愛媛1-4.舟戸川(その2) 平成25年4月26日(金)快晴
朝7時42分の野村発大成行きバスに乗り込む。乗客は我一人、貸切で昨日の行路を終点に向かう。昨日は暑かったが今朝は寒く、春の天候は要注意である。渓谷の狭い県道に入って暫し走るとバスが止る。運転手さんが後ろにあるスコップを取り出し車外に出る。道路に散乱している落石を道の端の方へ集めている。昨日歩いた時に目につく石は足払いで路側に放り投げたが、今朝の寒さで又落ちてきたようだ。対向車の爺さんもお手伝いしだした。法面は風化が進んだボロボロの岩が多い。
30分の走りで再び大成に降り立つ。ここから惣川地区に向かうコミバスまで1時間以上有るので付近を散策する。沢には色鮮やかな見知らぬ名前の華麗な花が咲いている。春爛漫の伊予路である。バス停近くの集会所の屋根のあるソファーで鳥の鳴き声を聞きながらぼさーっとして時間を過ごす。9時20分過ぎに上流からのコミバスが到着し、宇和島バスの近くに停車する。中からは後期高齢者の一団が降りたち、1名以外は今来た野村病院行きの乗り込む、1名は大洲病院行に乗り、2台のバスは同時に発車して行く。2台の大型バスはこの小さなコミバスを待っていたんだぜ。
折返しのコミバスに名前を告げ発車。これも当然貸切で発車。ドライバーは今までのコミバスでは出合わなかった若い人である。バスの車体には地元の子供が描いた絵が写され、幼稚園の送迎バスのように見える。旧野村町の惣川支所のある川戸までは乗客の有無に関係なく運行され、それより先の最上流部の大久保迄は予約制になっており、予約が無ければ川戸までとなる。大久保の手前の川久保までの40分あまりこの若者と遡行のこと、過疎や野村町のこと等を話しながら標高500mまで登っていく。川の合流点から18kmの川久保で下車し下流に向かう。バスは直ぐ先のUターン可能な所でUターンし下って行く。ここまでのバス賃は200円。10kmまでが100円でそれ以上は200円とお値打ちである。
西予市になった旧野村町は東西に細長い町で、高知県との境から40km以上も西まで伸びた町である。役場は町の西端の野村にあり、旧惣川村まではバスの乗継で1時間以上もかかる。川は四国カルストの麓から流れてくるため石灰岩の影響で少し白濁した色が混じっている。次の停留所には竜馬脱藩の道の案内がある。県道と川との間の綺麗に枝打ちされた杉林には椎茸栽培のほだ木が整然と並べられている。
惣川の中心の手前で県道からコミバスが通った道に入ると惣川小学校の彼方に1,000級の山が続く。あの山の向こうは土佐国である。若い運転手さんが言っていた学校は10年前に建て替えられ、新しい感覚の木造校舎で屋根瓦と木の壁面との組み合わせが好ましい。この小学校にも立派な相撲場がプールの傍らに在る。モンゴル勢に勝る関取の誕生が待ち遠しい。
再び県道に戻り惣川の中心地区の狭い道を進む。交番、農協、郵便局と過疎地域の三種の神器の前を通るが別格の診療所は無い。これが朝の大勢の病院行きの背景であった。今時珍しいタクシー会社が中心部に有る。コミバスの運転はここがやっていたのだ。若い経営者はプリウスを使っている。診療所が無いので町から大きく離れたここでは万一の時の緊急輸送にタクシーが使えるので住民は安心されているだろう。
少しずつ標高を下げ渓谷を下っていくと狭い所に立派な地蔵堂が建っている。直ぐ近くの民家の軒下には珍しい黄色の石楠花が見事な花を咲かせている。春の遡行はこれだから止められない。
県道と谷底との距離が大きくなり川が見えなくなると野村町から一旦肱川町に入る。この辺りの町の幅はたったの700mで首の皮一枚で西の野村町本体と繋がっている。旧惣川村の入口には観光案内板が建ち、ここはこの板の一番左端である。
曲がりくねった道を進むと再び野村町となり、傍らには白い小さな花が鈴なりに垂れ下がっている。帰宅して調べると小手毬という花である。今回は河川遡行記では無く花の紀行記となった。
大成が近づくと渓谷の対岸の小振集落が木々の間から見える。あそこには100m以上の高低差の谷底への下りと上りがある。谷底の橋の調査は大変なのでパスした。
大洲へのバスまで1時間ほど有るので再度ソファーでぼさーっとして時間を過ごす。帰りのバスも貸切状態で運転手さんと四方山話をしながら駅に向かう。
今日の歩行距離:15.3km。調査した橋の数:13。
総歩行距離:5,873.6km。総調査橋数:9,450。
使用した1/25,000地形図:「惣川」(松山4号-3)、「鹿野川」(松山8号-1)