高知-1.吉野川(その11) 平成24年7月10日(月)晴れ一時曇り
梅雨の合間の晴れが二日続くのが今日と明日との予報を昨日知り、急遽最後の遡行を決行することにし、予定していた最上流部の宿に電話すると廃業したとのこと。計画を一から練り直し、数少ないバス便と宿の組み合わせと歩行距離の三元連立方程式を解きなんとか行けると決め、宿の予約をして昼前に再び大杉駅に降りたつ。
通いなれたアンパンマン特急を駅で見送り、田井行き高知県交通バスを駅で待つ間に岡山駅で買っておいた駅弁「いいとこ鶏」を食す。久しぶりの駅弁は高いがやはり美味い。40分ほどしてくだんのバスが到着し乗り込む。
田井の嶺北観光バスのバスターミナルで30分ほど待ち、12時30分発の長沢行きに乗る。待っている間に前にある農協ストアに入ると、こんな辺鄙な所なのに多くの自家製パンが並んでいる。「まっこと美味いきに!」と言われ明日の昼用にパンを買っておく。
見慣れた景色のダム湖と渓流を遡り、他に2名居たお婆さんも途中で降り、後は貸切バスとなり、顔見知りになったドライバーと会話をしつつ前回の最遠点である井の川バス停に13時25分に到着し下車。
早明浦ダム湖が尽き狭くなった谷間の坂道から下を見れば、通称「青石」が河床にゴロゴロと数多く転がっている。山側の県道脇には今が盛りの紫陽花が咲き誇り、買えば高い額紫陽花の大きな株が多くの大きな花を付けている。梅雨時期もええもんやなー。
水管橋が本流を跨いでいるのを見つけ、地形図で読み解くと、小さな支流の水を本流沿いに導き、ここで横断し下流にあった井の川の発電所に水を送っている送水管のようである。ここにも一滴も川の水を無駄にしない工夫がなされている。
沢に来ると県道の直ぐ傍に可憐な滝と緑色の滝つぼがワンダフル。これをそっくり庭に持っていきたいような景色である。数多くの沢に来るとそこだけがヒンヤリと涼しく、暫し冷気で体を冷やす。
やがて大川村と旧:本川村の境界に到着するが、標識は「いの町」と表記。吉野川最上流部の村が大合併でなんと仁淀川下流にある伊野町と一緒になっている。「アンビリーバブル」。
上吉野川橋以来左岸側を通っていた県道が一旦右岸に渡り、直ぐに又左岸に戻る険しい地形が続く。橋から下を見れば淵が緑色の清流が流れている。次の橋から対岸を見れば、かつての狭い曲がりくねった道跡が見える。オーバーハングした岩が迫り出し、桟道が続く恐ろしい道路である。命がけで通っていたのだろう。
梅雨時期で水量も多く、堰では豊かな水が溢れるように流れている。早明浦ダムも満水状態で「讃岐人よ!この夏は安心めされよ。満水じゃきに」
支流の葛原川が合流する日ノ浦に着き、大橋発電所を見ながら対岸のつづら折れの道を上がって行くと、四電の社員住宅と寮が斜面に建っている。こんな山奥に社宅がある!この先の大橋ダム湖の畔には本川揚水発電所が地下にあり、そこの社員の為の建物のようだ。
戦前に建設された大橋ダムと発電所は、住友系の会社が新居浜地区の電力を賄うために造られた。このダム湖が今度は揚水発電の下池として利用されている。ダム頂上から下を見れば、本流に左から合流する葛原川が見え、ダムから半島のように飛び出した小山をトンネルが抜け、発電所は目と鼻の先にある。絶好の位置を見つけたものである。
左岸側の湖畔を進むと直ぐにダム湖に架かる本川大橋が現れる。本川発電所建設のため四電が建設したニールセンローゼアーチ橋である。せっかくの長大な橋であるが塗装の状態が芳しくない。
本来は大橋貯水池に沿って長沢迄歩くつもりであったが、宿が廃業となってしまったので、ここでダムまで戻り支流の葛原川を遡行する。2kmほどの急な県道と途中からの国道194号を歩く。山奥のこんな所にも道の駅がある。「木の香道の駅」で、日帰り温泉と宿泊施設もある珍しい駅である。今宵は急遽設計変更したこの宿に泊まる。疲れた体に自然豊かな露天風呂が嬉しい。
今日の歩行距離:12.2km。調査した橋の数:7。
累計歩行距離:1,787,0km。累計調査橋数:2,312。
使用した1/25,000地形図:「土佐小松」(高知10号-1)、「日ノ浦」(高知10号-3)
高知-1.吉野川(その12) 平成24年7月11日(火)晴れ
温泉と宿泊施設のある道の駅のリーズナブルな料金にもかかわらず真面な料理を堪能し、二日目の遡行を開始する。目の前の国道194号を北に2kmも進めば一般国道では日本最長の寒風山トンネル(L=5,432m)が有り、四国の脊梁山脈を越え西条まで短時間で行ける。道の駅の人に聞くと、「買い物などで高知市に行く人は無く、トンネルのお蔭で194号を使って皆西条や新居浜に194」とのことで、かつての県境は無いに等しい。
昨日歩いた道を下り、国道と県道17号との分岐部の葛原バス停に向かう。やがて8時10分に長沢行きバスが時刻通りにやってくる。今朝は数名の乗客が乗車している。大橋貯水池の湖岸の2車線が確保された国道を南に、やがて西に方向を変え本川村の中心長沢に着く。
ここは本流と南から流れてくる大森川との合流点で、狭い谷間に旧役場、小中学校、農協、郵便局が集まっている。ドライバーに昼過ぎに寺川から乗るバスの位置を確認すると、丁度そのバスのドライバーが別のバスに乗っていたので紹介してくれる。見れば先日乗ったバスのドライバーで、よろしく。
直ぐに一層狭くなった渓谷を西に向かう。ここからは県道40号となり、国道は南の伊野に向かって行く。やがて本流最後のダムである長沢ダムに向かい急坂となる。このダムは戦中に起工し戦後間もなくに完成された苦難の時期の産物である。ダムの傍らにある完成記念碑の碑文を読むと胸を打つ文章が有る。直ぐ近くは工事中の殉職者の慰霊碑があり、十数名の殉職者の名前が記されている。当時は交通不便な山奥の更に山奥の現場での工事は大変だっただろうと想像する。数多くの人の犠牲のうえに今の便利な世が有ることは忘れてはならない。
複雑な凹凸が繰り返される湖岸の道をただ黙々と歩く。直線距離の2倍以上の道を歩いていると、対岸の山の彼方に一際高く聳え、形の良い山が見える。地形図を読むと「筒上山(つつじょうざん)H=1,859m」のようである。スイスで4千メートル級の高峰を見て来たので驚かないが、山は周りとの相対的な高さが決め手で高く見える。
スイスは自然豊かで高峰が聳え、簡単にだれでも山の麓や展望台に行けることから世界中の観光客が訪れる観光立国であるが、日本は水と緑が豊富な国で、歴史的建造物と有名観光地を売りにしている。交通不便ではあるがこの自然と水が豊かな川沿いのハイキングと生活を売りにした観光PRをすべきと考える。忙しい生活に忙殺される海外のセレブに水辺の素朴な癒しを提供する。特に水の少ないアラブなどの金持ちをターゲットにしたプランが好いだろう。
貯水池は越裏門(えりもん)集落で尽き、川は更に狭く、清くなり北西方向に足を向ける。きつくなった県道を1時間ほど歩き、最後の集落寺川に向かう道との分岐部のバス停に到着する。
眼前の川は見事な緑色で忘れがたい色である。昨日買ったパンをバス停のベンチで食べ、しばし休憩する。ここから長沢に向かうバスは毎週火、水、土の3日だけの変則運行で、朝夕の通学バスを除くと昼間は1往復のみの難関地点である。このバス利用が今回の遡行のキーポイントである。
バスまで小1時間ほど有るので本流の行ける所まで行くことにし、再度遡行を開始する。一層狭くなった県道を2kmほど歩いた限界点に大滝が県道から良く見える。20mほどの落差の姿形の良い滝を見て、地形図の源流まで5km残し、ここ(標高750m)を12日かけて歩いた遡行の到達点としてバス停に向かう。
バスを乗り継いで帰路につくが、今日中に大杉に行くバスが無いので、再度さめうら荘に今宵は泊まる。吉野川は長く、容易には人を寄せ付けない。
今日の歩行距離:20.0km。調査した橋の数:11。
累計歩行距離:1,807.0km。累計調査橋数:2,323。
吉野川通算歩行距離:225.5km
使用した1/25,000地形図:「日ノ浦」(高知10号-3)、「日比原」(高知10号-4)、「筒上山」(高知14号-2)、「瓶ケ森」(高知14号-1)