愛媛-15.面河川(その3)平成26年9月28日(日)晴
泊まった国民宿舎にはテレビが無く、大相撲の逸ノ城と白鵬の一番を見るべく宿に入ったが叶わず、ラジオも入らずこれでは山小屋泊まりと同じである。早々に朝飯を済まし宿を出る。宿舎から渓谷の上流に向かっては面河渓谷の絶景を愛でる散策路が有るが、当方は目的が違うので宿からの橋を最上流部の橋として川を下ることにする。勿体ないと言う声も聞こえてくるが時間が無い。宿の横は河原が広がり五色河原と名付けられ、まさに色とりどりの様相を呈している。
昨日歩いて来た道を下流に向かう。大きなブナや栃の樹が道沿いに聳え、昼なお暗い道である。川側のコンクリート製の手摺には1cm以上の厚さで苔が盛り上がって生えている。陽が常に当たらないせいであろう。左岸側から右岸側に渡ると覆工の無い岩がむき出しのトンネルが連続する。トンネルは曲がっているので奥が見えず、いささか尻込みしたくなるような姿である。
1kmほどの下り道で面河渓の絶景を堪能する。これまで歩いて来た渓谷には無い別格の味が有る。
昨日バスを降りた面河バス停の直ぐ下流のスカイライン入口にやって来る。スカイラインと石鎚山系、面河川などが描かれた正確な地図が有ったのでカシャ。スカイラインの入口にかつての有料道路時代の料金所の建物がそのまま残っている。今日は快晴の日曜日で多くのライダーが徒党を組んで上がってくる。スカイラインはライダーにとって最高の道路なのであろう。
スカイラインが川を渡る関門橋から下を見れば、あの青い石が列をなしている。この辺りから下流が青石地帯のようである。県道12号を南に向かうと大きな鳥居が建っている。山岳信仰の山、石鎚神社の鳥居で、山の標高1,982mに合わせて1982年に建立された鳥居で、柱に大きな字で書かれている。関西方面から山に登るにはこのスカイライン経由は遠回りになり、一般的には西条からバスとロープウエイを乗り継ぎ向かう。当方も20年以上も前に登山した山である。石鎚山と八ヶ岳の赤岳は忘れがたい山姿をしている。
歩道の無い2車線の県道12号を下っていくが、下からは二輪車が次々と爆音を響かせ、80km以上の速度で傍らを通過して行く。スクータータイプと一人だけのライダーは速度もほどほどで通過して行くが、数台の団体は先頭のライダーが格好を付けて速度を落とさずにカーブを高速で通過していくので危なくて仕方がない。
県道と川とは20mほどの高低差があり、橋に来るたびに谷底に降り、登りを繰り返す。対岸から支流が合流する地点の際にある吊橋の名は落合橋!ここにもあるよ。
若山地区を深いV字谷を形成して川は流れている。山側に長い階段が現れ、階段の麓には「面河村立若山小学校跡」なる石碑も立っている。谷間は平地が無いので一段高い位置に学校が建てられたのだ。この学校の卒業生にとっては「心旅」の大切な心に残る風景なっているのだろう。
道路が大きく回り込むと右側に大広間の広まる拝殿が現れ、更に進むと鳥居も現れる。大広間は神楽や歌舞伎、演芸、談合などに大所帯が集まれる広さがある。
あい変わらず二輪車が上がってくる。南から南南西方向に道は少しずつ方向を変え下って行く。やがて一見道の駅に見える「おもご、ふるさとの駅」なる施設が広がる。面河が読めない人の為おもごと書いてある。道の駅は、トイレ、休憩所、案内所、食事処、物産販売所が備わり、道路局長の許可が必要なので、一部が欠けると他のネーミングとなる。特段の物が無いので早々に立ち去る。
相の木地区から中組地区に来ると県道は西向きとなる。道路脇の大きな建物が目立ち、中を覗いて見ると先ほどから県道の至る所に置かれていた木彫りの梟が数多く置かれている。梟だけを制作している工房のようである。よくも飽きませんなー。
広くなった谷間を進むと二本の石が立つ神社の入口にやって来た。何気なく石柱を見ると、なんとあの大河ドラマにもなった秋山好古の自筆の字が残っている。郷土の有名人、秋山兄弟の陸軍の兄である。馬は上手く乗りこなしたようだが字はいまいちである。
やがて北側から国道494号と大きな支流である割石川が現れる。ここから暫くは国道と県道の重複区間である。旧面河村の役場はこの川を少し遡った所にある。
交差点を過ぎて後ろを見ると見過ごした橋が有ったので元に戻って橋に向かう。川口橋から両方の川面を見ると鮮やかな色を見せてくれる。
この先の下流側にも橋が有るのを交差点から見えたので、廃校になった小学校の敷地の縁をぐるりと進み件の橋にやって来ると、廃校に伴い橋はお役御免の通行禁止となっている。20分ほど無駄になったが来た道を戻り再び交差点から国道を西に向かう。
再度川と道との高度差は大きくなり、渓谷が狭まった所では迫り出した歩道の真下30mほどに水面が見える。火野正平なら「怖いよー」と言う高さである。
やがて予定していたバスの時刻が迫ってきたのでギアをトップに入れて最後の橋のある菅行野のバス停に急ぐ。これまでずーっと右岸側を通ってきた道が左岸側に移動した所の橋を診てバス停に来ると丁度久万行きの伊予鉄南予バスがやって来て乗車。下り方向は3本のバスがあり、その内の1本にカスカス間に合う。この20分後に岩屋寺経由の久万行きが有るので、昨日見ることが出来なかった仕七川(しながわ)橋を見残すのは悔いが残るので、20分後のバスがやって来るまでの時間を利用して一旦仕七川バス停で下車し、橋を調べて再度バスに乗ることを昨夜考えた。3本しかないバスが20分後にやって来るとはどういうことだ!
仕七川バス停で下車し橋を調べてバスを待つ。ここまでは橋の無い区間で、ここから下流側は昨日歩いた区間である。これで仁淀川(面河川)遡行は変則的な歩きであったが完了である。ベンチで一息入れているとバスがやって来て乗車。バスは次の直瀬川の合流点で面河川から別れ県道12号を北に向かう。途中には45番札所の岩屋寺と峠を越えた久万の44番札所大宝寺の近くを通る。
13時27分終点の久万バスセンターに到着。13時32分に国道33号の直ぐ前の久万中学前バス停からJR四国バスの松山駅行きが有るのを知り、急いで国道を渡る。同じ位置に在りながらバス停名が異なっているのは県外者にとっては迷惑なことだ。何とかせー。
企画切符の高知観光切符を購入、使用しているので本来は落出に行き、佐川、高知経由で帰るつもりであったが、落出からの1日2本の最終バスまで3時間半も有り間が持たないので、松山経由に変更した。
懐かしい三坂峠からの大景観を堪能して松山まで降りてくる。ここまでバスのきわどい乗継で昼を摂る暇が無かったので、帰りの特急しおかぜ迄時間が有るのでじゃこ天うどんで昼を摂る。じゃこ天は美味いぞなもし。
駅には予土線の団子三兄弟を組み合わせた旅のポスターとしまなみまでをマイ自転車で往復できる列車のポスターが貼ってある。少ないパイで満貫を狙った規模の小さなJR四国の涙ぐましい姿である。西日本にはこんな姿勢は無い。帰りは久しぶりにグリーン車をはりこんで仁淀川本流を終える。
本日の歩行距離:16.0km。調査した橋の数:17。
総歩行距離:7,450.7km。総調査橋数:11,156。
使用した1/25,000地形図:「面河渓」(高知14号-4)、「東川」(高知15号-3)