高知2-5.&愛媛13-1.広見川(その1平成26年3月16日(日)晴れ

再び予讃線宇和島に向かう。岡山駅6番線の「しおかぜ」のいつもの自由席車の位置が全く逆になっている。昨日のダイヤ改正で列車の前後を入れ替えたようだ。今までは流線型の指定席車が後であったが前に変わり、貫通型の自由席車が後になっている。これでは宇多津での高松からの編成との混結が逆になりそうだ。児島から乗り込んだJR四国の車掌に理由を尋ねると、松山駅での乗降を指定席客に有利にしたとのことであるが、そんなことは初めから分かっていることなので、高松からの編成を後部に連結することで高松での発車時間を遅らせ、高速バスとの競争に対抗したと理解する。

前後の方向の変換は15日の深夜に全編成を瀬戸大橋、坂出、宇多津のデルタ線を利用してやったのだろうと言うと、感心したように「仰せの通り!」。車内放送の女性の声も変わり、英語の妙なアクセントも無くなっている。全国のJRで採用しだした機械での合成英語とのことである。道理で東京や新幹線で聞いた声、トーンと同じである。

松山駅で同じホームの前に進み宇和島行き「宇和海」を待つ。直ぐに列車が入り折返しの清掃を3分でしてドアが開く。7分の折返し時間はきわどい。宇和島での予土線の乗換えは改正前はたった2分であったが6分に変わり、ゆっくりと乗り換えられる。宇和島の直ぐ東の大分水嶺まで急坂を登り、峠を越えると四万十川の流域となる。新ダイヤの時刻表を見て新幹線0系もどきと伊予宮野下駅で交換するのを知り、待っていると徳島駅で出会った団子鼻の0系もどきがやって来る。当方の観光客らしき人達もカメラを向ける。0系もどきに四万十トロッコ列車などの運行と予土線は、話題提供と集客に必死である。ここに京阪神などから来てくれれば、四国の奥なので土讃線、予讃線の全線が潤うのである。

image101.新幹線が到着

image202.徳島駅で出会った団子鼻が地元に

今日から連続三日間歩く予定の四万十川最大の支流、広見川の本流との合流点の江川崎の一つ手前の駅「西ケ方(にしがほう)」で下車する。極楽浄土を連想させてくれる駅名で阿弥陀仏がお迎えに来てくれそうだ。合流点近くの三つの橋は本流遡行時に診てあるので、次の橋に近いこの駅に降り立った。本来の順序からすると、広見川よりも下で本流に合流する「目黒川」を目指していたのであるが、要になる民宿が3月一杯お休みなので後回しにして広見川と相成った。

image303.ここは極楽浄土が近い

線路沿いの道を南に下り最初の橋である「西ケ方橋」を診て対岸に渡る。左岸側の国道381号を上流に向け遡行を始める。この川は50km以上の長さのある大支流である。この川とその支流は愛媛県内の南東部を流れ、大きな盆地を形成している。

image404.この橋から遡行開始

2kmほど進むと大きな石碑が国道脇に立っている。かつてここに土佐と伊予との国境の土佐の番所が有った記念碑である。ここは平地は少ないが広い渓谷で、簡単に国を越えられる貴重な道であったのだろう。直ぐ近くには今では広見川ではここだけになった沈下橋が現れる。

image505.土佐、伊予国境の番所跡碑

image606.広見川唯一の沈下橋

国道に戻り本村地区を進むと国道脇に土筆が密生しているのを見つける。春一番の知らせを暫し集める。取り出すと止められなくなるので適当な所で切り上げる。

image707.数分でこの通り

直ぐに県境となり境を挟んで標識が目立って立っている。四万十市(旧:西土佐村)から愛媛県松野町に入る。標識の両側に民家が建ち、お隣さんは隣の県の住民である。何も二軒の家の間に県境を引かなくても良いのにと思ってしまう。

image808.愛媛県松野町に入る

image909.県境の両側の民家が隣り合わせに建つ

県境を越えると直ぐに橋が現れ、対岸に向かうと上流側に桁が流失した沈下橋が見える。新しい本橋が有るので沈下橋は復旧することなくうっちゃられている。想定の範囲内なのであろう。橋際には葛川の沈下橋の解説板が名残を惜しんで建っている。

image1001.葛川の沈下橋は桁流失

image1102.今は通行不可の沈下橋袂の解説板

本流に負けないぐらいの川幅と水量の広見川を見ながら北に進む。国道脇の民家の石垣の奥には今が盛りの水仙がまとまって南方向のこちらを見つめている。白地に黄色の口が何か語りかけているように見える。「ようきんさったな」。

image1203.水仙が皆なこっちを向いている

やがて歩道と2車線有った国道は道が狭くなり1.5車線となる。狭い所では少しずつ拡幅改良工事が行われており、数年後には全線歩道付きの2車線になるだろう。

image1304.国道の拡幅改良工事が少しずつ進む

やがて渓谷を抜け松野町から鬼北町、三間町に広がる盆地が現れる。蛇行した川向うに端正な姿をしたイケメンの山が現れる。今日と明日は4月の陽気の快晴の天気で、4枚着ていた衣類を2枚にしたが未だ暑く汗が噴き出てくる。

北からの流れが西からと大きく湾曲する地点の店先に椅子が有ったので自販機で飲み物を買い一休みする。店の女性と遡行の話をしているとお遍路さんの接待の扱いをしてくれ、お茶とお菓子を振る舞ってくれる。今日はええ天気でご機嫌である。店の壁には宇和島の4月場所の闘牛のポスターが貼ってある。日本の闘牛はスペインなどのように人が牛を殺すことなく、牛同士で相撲をさせる動物愛護の見世物である。

image1405.渓谷から盆地に入ると容姿端麗な山が

image1506.この店先で休憩

image1607.闘牛大会4月場所のポスター

10分休憩し歩きを再開する。直ぐの真土橋を診ると直ぐ脇に石碑が有る。ここにも今は無い沈下橋が有ったようだ。予土線の鉄橋を見ると川名が吉野川となっている。やがて吉野の集落に入ってこの川名の違いが分かった。かつては吉野地区から下流は吉野川と言っていたのだ。鉄道橋は古くから有るので今とは異なった川名が表記されていることがよく有る。

image1708.ここにも沈下橋が有ったのだ

手元の地形図は昭和62年作成なので国道の状況が大きく変わっている。国道がバイパス化され地図にない新しい橋がいくつも出来ている。吉野地区から松丸地区に入り、川向うの道の駅に立ち寄る。今の松野町の町名はここまで歩いて来た吉野と松丸の二つの有力な地名の合成町名だろうと判断する。かつての町村合併で二つの町村名を合成して収めたのであろう。道の駅は比較的大きく、有料の淡水魚水族館も併設されている。川を望むテラスには対岸の小山に有った国指定の城址の説明板が有る。

image1809.松野の道の駅に立ち寄る

image1910.対面の小山は国指定の史跡

明日の歩く距離を考慮し今宵の宿である松丸より上流部まで足を延ばすことにし、更に3橋を調べて松丸に戻る。松丸駅に向かう橋の上からは駅に併設されたぽっぽ温泉の大きな建物が目立つ。初めて予土線に乗ったころには無かった日帰り温泉施設である。上諏訪駅、ほっと湯田駅、水沼駅(わたらせ鉄道)などが老舗であるが、四国唯一の温泉併設駅である。短く狭いホームに覆いかぶさるように建物が聳えている。これでは母屋を取られた家主である。せっかくなので立ち寄ることにする。今日は快晴の日曜日で施設の人がビックリするくらいの人出で混み合っている。当方から見れば有馬の金泉・銀泉、道後の本館から較べればまだまだである。温泉で歩きの疲れをとり東方の旅館に向かう。

image2011.松野駅に造られたぽっぽ温泉

image2112.母屋を取られた松丸駅

 

本日の歩行距離:15.6km。調査した橋の数:18。

総歩行距離:6,934.7km。総調査橋数:10,615。

使用した1/25,000地形図:「江川崎」(宇和島1号-4)、「松丸」(宇和島5号-2)