徳島-1.吉野川(その4) 平成24年5月4日(金)曇り 強風
GW後半に入り比較的列車が空いている今日吉野川に出かける。阿波池田で特急南風から降り、特急「むろと」に乗り換える。徳島線の特急は「剣山」(阿波池田~徳島)であるが、朝に1本だけ徳島から牟岐線の牟岐まで乗り入れるこの「むろと」がある。今や特急の粗製乱造で1県内のみを走る特急も数多く有り、四国には特に多く、予讃線の「宇和海」(松山~宇和島)、土讃線の「あしずり」(高知~中村、宿毛)、牟岐線の「むろと」(徳島、池田~牟岐)そして徳島線の「剣山」(池田~徳島)と狭い香川県を除いて隈なく揃えている。子供時代の特急と言えば「つばめ」「はと」「かもめ」しか無かったころとは雲泥の差がある。特急は本来「特別急行」の略称なのに今では特快みたいになってしまった。
穴吹駅から駅前の「ふれあい橋」を渡り対岸(左岸)の旧脇町に向かう。脇町のうだつの町並みをかねてから見たかったので寄り道をすることにする。この橋の下流200mには穴吹橋があるが、旧橋からすこし下流にずれて完成し町民から不便になったと抗議の声があがり、元の位置に歩道専用橋を作ったようで、数キロごとにしか橋が無い大河には贅沢な話である。
脇町は徳島藩の支藩があった西阿波の中心地のようで、南岸の狭い穴吹に較べ広い土地に多くの官公署、量販店、コンビニ、ホテルが揃い、脇町の発言力は相当のようだ。
町の中心を阿讃山脈から流れて来た「大谷川」は急こう配で水の無い枯れ川になっている。吉野川の左岸に阿讃山脈から流れ合流する川は、全て川名に○○谷川と谷が付、急こう配と砂礫の河床のため枯れ川になっている。
大きな街並みの案内碑が堤防の上に建ち、彼方には脇町潜水橋も見える。新しい銀行の建物にうだつが付いている。うだつは本来建物の類焼を防ぐ役割で備えられた物であるが、周りに建物も無いのにこれを備えたのは、今や富の象徴のようで銀行には欠かせない物かも知れない。
道の駅の奥の北側にうだつの有る街並みが有り、タイムスリップした景色が広がる。道の駅には駐車場とトイレが有るだけで、飲食コーナーや物産販売コーナーは無く街並みに遠慮している。大きな布製の看板に誘われ饅頭をお土産に買い、直ぐ近くの堤防に戻り遡行を再開する。
今日は東北、北海道で大雨が降る天候で冬の天気図になっている。土手の上は10m以上の西風が強く吹き、これから西に15km以上風と闘いながら歩くのでいつもよりも2,3割エネルギーが必要だ。
堤防の上から今まで見られなかったマンホールが別所地区に来ると見え、堤防から下の道路に降りて見てみると、マンホールで図柄もうだつの町並みである。やったー。
やがて堤防が無くなり竹と樹木が広がる区間となり、北側の狭い道路を歩き美馬中央橋が現れる。橋を渡り右岸の列車から見えていた橋際のうどん屋に飛び込む。ここからはつるぎ町で貞光町、半田町、一宇村が合併して出来た町で、ここからも剣山方向にバスがある。
昼食後今度は右岸の堤防の上の管理用道路を歩く。貞光川を超えると道の駅「貞光ゆうゆう館」が国道脇に有り、徳島初の道の駅に立ち寄る。駅裏に廻りマンホールを探すと、ありふれた幾何模様なのでパスして遡行を再開する。
阿波半田駅まで来たが列車までまだ時間が有るので「青石橋」まで足を延ばす。明日は子供の日、曇天ではあるが鯉のぼりが強風の中勢いよく泳いでいたのでカシャ。
河原の樹木が視界を遮るので河原まで降りて橋を調べ駅に戻る。阿波半田は素麺の産地で素麺の看板があちこちに有るが、食べられる店は駅付近には無い。駅は満開のツツジに囲まれ30分ほどいい香りの中列車を待つ。
帰路の車窓から丁度1年目に源流まで辿り着いた土器川の峠の見慣れた建物が山頂に見えたので写真に撮る。1年前には緑色に流れる吉野川を遠望したが、今は下からその場所を見上げている。
今日の歩行距離:17.8km。調査した橋の数:5。
累計歩行距離:1,560.0km。累計調査橋数:2,132。
使用した1/25,000地形図:「脇町」(徳島16号-2)、「貞光」(徳島16号-4)
徳島-1.吉野川(その5) 平成24年5月7日(月)曇り
今日も1泊2日の吉野川遡行に出かける。前回の折返し点の阿波半田駅に10時06分に着く。ホームも駅の周りもツツジがあでやかな色を競っている。
国道192号の狭い歩道を西に向かう。右岸側は山が川ギリギリに迫り、反対の左岸側は広い段丘が広がり北側の方の土地が広い。やっと現れた東三好橋で対岸に渡るが、この橋の歩道は後から車道だけのトラス橋の外側に追加された物で、桁だけでは持たないので、片持ちの梁を橋脚に立てた塔からケーブルで吊っているユニークな構造をしている。橋の手前の交差点には対岸の三野町にある饅頭屋の「みのもんた」の看板がいらっしゃいと招いている。
橋を渡れば旧三野町であるが、池田町や山城町等と合併し三好市の一部となったものの、間に東みよし町が挟まり飛び地になっている。堤防から続く道がやがて三野中学の敷地の中を通り抜ける。学校の中を公道が通過するのも珍しい。直ぐに真新しい社殿が目につきお昼時でもあるので武大神社の社殿の階段でお昼を摂る。屋根が有り座れる場所が有るのは有り難い。
北岸の延々と続く新しい堤防の上を歩いて行くと、今度は左岸側に山が迫り攻守入れ替えとなる。山の麓に道の駅「三野」が有るので立ち寄るが今日は定休日。県道の下に中央構造線が露頭しているとの看板に誘われて、橋の下に潜るがそれらしき物は有るのであるが、素人には区別がつかない。
山が最も迫った所が町村境で、今度は旧三好町に入る。対岸の三加茂町と合併し東みよし町となった。本来は三好町で有るべきなのだろうが、三好市に先に名前を分捕られたので泣き泣き東みよし町となったが、ここと池田町は仲が悪かったのであろう。直ぐにマンホールが現れ、川沿いの町によく有る川魚のデザインである。
徳島道も山に追われて河岸に近づき、側道をしばし歩くと三三大橋に着く。珍しい名前の橋であるが、この辺りには合併前は北岸に三野町、三好町、南岸に三加茂町と三が頭に付く町が三つもあった。三と三を繋ぐ橋なのでくだんの名前になったようだ。
やがて吉野川最初の名所「美濃田の淵」にたどり着く。ここと直ぐ近くの吉野川SAに設置されたハイウエイオアシスの風呂が今日のメインである。入口の案内図で全貌を頭に入れ名勝を見回る。見事な巨岩が川中に立ち、荒川の秩父の長瀞と木曽川の目覚めの床を足して二で割ったような景色である。
北隣にSAが迫り、そのままSAの敷地に入りレストラン、売店、そして名物の天然温泉が出現する。ハイウエイオアシスのはしりは実は自分が携わった与島PAが日本初で、本四道路は厳密には高速道路では無いのでハイウエイオアシスは名乗らせてもらえなかった。更に進化したのがここで、中央構造線近くの地下から天然温泉が湧き、高速道路で天然温泉に入れる希少な所である。ここで40分ほど湯に入る時間は計画に織り込み済みで、ゆったりと美濃田の淵を見下ろしながら温泉に入る。
すっかり緩んだ体に鞭を入れ遡行を再開する。直ぐ近く架かる美濃田大橋は古い1車線だけの吊橋で、その後両側に歩道を追加したようで、吊橋のメインロープの他に斜張ロープを追加施工し、荷重の増加に対処している。徳島県の橋はなかなか面白いことをやってくれる。この斜張吊橋はこれからの究極の超長大橋に不可欠の形式で、3000m級も夢ではない。橋を南岸に渡ると橋際を徳島線が横切っている。よくぞギリギリの所に橋を架けたものだ。
近くの辻駅から池田駅に向かう。今宵の宿のビジネスホテルは池田駅から1.5kmも離れた丘の上の吉野川を見下ろす位置にあり、再びスイッチを入れて駅からホテルに向かう。
今日の歩行距離:20.3km。調査した橋の数:4。
累計歩行距離:1,580.3km。累計調査橋数:2,136。
使用した1/25,000地形図:「貞光」(徳島16号-4)、「辻」(岡山及丸亀4号-2)