愛媛9-2. 砥部川 平成25年2月20日(水)晴
伊予鉄伊予立花駅に降り立つ。JRに立花駅が有るのでここは伊予が付いている。尼の立花には単身赴任で2年間住んでいたので縁を感じる。交通量の多い2車線の県道を横断し砥部方面に向かうバス停に着く。立花駅前バス停にはバス接近案内システムが設置されておりあと3分で断層口行きバスがやってくるようだ。今日は重信川の支流の砥部川に向かう。バスは川の中ほどの断層口か直ぐ近くの大岩橋行きで、上流までは行ってくれない。合併した旧広田村からの通学バスには沿道の住民だけが利用でき、外部の者は利用できない。銅山川の沿道もそうであるが愛媛県の一部には外部者お断りの市町村が多い。
バスは狭い国道の旧道を南に向かい、砥部の中心部の入口ではバス同士のすれ違いが困難なため、対向バスがやってくるのを待つ所もある。まるで単線の鉄道さながらである。断層口と言う奇妙な名前のバス停で下車し、先ず上流の折り返し点である川登の川上を目指し遡行を開始する。ここまでは広い河岸段丘に砥部の市街地が広がっていたが、この先は渓谷となり過疎地区となる。南に向かう国道379号の道際にミニ地蔵に屋根が付いている。近寄って見ると砥部四国24番とある。この砥部内だけの88か所巡りがあるようである。ミニ88か所巡りは各地に有り、秩父や小豆島などが有名である。国道は砥部焼に因んだ「陶街道」と名付けられている。
川下地区に来ると旧道の川向こうに水車が廻っている。川登水車と名付けられ、直ぐ近くには砥部焼の陶土製作所もある。この水車で陶土を細かく砕くのであろう。大分県の小鹿田(おんた)焼きの水車が有名であるが、ここも陶土を水車で時間をかけて細かく砕き、肌理の細かい陶土にするようだ。
川中、川上と分かりやすい地名が続き、国道が川から離れ高度を上げる地点で折り返し元来た道を下る。国道は標高450m余りの上尾峠のトンネルに登っていく。峠の向こうは肱川の流域である。
川中地区の川向うに庄屋屋敷跡があるので立ち寄る。門の横には屋敷の由来が書いてあり、坪内家は水車を利用した陶土の粉砕で財を成したとある。門をくぐり母屋の軒下に縁台が有ったのでここで昼食とする。小春日和のような天気の元、駅で買ってきた「醤油飯」弁当を開く。松山駅に昔からある弁当で野菜、山菜主体の素朴な健康志向の弁当である。母屋の裏には砥部焼で作られた水琴窟が有り、鉢の水をひしゃくに汲み苔が置かれた壺に注ぐと軽やかな清々しい水滴の落ちる音が聞こえてくる。文字では書き表せない音である。砥部焼の本領発揮である。
渓谷を抜け再び断層口ならぬ断層入口の公園に到着する。国道の駐車場から断層の見える場所に向かう散策路には木製の吊橋が架かっている。こちらは無料ですぞ。断層の位置案内図もおいでおいでと招いている。気にかかり食足が動くので断層を見るため橋に向かう。
木製床の吊橋を左岸側に渡ると橋際に断層の説明板が2枚ある。断層は「砥部衝上断層」という天然記念物の中央構造線が露頭した断層である。北側の古い地層が南の新しい地層に乗り上げたような断層で、その間に更に新しくマグマが貫入したものと説明がある。案内図と現物の両方を交互に何度も見ながら確認をする。何となく分かったようなところで写真を撮って橋に戻り、国道の歩きを再開する。
手元に在る地形図は昭和60年制作の古い物で、道路整備が進んだ現状とは相当異なる地図となってしまっている。浦島太郎の里帰り地図である。地図には記載されていない新しい学校の校舎の壁に巨大な砥部焼の絵が見えるので道草をする。松山南校の砥部分校とあり、今まで見て来た分校とは大違いでこれは分校では無く本校ぞなもし。壁面には砥部の風景が描かれた砥部焼のタイル絵が2階分の大きさで貼ってある。あの水車もあり高い山も描かれている。眩しい南側を見れば絵に描かれた山そっくりの山が見える。地形図で調べるとその尖がり具合から「障子山(H=884m)」のようである。
砥部の旧市街の入口に架かる砥部橋の傍らに大正9年の改築記念の概要が砥部焼で作られて保存されている。現橋は昭和45年に架け替えられているので、その時に移設されたものだろう。碑には工費5,900円、鉄筋コンクリートを鐵筋混凝土と書かれ、設計者、工事監督人等の氏名が載っている。かつては土木部門でも建築と同じく関係者の氏名が前面に出ていたようで、今とは大違いである。建築では設計した建築家の名前がまかり通っているが、土木では公共施設が主体であり個人の名前は埋没している。瀬戸大橋などでも工事関係者の名前は全員の氏名を彫り込んだ石碑がパーキングなどの片隅に設置されている。自分も関与した備讃瀬戸大橋の基礎、下部工工事に係わった作業員も含めた全員の名前の入った名簿が4Aアンカレイジの巨大な壁面の内側に格納してある。
宮内地区まで下ってくると天神橋の親柱には砥部焼の橋名板が色鮮やかに鎮座している。白地にブルーの文字が際立つ。表面がつるつるなので汚れが付着せず、これはいいぞな。
橋名になっている天神さんの入口の神社名の掘られた青石は立派!横にはこの神名は当時有名な書家でもあった神官の三輪田米山の書と解説されている。石の大きさに負けない字である。
直ぐ横の民家には丁度見ごろの紅梅が咲いている。ほのかに梅の匂いがする。天神さんに梅は欠かせない。
断層などの道草と数多くの橋の調査に時間がかかり、予定していた高尾田バス停の1kmほど手前でバスに乗る必要が出てきた。このバスに乗らないと森松バス停から見奈良へ向かうバスに間に合わなくなる。あと2橋ほど残し、断腸の思いで時間ギリギリの原町バス停からバスに乗り込む。泣いて馬謖を斬って温泉に向かう。古いバスターミナルの森松で先日利用した木地に向かうバスに乗る。巨大な日帰り温泉施設のある見奈良温泉で下車し、露天風呂も有る天然温泉を堪能する。馬謖よ相すまぬ。
本日の歩行距離:12.7km。調査した橋の数:37。
総歩行距離:5,608.0km。総調査橋数:9,080。
使用した1/25,000地形図:「松山南」(松山2号-3)、「砥部」(松山2号-4)