広島-5. 太田川(その3) 平成23年9月25日(日)快晴

庭瀬から3時間40分かけて可部駅に到着。同年輩の30名程度のハイキンググループの一団も賑やかに下車し、駅のトイレに並んでいる。今日も快晴で絶好の遡行日和で、日帰りが困難な距離になったので1泊2日の遡行を開始する。
駅前の国道を横断すると工場の隙間に枝ぶりの見事な松の木がある。「千代の松」とその名前と場所に似つかわしくない姿を留めたく写真に収める。

image1  01.盆栽のような千代の松
左岸の県道に向かうと廃止された可部線を横断する。河戸駅跡と未だ線路が7年経っても残っている。別れた女房に未練があるように見えてくる。
image2  02.名残の線路がそのまま
太田川は下流から中流となり、山峡の風情に変わってくる。この川はカタカナの「ク」の字の二つの斜め線の長さを入れ替えたような形をしており、可部で大きく方向を変える。今回の遡行の折り返し点の加計は二番目の角にあたる。
image3 03.可部から川は山峡に
川面から5、6mほどの高さの県道脇の古い建物の壁に、過去の洪水の記録が数値と年月日が実際の高さの所に記載されている。道路から見上げる高さの記録を見ると洪水のすさまじさが実感できる。洪水調節のダムの完成と河川整備のお蔭で近年は洪水も無いようである。可部まであったキロポストもいつの間にか無くなっている。
 image4 04.洪水の跡が建物に記録
中流部で川は大きく蛇行を繰り返し、ヘアピンカーブの連続である。吊橋が似合う谷間は狭く、岡山の三大河川よりも谷間は狭い。源流部から近くの海まで40kmほどであるが、100キロ以上もかけて海にたどり着く。この迂回した川に沿って建設された可部線は時間がかかり、山と川を分断して造られた高速道路等の時間短縮のお蔭で廃線となった。
中流部は橋の間隔が長く、5km以上も橋の無い区間もある。川の両側に県道があるが、先ずは右岸側を歩き、壬辰橋から左岸側を歩く。長沢橋で面白い標識?を見つけた。「通行止め」標識そっくりであるが、下側に「にしたい」とある。直ぐ近くに長沢大橋があるのでそちらを通ってほしいのであろう。

image5  05.吊橋が景色に溶け合っている

image6 06.「通行止めにしたい」住民の気持ちが・・
県道と並行している可部線の線路は取っ払われている。運び出しやすい区間は撤去しているようで、既に草木が生え廃線跡と分かるのも後わずかである。
太田川は可部から始まり数多くの発電所がある。ここ「間野平発電所」も太い水圧鉄管が山の上から発電所まで伸びている。大都市近くに多くの水力発電所がある川は珍しい。

image7 07.ここには線路が無い

image8 08.間野平発電所
二つ目の吊橋(宇賀大橋)はコンクリート主塔で、幅の狭い橋であるが完成したころはまさに大橋であっただろう。
そろそろ予定している広島発三段峡行きのバスが来るころなので、追崎橋を今日の打ち止め.点とし、橋下のバス停に向かう。橋の背後の山の稜線がナイフの刃のように切り立っている。今日は近くに宿が無いので、上流の加計までバスに乗り、支流の滝山川のダム湖畔のホテルに泊まることにした。温泉と竜姫湖と温井ダムが売りの温井スプリングスをはりこんだ。明日は加計から川を下り、この追崎橋まで歩く予定である。久しぶりに20km以上の歩きとなった。

image9  09.ここにも吊橋が

image10 10.刃のような山の稜線と追崎橋

 今日の歩行距離:20.2km。調査した橋の数:13。
累計歩行距離:478.4km。累計調査橋数:686。
使用した1/25,000地形図:「中深川」(広島6号-3)、「可部」(広島5号-4)、「飯室」(広島9号-2)