徳島1-7.祖谷川(その3) 平成25年2月2日(土)快晴

今朝5時過ぎに朝食の支度をしていたらNHKテレビで「小さな旅」の再放送をやっている。今日歩く予定の祖谷の名頃集落の案山子の里が映っている。出発する直前に目的地が放映されるとは奇遇である。先日と同じ手法、列車を乗り継ぎ大歩危駅に着く。駅では今乗って来た下り特急と上り特急が交換していたので写真を撮っておく。

image1 01.大歩危駅で上下特急が交換

時刻通りに祖谷久保行のバスがやって来て乗り込むが、今日も貸切で出発。ここ2日ほどは春のような温かさで、今朝は特に暖かく峠の雪も消えバスは快調に走る。終点の久保までは1時間10分の長旅で、運転手さんと四方山話をしながら渓谷を進む。前回の折返し点の栃の瀬を過ぎ、旧東祖谷山村の中心京上(きょうじょう)に差しかかると、三好市営バスが広い橋の上で待機している。2分後にこのバスの後を追いかけ、久保で乗り継げるようになっている。10時06分に久保に着き、バスは狭い国道のわずかな隙間を上手に利用して方向転換をし、池田行きに方向幕を変える。運転手さんは裏の宿泊所で暫しの休憩となる。直ぐに三好市営のマイクロバスが到着し乗り継ぐ。

image2  02.久保バス停で四国交通から三好市営バスに乗り変え

こちらも貸切で今朝のテレビの話に花が咲く。杤の瀬と名頃との標高差が400mもあるため、今日は名頃から川を下ることにした。テレビに出た案山子の制作者の綾野月美さんは今や村の有名人になったようだ。30分弱で終点の名頃に着く。春から秋までは更に渓谷を奥に走り、剣山の8合目付近の見ノ越までバスは行くが、冬はここが終点で最後の集落である。

image3  03.祖谷最奥の名頃バス停に下車

image4 04.三好市営バスは京上から名頃まで

かつては木材の集積、加工で賑わった集落も過疎化が進み、小学校も昨年春で閉校となり、5年生の2名もこの市営バスで下瀬の新しい統合された学校に通っている。直ぐ上流に架かる橋を診てUターンして国道439を下る。橋近くから東側を見れば渓谷の彼方に禿山の剣山が顔を出してくれている。これでやって来た甲斐が有ると言うものだ。

image5 05.渓谷の奥に剣山が見える

バス停の直ぐ近くからは数多くの案山子が出迎えてくれる。かつて住んでいた人達に似せて作られ、人口減少の寂しさを少しでも紛らすために作られた案山子群で、実際に着ていた服や道具が使用されている。テレビで最初に国井アナを出迎えた作業中の案山子も道路沿いにいる。

image6  06.バス停近くで村人がお出迎え

image7 07.今日はええ天気やなー

image8  08.物置に村人が集合

image9 09.この像が最初に国井アナを迎えた

テレビで見た綾野さん宅らしき家が向こうに見えるので脇に入ると、テレビにも映っていたおじいさんが家の中で遅い朝飯中で、ここがかの家であることが判明する。軒先には大勢の家族、近所の人が集まり小春日和の日差しを浴びて談笑している。

image10  10.案山子の親の綾野さん宅に勢揃い

image11 11.農作業に精を出す村人たち

国道に戻る途中でくだんの綾野月美さんと出会う。話しかけるとご本人で、しばし案山子と名頃の話を立ち話で交わす。まさか今朝のテレビのご本人と出会うとは縁は異なものである。これも上天気の賜物である。集落の中心にある四電の低いダムのダム湖には氷結した湖がこの陽気で緩んでいる。直ぐ下流にはテレビで紹介された名頃小学校の校舎も見える。たった2名では教育にはならず、4校が統合され全部で45名になったようで、複式授業が解消されるのだろう。それでもこの状態が何時までもつか運転手さんも心配していた。国道439号を歩きながら、口ずさんだ歌が「439は木を切る、ヘイヘイホー、ヘイヘイホー・・・」で、今は樵も居なくなってしまった。

image12  12.小さなダム湖の氷も緩む

image13 13.テレビで紹介された廃校の名頃小

ぽかぽか陽気の無風快晴の空の下快調に歩き出す。国道脇にあのミツマタが見える。岡山以来のミツマタに再見!これが高級和紙になるのだから不思議なものだ。

image14 01.ミツマタ、これが和紙になるのだ

標高900mの名頃付近の祖谷川に注ぐ沢は勾配がきつく階段状の砂防堰堤が遥か上まで続いている。本流の方も河川勾配がきつく堰が雛壇のように連なっている。これだけ雛壇が続く渓谷は初めてである。国道の方も川に負けずとどんどん下がっていく。

image15  02.はるか上まで砂防堰堤が湯づく沢

image16 03.本流にも雛壇が続く

川の急こう配に追いつけない道が沢から山腹の腹に出ると突然視界が開ける。眼下に水量豊富な水が流れ、新しい国道の橋も見える。北西の彼方にはサガリハゲ山(H=1,722m)がドンと構えている。傍らには交通安全を願う母子観音像が建っている。かつてここで交通事故が有ったのかも知れない。

image17  04.国道の新しい橋の彼方にサガリハゲ山(H=1,722m)が聳える

image18 05.国道脇に建つ母子観音像

橋に向かって国道をずんずん下ってくると巨大な砂防堰堤が川を堰き止めている。説明板によると四国一の堰堤とある。祖谷川は脆い岩質に囲まれ風化が激しいので数多くの堰堤が建設されているとある。これらを建設するため国交省四国地整局は専門の砂防事務所を設けている。大堰堤の下には多くの小さな堰堤が幾重にも連なっている。

image19  06.巨大な砂防堰堤が続く

image20 07.大堰堤の下には雛壇が幾重にも

菅生(すげおい)集落に来ると希少な平地に菅生小学校の建物と校庭が見える。ここも他の4校と同時に廃校となった。子供の教育のため苦労して確保した土地が泣いているようだ。人口減少、特に若者の減少はひどく、歯止め策の確立は国として真剣に考え実施していくべきだ。自分は海外協力青年隊の国内版を創設し、打ち捨てられた家屋、田畑、森林の保全、防災にやる気のある青年を国費で派遣すべきと考えている。今や海外どころでは無く日本の森と水と国土の方に眼を向けるべきである。

image21  08.菅生小も廃校に

image22 09.希少な土地に建てられた小学校

右岸側の小さな沢からは滝が目近に水しぶきをあげている。傍らには解説板が在り、水煙が虹を作ることから虹の滝と命名されている。対岸にはこれが最後になるかも知れない見事な青石が続いている。

image23  10.国道脇の虹の滝

image24 11.ここが見納めの青石の渓谷

東西に長く続いた渓谷が北の方に方向を変える地点を過ぎるとバスを乗り継いだ久保集落に入る。北に向かって緩い坂道を進むと、渓谷の彼方にテレビで何度か紹介されてきた平家落人伝説のある落合集落が、西陽を受けて輝いている。この位置からは集落の一部しか見えず、全貌は渓谷の南側の山腹からでないと分からないようだ。谷底に住むよりも人間の最低限の生活は南向きの山腹が適地なのであろう。こんな所に住んでいる人もいることを都会の便利な現代文明を享受している人は知ってもらいたい。

image25 12.落合の集落は山の南斜面に広がる

やがて来る時に気になっていた「スタンド前」なるバス停に差しかかる。バス停の手前にはガソリンスタンドが在り、これがバス停名になったと分かる。岡山では過疎地域のスタンドも金融も生活用品の販売も葬式も何もかもJAがやっていたが、ここでは普通のスタンドである。

image26 13.ガソリンスタンドの前のバス停

落合集落の南側の蔓原にやって来ると、廃校になった落合小学校が国道に沿って高層下駄ばき住宅のような姿で建っている。運動場は校舎の裏の一段高い所にある。学校の適地は狭い渓谷では少なく、それぞれが工夫したのが分かる。

image27 01.元落合小は下駄ばき住宅のよう

直ぐに落合橋と同名のバス停が現れる。ここにも有りました、落合が。合流する川の名前は落合谷川。バス停の直ぐ前に「そば道場」なるそば屋が黄色の暖簾を掛けて招いている。1時間ほど前に道路の側溝の上でサンドイッチを軽く食べたが黄色に誘われて中に入る。手打ちの祖谷蕎麦を食すが、蕎麦は美味いが出汁が薄味過ぎて今一である。蕎麦には濃い出汁の方が合っているのだが。

image28  02.ここにも落合橋とバス停名がある

image29 03.バス停横のそば屋に立ち寄り

橋を渡り道は直角に曲がり西に向かう。落合集落に上がる里道の入口に集落の説明文と地図がある。この集落は伝統的建造物群保存地区に指定されている祖谷を代表する集落である。集落は高低差が390mもあり、最上段までは登山の覚悟をして登る必要がある。住めば都と言われるが雲の上の仙人のような生活だろう。

image30  04.落合集落の解説板が登り口に有る

下瀬地区に入ると、道が大きく曲がる箇所でこれを短絡するトンネルの工事が真っ盛りで、坑口の工事の様子が良く分かるのでカシャ。渓谷では少しずつささやかに改良工事が行われ、渓谷沿いに数多く有る小さな建設有限会社が生き残っている。

image31 05.国道の改築が進みトンネルが建設中

対岸に渡る橋の向こうに統合された東祖谷小学校が中学校と一緒に建っている。真新しい校舎が陽に当たり輝いている。橋の上で子供たちが先生らしい人と遊んでいる。今日は土曜休みでお遊びの日のようだ。先生らしき人と今朝のテレビ放映の話をすると、かの綾野さんは村の有名人のようで、今や村のスターである。

image32 06.4つの小学校がここに統合

更に西進すると村の中心集落である京上に入る。国道は新しい橋とそれに続く長いトンネルで左岸側に逃げて行く。狭い道の両側に家屋が連なり、これでは道路拡幅は叶わず対岸にバイパスを作るしか手は無い。元役場、駐在所、郵便局、診療所と最小限必要な建物が続く。
やがて道路脇に「池田高校祖谷分校」なる立て看板が建っており、谷底に降りる細い道がある。下には学校らしくない小さな一棟の建物が見える。こんな所に高校の分校が有ったんだ。校舎だけで運動場や隙間は全く無い。ここも今は廃校となっているようである。統合された小学校の全校生が45名ではむべなるかなである。直ぐに真新しいコンクリートアーチ橋が優美な姿を見せている。施工は難しいが祖谷のような渓谷には合理的で最も適した形式の橋である。

image33  07.谷底に池田高校祖谷分校が在った

image34 08.珍しいコンクリートアーチ橋が

若林集落の入口に武家屋敷の喜多家への案内板が立っている。山に上がる道の4.5km先に在るようで、とても歩いて立ち寄るのは叶わずパスする。直ぐの道路端にこの屋敷のポスターが貼って有ったのでこの写真で実物を見たことにしておく。

image35  09.4.5km先の山の中腹までは無理

image36 10.このポスターで見たことにしておく

道路沿いの集落の合間から対岸の祖谷発電所が見える。この発電所は、当初は高知市に送電する計画であったが途中から徳島市に送ることに変更されたとある。何も隣県に大事な電気を送る必要は無いと反対があったのであろう。徳島と穴吹間の電気鉄道用にと建設されたが、電気鉄道は陽の目を見ずに終わり、これが日本で唯一電気鉄道の無い県になってしまった裏話をここで知った。発電所に向かう橋は人用の吊橋で、資材は道路から対岸に渡されたロープウエイで運ばれる。数多くの川を歩いてきたがこれだけ大規模なロープウエイはお初である。

image37  11.祖谷発電所の資材を運ぶロープウエイ

直ぐに先日の折返し点であった「祖谷川橋」に到着する。左岸側にはこれも狭い敷地に建つ栃之瀬小の校舎が高く建っている。かつてはこの比較的大きな校舎を必要とするほど児童がいたのであろう。ここで南から谷道川が祖谷川に合流する。既に出合も落合も名前が先取りされているのでここでは栃の瀬と称している。祖谷川は発電用に水を取られ、二次支流の谷道川の方が水量が多い。

image38  12.元栃之瀬小も高層建築

image39  13.栃の瀬で谷道川(手前)が合流

バス停の前に祖谷の観光地図が有り、今日歩いた路筋を振り返る。これで長かった吉野川と多くの支流の遡行をひとまず終える。銅山川の遡行の継続は更に検討と新居浜市バスとの折衝が必要なのでケセラセラである。帰りのバスのドライバーは先日の人でこれで三度目である。仏の顔も三度目で、今度はあちらから話かけられ貸切のバスで話が弾んだ。最奥の名頃から三好市の中心池田までのバス賃は2,280円!イヤー祖谷は遠い!

image40  14.右端の名頃から中央左の栃の瀬まで歩いた

本日の歩行距離:18.0km。調査した橋の数:17。
総歩行距離:5.553.4km。総調査橋数:9,001。
使用した1/25,000地形図:「京上」(高知1号-2)、「剣山」(剣山13号-4)