愛媛1-5.黒瀬川(その2) 平成25年5月7日(火)快晴
かつて宝泉坊なる坊さんがここで温泉を利用した治療を村人に行ったことから名前が付いた温泉の真新しいロッジの簡単な朝飯を済ませる。予定ではもっとゆっくりとして二日目の歩きをする予定であったが、朝飯が7時からOKとのことで西予市営バスを調べると3時間早く行動が出来るのが分かり朝早く行動を起こす。この温泉施設も道の駅も名産品のハム、ソーセージ工場も町の三セクが運営しており、産業の無い町の唯一最大の雇用の場である。これからは過疎を逆手に取り、自然と癒しを取り入れた産業を起こすアイデアが必要である。
今日も快晴で絶好の遡行日和である。朝と昼の温度差が大きく、昨日の庭瀬から岡山までの電車には暖房が入り、昼間は半袖でも暑い。直ぐ近くの市営バスのバス停名は「環境改善センター前」なる御大層な名前である。宇和島バスの名前は素直に「宝泉坊前」。町民にとっては宝泉坊なる名前は当たり前すぎるのかも知れない。バスまで時間があるので近くをうろうろすると、階段状の狭い棚田の境界に見事な石積みが積まれ、好い仕事をしていますネ。7時58分発の西予市営バスが時刻通りにやって来て乗車。当然乗客は我一人。このバスはこれから最上流部の集落を廻り、Uターンして再びここを通り下の土居まで降りて行く。
バスは先ずは二次支流の谷間に分け入り本流との間の大門峠を越える。広くなった谷間に田が広がる本流沿いに下りバスは北上する。運転手さんに何処で止めましょうか?鍾乳洞に行かれるのですかと聞かれるが、川津南のUターンするバス停でOKと返事をする。二つの川の出合う山の直ぐ下が川津南のバス停で、市営バスはここでUターンし今度は本流沿いの道を下って行く。
昨日見た一揆の碑に記載されていた首謀者の一人はこの川津南の農民であった。首謀者は地元民にとっては義民であり、これまであちこちで顕彰碑を見て来た。
見事な美田は早くも田植えの終えた田、水が張られ田植え待ちの田、田起こし中の田と進捗に差があるがいずれも環境抜群の田が広がる。みずほの国日本である。東の900m級の山の向こうは土佐である。この辺りは伊予の海から最も遠い地区である。近くの橋を診てUターンし川を下ることにする。田の畔には今が盛りの菖蒲が咲き、彼方には鯉のぼりが勢い良く泳いでいる。
田の間の道から県道に上がり東の彼方を見やれば、二つの川を隔てる岬状の山を中心に田が広がって見える。西側の斜面にも菖蒲が咲き誇り5月真っ盛りである。
川は狭まった谷間に入り、先ほど通った県道は大門峠の方に逃げて行く。狭い谷間でも日当たりのよい北側には水田が広がり、聞こえるのは川のせせらぎの音と鳥の鳴き声だけの環境で、ストレスの無い良い環境なのできっとうまい米が採れるだろう。モーツアルトを聞かせるワイナリーやチャイコフスキーを聞かせるピロシキなどがあるが、この自然の音の方がもっと好い。
対岸に渡る橋の際に地蔵堂が現れる。堂の袂には「太郎原茶堂」と書いた銘板と後ろには建築賛同者の名前と金額が書かれた板がある。この辺りでは茶堂ということを知る。井戸端ならぬ地蔵堂でお茶を飲みながらの社交場のようである。橋際が一番人が集まりやすいのでここが適地となる。直ぐ南の田では田植えの真っ最中で、たった一人が田植え機を使って作業中である。
川と道は大きくU字形に曲がり、国道197号が現れ、これに合流し宝泉坊に戻ってくる。15分ほどで宇和島行きのバスが現れ乗車。野村行きは7時発の後は13時過ぎまで無く、止む無く大回りになるが10時13分発の宇和島行きにした。
バスは西予市城川から峠を越え鬼北町に入り、あの四万十川の支流である広見川に沿って上流に向かう。この鬼北町と久万高原町を流れる川は何れも太平洋に流れる川で、これらの川の遡行は当分お預けにし、高知の川を歩く時に一緒に歩くこととしておく。これで瀬戸内側に流れる川の歩きはこれまでにしとう御座います。1時間以上も乗り、長い坂道を下りトンネルを潜っていきなり宇和島のこせこせした町が現れる。
駅には駅弁が無く駅ビルにあるキオスクのコンビニで弁当を物色していると面白い弁当を発見!宇和島名物の牛鬼をかたどった牛鬼弁当(395円也)で、鳥そぼろの上に人参、ノリ、小梅、キュウリ、竹輪天、じゃこ天で牛鬼の顔と角を似せている。駅弁ではないが駅弁扱いにし、全国駅弁の傑作に入れて特急の車内で鬼を喰う。始発なので先頭車の運転台の後ろのJR四国名物のかぶりつきの席に座り、急カーブと急こう配の線を振り子特急が快速で飛ばすのを実感して帰路につく。途中肱川の橋を通過中に大洲城が現れたので写真に撮り、長い肱川流域の川にサヨナラをする。
今日の歩行距離:6.3km。調査した橋の数:12。
総歩行距離:5,907.6km。総調査橋数:9,499。
使用した1/25,000地形図:「土居」(松山4号-4)