高知-2.四万十川(その4)平成25年7月1日(月)晴れ

明け方にも強く降った雨がどうやら収まり一安心して宿を出る。古いアナログ放送のテレビではローカルの天気予報が見られず大雑把な予報を充てにして半乾きの靴、ズボンを履いて出発。左岸側の狭い道を上流に向えば雨上がりの川がベリーグッドよ。

大きなボーデン状の南端の広井大橋に着き対岸の右岸側に渡り旧道を進む。昨日来の雨で水量が更に増え、鮎釣りの季節であるが川に釣り人の姿は無い。いたるところに川釣りの入漁券の売り場のビラが貼ってあるが、開店休業状態である。

image1  01.雨上がりの四万十川

image2 02.広井大橋を渡り右岸へ

ボーデンの根元をトンネルで短絡している国道に再会すると直ぐに道の駅「とおわ」が姿を現す。ここで昼の弁当を買い直ぐに歩きを再開する。

image3 03.道の駅「とおわ」で休憩

昨日通った四万十トンネルで四万十市旧西土佐村から四万十町旧十和村に入った。平成の大合併で同じ名前の市と町が隣同士で生まれたが、どうにかならなかったのかと思う。四万十町は郡境を越えて窪川町、大正町、十和村が一緒になり、旧三町村を四万十川の中上流が流れている。十和村はそれまでの十川村と昭和村が昭和32年に合併し村名を一字ずつ取って十和村としている。予土線の駅名にその名残があり、大正、昭和、十川、半家と続いている。大正から昭和行きの切符も一時有名になった。

十川大橋を過ぎると十川温泉の建物が国道に沿って建っている。当初ここを予約すべく電話をしたが1名と言うと断られた経緯がある。直ぐに十川の集落となり、旧役場の前に閉村記念碑が立っている。ここにも有りましたよ閉村記念碑が。暫し歩道の無い集落を歩くと大きな木造家屋のような支所の建物が現れる。完成ほやほやのようで片隅に喫茶店が有るので立ち寄ると、本日移転開店とあり大勢の元ガールズが賑やかにしている。新聞を読み早々に立ち去る。

image4  04.ここにも有った閉村記念碑

image5 05.真新しい木造風十和支所

十川駅の入口は思わず通り過ぎてしまいそうな目立たない所にあり、駅ホームまでは長い階段を登って行く必要がある。予土線の窪川(厳密には若井)から江川崎までは全線立体交差路線で踏切が無い。このため駅は高い位置になっている。

集落の外れには「鯉のぼり川渡し発祥の地」なる大きな記念碑が国道脇に立っている。今や全国の川で見られる鯉のぼりの川渡しのここが元祖のようである。

image6  06.十川駅は長い階段の上

image7 07.鯉のぼり川渡し発祥の地記念碑

再び広い歩道が川側に現れ、良く見ると木製の手摺になっている。車道とは一段高い位置にあり、車のための防護柵では無く手摺も高く人のための転落防止柵である。更に進むと別のタイプとなりやや無骨な感じでこちらの方が先輩のようである。やるね高知は。

image8  08.木製の手摺が似合う

image9 09.こちらは古いタイプ

対岸の小野地区に渡る小野大橋の親柱には四万十川の沈下橋と川船での釣りがレリーフになって埋め込まれている。直ぐに今度はペニス状の屈曲の根元の十和トンネルとなり、橋が無いのでこのトンネルで時間を稼ぐ。出口付近では舗装の打替え工事中で多くの機械と人が集まっている。駐車スペースと屋根付きのベンチが有るので、工事を見やりながら昼を摂る。

image10  10.親柱にも沈下橋と釣り

image11  11.ここで昼を摂る

アスファルトの匂いがする昼食を素早く済ませ、歩きを再開する。国道沿いには種々の花が咲き、鮮やかな濃い赤色系の紫陽花が際立っている。ここまでの道に見られた紫陽花は見ごろを過ぎた大年増であったが、こちらは未だこれからよと言っている。見慣れない花の咲いているものも有り葉の形から紫陽花かと思う。更に梅雨の今が見ごろのアガパンサスの花も控えめな色と形で咲き誇っている。梅雨も綺麗な花の季節なのである。

image12  12.鮮やかな色の紫陽花が

image13  13.これも紫陽花か?

image14  14.梅雨に似合うアガパンサスの花

昭和の細長い集落を歩道の無い国道を東に向かう。小学校、駅、中学校と過ぎると再び更に細長いペニス状の地形の根元に達する。根元は300mほどであるが、川沿いに進めば10倍の距離になる。国道のトンネルは旧規格で作られたため車が擦れ違うのもギリギリの幅しか無い。直ぐ隣に人道トンネルが用意されているのでこちらを通ることにする。

image15  15.人専用のトンネルに入る

トンネルを出ると目の前に予土線の鉄橋と直ぐ上流に沈下橋が見える。川には中流には珍しい大きな中洲が有り、田圃も見受けられる。二手に分かれた川には第一三島沈下橋と第二三島沈下橋がある。東側の流れは激流になっており、危険防止のため東側の川には永久橋の轟橋が建設され、沈下橋はその役目を終えている。橋の名前「轟橋」が川の状況を現している。

image16  16.第4四万十川橋梁と第1三島沈下橋

image17  17.轟橋から見た第2三島沈下橋

image18  18.上流側から見た橋の群れ

国道は川から相当高い所を通っている。観光案内板が有ったので川の蛇行状況を示すため写真に撮っておく。北側から合流するその名も「北川」には四国には珍しい石材を使用したアーチ橋が国道の直ぐ傍に架かっている。

image19  19.旧十和村の真ん中をうねりながら流れる

image20  20.珍しいアーチ橋

山吹色の大きな建物がポツンと独立して建っている。近づくと真新しい消防署で、その名は「四万十清流消防署西分署」とある。なんとも観光的な名前である。四万十町誕生とともにこの場所に新たに設けられたのであろう。

image21  21.真新しい消防署

image22  22.その名は四万十清流消防署

地形図で予め分かっていた津賀発電所が近づいてくる。大河である四万十川には珍しい発電所である。国道は元々発電所の裏側を通過していたが、改良拡幅で建物との間に隙間が無いため、発電所の前面の川に長い橋を建設して2車線としている。川側の道を進み発電所の前で下を見れば、発電機を通過した大量の水が泡立って川に注がれていた。今日は水もたっぷりでフル発電をしているのだろう。

image23  23.四万十川には少ない発電所が道に挟まれて

image24  24.今日はフル発電

国道は規模の小さな突起の根元をトンネルでは無く普通の坂道で通過する。直ぐ下流側にある11番目の茅吹手沈下橋を見るべく国道を離れ細い道を川面に下って行く。分岐路にある解説板には、この橋はフルムーンのポスターに撮影されたとある。後刻ポスターの主人公は加山雄三と判明する。

image25  25.茅吹手沈下橋はフルムーンのポスターに

image26  26.茅吹手沈下橋は11番目

国道に戻り予定していた屋敷バス停に到達するがバスまでまだ40分ほど有るので行ける所まで歩くことにする。バスはどこでも止まってくれるので時間ぎりぎりまで歩ける。再びペニス状地形の根元に達し、国道も鉄道もトンネルで通過していくが、当方は先端部に橋があるので川沿いの旧道を進むことにする。第3四万十川橋梁の下を通り過ぎると音も無く単行ディゼルカーがトンネルから現れ橋を通過して行く。慌てて写真に収めるがかすかに映っている。

image27  27.第3四万十川橋梁を渡る列車だが分かるかな?

里川地区に渡る橋のある浦越に来ると予定していた大正から十川行きの北幡観光のミニバスがやって来た。橋の調査は明日することにしてバスに乗車する。

今日は久しぶり20km以上の歩きであった。今宵の宿は昭和駅近くの古い木賃宿を予約してあるのでバスで昭和に戻る。これぞ平成から昭和に戻るである。

image28  28.北幡観光のミニバスで昭和へ戻る

 

今日の歩行距離:23.5km。調査した橋の数:10。

総歩行距離:6,132.5km。総調査橋数:9,704。

使用した1/25,000地形図:「江川崎」(宇和島1号-4)、「田野々」(宇和島1号-2)