する地点で行き止まりとなる。仕方なく水の無い枯れ川を用心しながら右岸側に渡る。
JR予讃線の鉄橋は河川拡幅のために新しい橋が先行して完成している。水の無い川の拡幅とは不思議な感じがする。遠くから目立っていた最後の橋が近づく。本流と石手川との間の広大な松山中央公園に向かう橋で、コンクリート斜張橋が無風快晴の青空に建っている。
橋を渡りUターンし公園内を歩くことにする。広い敷地には二つの野球場、水泳場、武道館、テニス場、グランドなどが広がり、西には競輪場、ごみ焼却場が続き、本流に合流している。
二つの野球場のメインは坊ちゃん球場、サブはマドンナ球場と称し、今日から1週間ほどはノンプロの東芝が両球場をキャンプで使用し、次の週は韓国のプロチームがキャンプを予定しているのが、入口の使用予定表で分かる。ノンプロでもなんとも豪勢なチームである。温泉と二つの球場が使用できるのが決め手のようだ。
坊ちゃん球場と目と鼻の先に在る市坪駅発の列車まで30分以上有るので、球場内の野球博物館に入る。右側はアマチュア野球の県の殿堂で、高校野球の甲子園で優勝したチームの紹介と優勝旗などの記念品が展示されている。左側はプロ野球関係で、県出身の古今の数多の選手が紹介されている。かつて愛媛は香川と並んで野球王国を誇っていた。
列車の時間が迫り駅に向かう。球場から駅までこんなに近いのは他には無い。駅のホームの駅名標には野球少年であった正岡子規の写真と、子規の名前が昇で本人がシャレで野ボール(球)と称していたと紹介している。俳句の天才は頭も柔らかだったようだ。
松山行き各停に乗り、松山で一旦下車し緑の窓口で「岡山4枚回数券」を購入する。先日の帰りに駅で見かけたPRで知り、帰りはこの回数券を利用する。1枚当たりなんと3,300円ぞなもし!正規では6,120円ですぞ。ほぼ半額なので同じアホなら使わなそんそんである。直ぐに特急が発車するので急いで乗り込み帰路につく。暫く松山詣でが続きそうである。
本日の歩行距離:8.4km。調査した橋の数:15。
総歩行距離:5,595.3km。総調査橋数:9,043。
使用した1/25,000地形図:「松山北部」(松山1号-4)、「松山南部」(松山2号-3)、「郡中」(松山6号-1)