岡山-2. 高梁川 (その8) 平成26年12月26日(金)晴
年末となり今年最後?の遡行に出かける。3日前の折返し点の伯備線石蟹駅に降り立つ。今朝早くみぞれが降ったのか道路は濡れている。駅はこの辺りの標準形の姿で、建物の右端に入口、左側が駅事務室で、右の離れがトイレという構成である。この駅のトイレも中身がリニューアルされなんとウオシュレットである。家庭にまで入って来た最新のトイレが駅にまで廻って来た。
駅の直ぐ前の国道180号を北に進む。北行きの車線の端に県道475号の標識が立っている。本来の県道はもう少し先なのであるが、何故か中途半端な場所に有る。国道180号は岡山から米子に向かうので475号は紛らわしいナー。
1kmほど歩くと国道が高梁川を渡る「美郷大橋」に着く。ここの親柱は巨大な彫刻の牛がドンと鎮座している。上流部の千屋は和牛の産地で、千屋牛は岡山県を代表するご当地和牛である。かつて神戸牛、近江牛、松阪牛が超有名和牛であったが、今はどこでもご当地和牛が角を競っている。この橋の親柱は今まで見て来た多くの物の中で最大級である。その堂々とした姿と精悍な面構えは最高の出来栄えである。橋の向こうの左岸側の牛は寝そべっていて表情も穏やかである。
橋を渡り直ぐに左岸側の堤防の上を西に向かう。直ぐに前回は気が付かなかった「新見庄中世たたら」と看板を掲げた倉庫風の建物に出会う。どうやらここでたたら製鉄をやっているようで、建物の前にはノロらしきスカスカの鉄の残骸が並べられている。ここ新見は京都の東寺の荘園地で古くから開けた土地である。出雲を中心とした中国山地は砂鉄の産地でこの地でもたたら製鉄をやっていたのだろう。
10年前に完成した県道33号の「正田橋」の対岸(右岸)にはそのまま真っ直ぐ行けるトンネルが完成している。橋の直ぐ上流で西川が、更に直ぐにその支流である本郷川が西川に合流する渓谷は超狭い谷間で県道は地形に沿った狭い道であった。その隘路をトンネルで解消したようである。橋はそのための露払い役だったのだ。
橋の先でその西川が合流している。伯備線は新見駅を出るとトンネルでこの西川に移り、そのまま県境まで川に沿って遡行して行く。西川の曲がり角には「河本ダム」が有り、そこからの水が正面の発電所に送られて来る。発電所の排水口からは水が流れ出ているので発電中のようだ。
本流は西から北からの流れとなり、川幅も水量も大幅に減っている。市道の「上正田橋」を渡り右岸側の堤防らしき上を北に進む。川沿いのバラック小屋でお婆さんが切った大根をぶら下げている。日当たりの良いここで干し大根を作っているようだ。直ぐの第11高梁川橋梁の1mも無い狭い桁下を無理をして潜り抜ける。ここで伯備線は本流とはおさらばである。
歩いていると突然右足のフクラギに痛みが走る。筋を痛めたようでこれ以後黒田官兵衛歩きとなる。久しぶりに見る堰の水が見事に揃って綺麗に流れている。日本人を体現したような堰の流れである。
県道8号の「金谷橋」を渡り再度左岸側に行く。県道沿いにはこれぞ地方中小市の典型的な市役所の建物が建っている。狭い川沿いの道を北に進むと大きな看板が立っている。この辺りは船着き場だった所で、通称「ケレップ」と言うとある。ケレップとは珍妙な名前である。
市道橋を渡りまたまた右岸に進み川沿いに歩く。川は北から少しずつ西からの流れに変わって行く。北北東から熊谷川が合流する地点の手前に架かる県道32号線の「江道橋」は岡山県には珍しいコンクリートアーチ橋である。河床部が岩盤だから採用できる形式である。
正面の熊谷川には姫新線と中国道が寄り添っている。両者は大河川の中国山地の僅かな隙間を東西に流れる支流を八艘跳びの要領で東西に走っている。
市街地の商店も並ぶ道となり、姫新線を越える。鉄橋の下に向かうと前回×を付けた橋は昨年塗装が塗替えられ○とする。塗装の種別は「エポキシ樹脂系」である。塗装の防錆力は最近一般の道路橋でも塗り替えられてきた「フッ素樹脂系」が優れているのだが、鉄道は敢えてエポを採用している。何か理由が有るのだろう。桁本体が錆びるのよりも車輪やレールからの細かい鉄粉が錆びるので長期防錆力を必要としていないのかも知れない。
1km弱歩くと今日の打ち止め点の新見駅に到着。電車まで1時間弱有るので何度も時間待ちで利用したことのある駅前の喫茶店で遅いモーニングで昼を摂る。この時間普通電車は2時間に1本と超少ない。足の痛みを別とすれば心臓は何ともナイクルサー。
今日の歩行距離:6.0km。再調査した橋の数:11。
総歩行距離:7,744.2km。総再調査橋数:167。
使用した1/25,000地形図:「新見」(高梁11号-1.)