大阪1-4. 寝屋川(その3)平成30年9月9日(日)曇り
青春18切符の利用期限は明日まで。秋雨前線が居座り連日の雨。気圧配置と前線の動き、雨雲レーダを見て今日の大阪は昼前後は曇り、明日は雨と判断していくなら今でしょう!
1週間前に乗った片町線の鴻池新田駅で下車。駅前の道路を北に向かう。すぐの古い商家が今は懐かしい煙草屋である。左に昔のままの陳列ケースと窓口、右側には自動販売機が有る。看板娘は座っていないよ。
100mほどですぐに寝屋川に架かる「鴻池橋」に着く。橋は高くそびえる防潮堤に囲まれ、その途中の高さで川を越えている。橋の両側の高欄が防潮堤と同じ高さの壁になっている。橋の手前の道の両側には民家が並び府道は橋の直前で登坂となるため壁の高さまで届かない。高潮なら橋は水に浮かんだような状態であるが、洪水時にはこの橋が川の断面を減らすため支障になる。高いコンクリート壁のため橋の桁が見えない!川の上流部の切土と切土の間の橋で桁が見えず橋種不明の橋に何度か遭遇したが、下流部では初めてである。橋の調査はあきらめて左岸側の壁沿いの道を東に向かう。
東大阪市から大東市に入る。大阪の東を取り入れた市が続く。次の橋は2本の桁の間を通行路にした歩道橋で壁の上に有る。橋の名前は「戎大黒橋」!戎橋は大阪の道頓堀に、大黒さんは横浜港のふ頭にあったぞ。
足元の大東市の蓋の絵柄は野崎参りの屋形船と土手を行く旅人が描かれ、彼方の山の中腹にはくだんの観音さんのお寺が見える。花だけの物よりもこういう物がすっきゃねん。「野崎参りは屋形船で行こう・・」、直立不動で歌っていた東海林太郎を想いだす。東海林をしょうじと読むのはむつかしかったなー。歌詞通りの絵柄であるが菜の花と蝶々が無いなー。今は一面住宅だらけで嘘みたいな話しである。
次の市道橋と府道21号の「住之井橋」は壁沿いの道の上をオーバーしているため橋の上に行くため右往左往をさせられる。府道橋の前後には歩行者用の橋が架かり壁沿いに道からも登って行ける。
直ぐにJR「住道駅」の駅前のペジトリアンデッキ下の薄暗いところに来る。右に曲がり駅に向かおうとすると「大阪王将」の看板が有る。昼時なので看板に誘われて店に入る。先日は駅の立ち食いうどんだったので今日ははりこむでー。
食後二階の駅前広場に上がる。川が駅のすぐ前に有り壁が高いため駅前広場を壁よりも高い位置に設け、車は来れない構造になっている。どこぞの新幹線の駅よりも立派な駅で駅の内外にスタバ、ドトール、ロッテリアが有るぞ。駅名を大東にしては如何かな。車のいない広い駅前は奇妙な感覚になる。大東市の歴史、地図などの看板が並んでいるのでにわか勉強をする。
河内平野の東端部を北に流れ来て直前で西に方向を変えて来た「恩智川」がこの駅前橋の下で寝屋川に合流する。
片町線のイメージはゴミゴミとした住宅地が密集した地域を走る鉄道であったが、この駅前には驚かされる。駅前橋の高欄には大東市の名所、歴史が描かれた絵が付いている。「お染久松」の文楽人形も有る。駅から東に向かうバスは橋を渡った先の地平に有る。雨の時は困るな。
北に向かう市道の西側の大きなビルの入り口に「KEIHAN」の字が有る。京阪電車は無いのに京阪百貨店が住道に在る。前を近鉄バスが通る。ここは京阪と近鉄のせめぎあいの境界線のようだ。
市道を離れ東西方向から南北方向に変わった川の右岸の塀の下の道に向かう。高い塀はまだまだ延々と続く。川に架かる歩道橋には20段程度の階段を上る必要がある。細い部材の華奢なトラス橋は歩行者専用である。最近塗り替え塗装が有ったのか新橋のように見える。鋼橋は塗り替えることで何度でも若返りおのこを引き付ける魔力が有る。やがてここ大東市内でもコンクリート壁をギャラリーにしている壁に来る。すぐの所に野崎参りの屋形船と文楽人形がうまく描かれている。
壁沿いの道の道路側を見ながら進む。一方は壁、もう一方の彼方には生駒山から徐々に高度を下げる山並みが見える。立ち寄ったコンビニの裏に見事に成型された高い樹が他を圧して立っている。上だけ枝葉を残した楠かな?
丁度東に見えるこんもりと丸く見える山は有名な「飯盛山」かな?飯盛山といえば会津の白虎隊の山が有名であるが、こちらは楠正行と高師直との四条畷の戦いの古戦場として一部の人には有名である。
川に架かる多くの水道橋のうちの一つのアーチ状の橋の手すりの上に3羽の鵜が橋上会議をしている。ここまで来ると川の水も少しは綺麗になっているが川に入っていなかった風情である。
かつては大きな池のあった深野地区に来ると住宅地がいっぱいの平地に公園が広がる。池の大半は埋め立てられたが川の東側の広いエリアは周りよりも低い土地として残し、洪水時にはこの低地に水を引き込み遊水地として利用し、常時は公園として開放されている。淀川の3川合流点手前にはかつて「巨椋池」なる巨大な遊水地が有った。人口増加と川の整備が進みこれら自然遊水地が消えてしまった。自然のしっぺ返しがなければ良いのだが。ここはその自然をうまく残している。
公園は大きく三つのブロックに分けられ、低い堤防からの越流水を階段状に順次引き入れる構造になっている。40年ほどの間に17回越流水を引き込んだ実績があり、総貯水容量は146万㎥、最初のAゾーンが43万㎥、次のBが51万㎥、そして最後のCが52万㎥、である。最大貯留実績量は94万㎥で、3つの貯留ブロックはその貯留される確率によって平時の利用法を変えている。これを国ではなく大阪府がやっているのがすごいでっせ!
左岸から右岸、そしてまた左岸と右と左を繰り返しながら北に進む。それにしてもいくら歩いても高度は上がらない。途中から川名になった寝屋川市に入る。すぐに寝屋川市のマンホールが現れ、絵柄は市の花のバラと市の木桜が、中心部にバラを、外側に桜を輪にして配置したデザインである。
前回の東大阪市の絵柄は桜ではなく市の花梅であった。よーく見ると「ひ」の字を5弁の花びらに見たてた凝った花でこれで見誤った。「お詫びして訂正します。」
24.東大阪市は「ひ」の字を5字利用した梅だった、お詫びして訂正します
やがて川の東側は寝屋川市、西側は門真市となり国道163号の橋、「新猪鼻橋」まで来ると時刻は14時5分。すぐ近くの「巣本」バス停の四条畷駅行き京阪バスの通過時刻は14時8分と調べてあったので橋の調査を放り出してバス停に急ぐ。西の彼方の交差点に件のバスが見える。バス停に着くとバスもやって来てドンピシャでご乗車。
ここまで8㎞歩いて調べた橋は26もある。終点の四条畷駅は四条畷市には無く手前の大東市に在る。長い歴史のある「四条畷学園大学」も大東市に在るぞ。大東市よりも四条畷市の方が格が上なのかなー。
帰りの電車の車窓から徳庵駅手前にある近畿車両の工場に狙いを定めてカシャ。見たこともない特異なデザインの車両の車体が有る。近鉄の新しい名阪特急の先頭車だろうか?
本日の歩行距離:8.0㎞。調査した橋の数:26。
総歩行距離:10,065.8㎞。総調査橋数:12,379。
使用した1/25,000地形図:「大阪東北部」(京都及大阪8号-4)