徳島-4. 那賀川(その4平成25年12月17日(火)曇り

 

7時に朝食を摂り8時前に作ってもらった弁当をぶら下げて宿を出る。今日は道の駅の月一のお休み日である。8時までに出ることを前提に予約OKとなっていた。孫の相手用のゴム鉄砲と烹の樹のミニまな板を土産にリュックに入れて8時15分のバスに乗る。帰りのバス時刻を考慮し今日は先に上流側までバスに乗り下ってくることにした。やって来た南部バスは中型観光バス仕様で、遠くからでは路線バスには見えない。整理券の発行器も分かりにくい所に有り、乗車してウロウロと探す。

バスは快調に国道を走り8時35分予定していた桜谷バス停に着く。ここは大きく湾曲する川の根元のトンネルを出た西側である。トンネルの長さはわずか278mで川は東側のトンネル入り口まで延々7キロも曲がりに曲がる。バス停近くに絵地図があり、ここから7キロの道は四国88か所の丁度ミニ遍路となっており、直ぐ近くが88番の大窪寺である。下流に向かう左回りは逆打ちとなる。絵地図はまさに男の急所のようにも見える。直ぐ近くの人道トンネルは更に短く200mも無い。東側には1番札所が有るのだろうから、トンネルを通れば88番から1番にワープできるがそれはご法度である。

 

 01.大屈曲部の根元のトンネルの西側から開始

 02.水崎地区の地図が屈曲の凄さを表示

 

左岸側の町道に入れば普通は古い家並みと主のいない家が目立つ所が多いが、ここは新しい家並みが続きびっくりする。数人の住民とも出合いほっとする。札所は屋根付きの石の御本尊の所が有れば、屋根も寺名も書かれていない石仏だけの物もある。88番から暫くは次から次へと番号が下がっていき、やがてその間隔が長くなってくる。ハハーン、実際の札所の間隔と合わせた配置になっているのだと判明する。札所毎に手を合わせるが、その忙しいこと!

 

 03.新しい家並みが続く桜谷集落

 04.ミニミニ88か所巡りの逆打ち開始

 

家並みが途切れ道が狭くなると枝打ちがなされた杉に囲まれた薄暗い道となる。物の怪が出て来そうな道である。川から相当高くなった道の曲がり角の崖の上の祠は、愛媛県の45番岩屋寺である。本物は標高700mの高みにあり、それを真似た所に祠はある。

 

 05.薄暗い杉並木の中に入る

 06.岩屋寺と同じように崖の端に立つ祠

 

急所図の右側の突端部に水崎大橋が架かっている。橋際の南側からは葛ケ谷の清水が本流に流れこんでいる。

本流の直ぐ下流側の町道沿いに製材所が現れ、杉の丸太が見事に皮を剝がれ30秒ほどでポイと投げ出されてくる。面白いので暫し見とれる。

 

 07.葛ケ谷の清水が合流

 08.この機械で杉丸太は丸裸に

 

道は南から東、更に北へと方向を変え、札所も30番台となる。索道が川向こうから張り渡され対岸の山は頂上から川まで伐採の真っ最中である。餅は餅屋で上手くやるものだ。

 09.山の上まで杉を伐採中

 

札所が再び頻繁に現れ忙しく手を合わせていると第一番の霊山寺に到着し、無事に新四国88か所巡りを終える。直ぐに人道トンネルが現れ、西側の出口も見える。ここを88か所巡りの地にした人たちは凄い。みなさんここに来られる時は1円玉を88枚ご用意ください。更に進むと国道トンネルも現れる。トンネルの完成は昭和46年なので、それ以前は今歩いて来た道が国道であったのだろう。大幅な短縮である。

 

 10.第一番の霊山寺に到着

 11.お遍路はこのトンネルの東口から始める

 

歩道の無い国道を大型車に気をつけながら川下に向かう。大型車は早めに反対車線を通過してくれるが、軽などは当方の直ぐ脇を速度を落とさずに通り過ぎる。警察庁さん!歩道の無い道路を人が歩いている時は30キロ以下の速度で走るよう道交法を改正してちょーよ。

4キロほど下ってくると県営の日野谷発電所が現れる。この発電所は上流の長安口ダムの貯水池から導いた水を利用している。そのため此処までの川の水量は大幅に減っていた。丁度予定していた川口行き南部バスのやって来る時刻なのでここを潮時とする。途中1か所の橋は直接目られないが、バスからの観測とする。やって来たバスは朝と同じバスである。川口で徳島駅前行き徳バスに乗り変え、2時間の長いバスの旅で帰路につく。

 12.日野谷発電所は徳島県営

 

今日の歩行距離:11.2km。調査した橋の数:6。

総歩行距離:6,610.2km。総調査橋数:10,326。

使用した1/25,000地形図:「桜谷」(剣山10号-1)

 

徳島-4. 那賀川(その5)前半 平成26年2月3日(月)霧のち曇り

 

遡行を土佐から阿波に久しぶりに変え戻る。徳島県一長い川、那賀川の続きをするべく、徳島駅から川口行き徳バスに乗車。今朝は気温が高く岡山は何処も霧が発生し、列車は5分程度の遅れで走っている。徳島駅前からのバスに間に合うかやきもきしたが、高徳線は高松発車時刻が若干遅れただけで、遅れの増幅は無く無事間に合った。終点の川口で徳島県最南西端の日和田行き南部バスに乗り換える。前回の最遠点の桜谷に12時5分到着。6時間弱の旅である。

那賀路は山また山の中である。左岸側の川沿いの国道195号を「行くゴー」、まるで和英辞典である。大きく回り込むとカーブの彼方の渓谷が少し広くなった所に建物が密集している。元上那賀町の中心小浜地区である。病院、郵便局、役場、中学校と連なっている。新那賀町になった流域のかつての五つの町村の役場は何れも町村域内の川の下流部に有る。水の集まる所が便利なのである。大きくなった新那賀町の役場は最下流の元鷲敷町に有るのも宜なるかなである。

 

 01.狭い渓谷に病院、郵便局、支所、中学が並ぶ

 

国道沿いの建物群を通過し再び廻り込むと小浜大橋となる。対岸(左岸)の渓谷には大量の土石が道路から川面にダンピングされている。こんなに大量の土石を谷間に落とし込むとは信じられない。ダムに溜まった土石の浚渫後の仮置き場なのであろうか。仮置きで後日別の場所に移動するのなら良いが、増水時が心配である。橋際には県から国への管理境界標識が立っている。この先のダムとダム湖が国(那賀川河川事務所)の管理となっている。

 

 02.大量の石が渓谷に落とし込まれている

 03.長安口ダムが近づくと再び国管理に

 

国道とは一旦別れ、対岸に架けられている吊橋に向かう。9トン以下の荷重制限は有るが車も通れる長安口吊橋のアンカーはトンネル形式になっている。瀬戸大橋の下津井瀬戸大橋のアンカーの大先輩がここに居た。ダムの左側(右岸)では新たなゲートの増設工事が行われている。

 

 04.ダム下の橋は吊橋

 05.長安吊橋のケーブルはトンネルの中に

 06.ダム左側ではゲート増設工事が

 

国道に戻り、ダムに向かう坂道を登って行く。ダムサイトは極めて狭く、工事関係の車が数台国道との隙間に駐車している。道路際にはダムの緒元と関係者の名前がずらりと縦に並んでいる。横書きにするスペースが取れそうにもないようだ。昭和30年完成のかつては県が管理していたダムを国が管理するようになって新たなゲートの工事が進んでいる。工事は昭和にダムを完成させた鹿島とゲート製作メーカの日立造船が異業種ジョイントベンチャーを組んでやっている。かつて来島海峡大橋の下部工発注に当たり、コンクリートケーソンの製作を含める必要から造船所での製作が不可分なので造船会社とジェネコンとの異業種JV結成、発注事務をしたのを想い出す。

 07.昭和30年完成のダムの関係者名がズラリと

 

手元のミニ温度計は15度を指し今日は春の暑さで、ブルゾンもセーターも脱ぎシャツ2枚だけで歩くが、それでも汗が出てくる陽気である。満水状態の湖岸から遠く離れたダムを見るとステージングを組み、水を抜かないで満水状態のままでゲートの増設工事をしている。これは難しいぞ。道路際に見慣れた那賀町の地図が有ったのでカシャ。

 

 08.工事は鹿島・日立造船の異業種JVが施工

 09.上那賀地区の案内地図

 

無風快晴の天候でダム湖は周囲の山々を鏡のように映して幻想的である。ダムから2kmほどの地点で川と国道は大きく湾曲し、自然一杯の中、湖岸の橋と遥か遠くのダムだけが人工物として見える。帰宅して調べると、ダム湖には大量の土砂堆積物が埋まり、ダムの機能が低下しつつあると分かる。あの渓谷の土捨て場はこの湖底の堆積物なのかも知れない。

 

 10.無風の湖面は鏡のよう

 11.直角に曲がる湖岸から遠くのダムを見る

 

やがて戸数10戸にも満たない対岸の大戸集落に渡る大戸橋がダム湖にその姿を現す。戸数が少なくても対岸に渡る補償は必要なのであろう。橋は完成当時の最新形式であったニールセンアーチで、上下のアーチ材の間を鋼線で繋いでいるのが特徴の橋である。橋際には南部バスのバス停と時計の有る待合所も有る。

 

 12.大戸地区に渡る橋はニールセンアーチ橋

 13.10戸に満たない大戸地区のための橋とバス停

 

大きく弧を描いたような川沿いの旧道も終わり半島の根元を長いトンネルで通過していた新道に合流する。旧道は3キロ、トンネルの新道は1キロである。この出会った所の地名が出合。またまた出ました出合。実は国道では無く、本流と剣山の南面から流れてくる最大の支流「坂州木頭川」との合流点なのである。合流点もダム湖になっているので合流点なのかどうかは見ただけでは分からない。ここで国道は西に向かう195号と北西に向かう193号に別れる。分岐点には出合橋が架かっている。橋際のバス停は東西に走る南部バスと支流の奥に向かう那賀町営バスの乗り換えバス停となっている。後日の支流遡行のために時刻表を写真に収めておく。

 

 14.国道の出合大戸トンネル西口に合流する

 15.出合バス停は南部バスと町営バスの乗換え場所

 

戦後間もない昭和29年完成の出合橋は当時の最新形式のゲルバートラスである。ダム完成に先立ち竣工させたのであろう。橋の中程には南側に口を開けている狭いトンネルに進入を制御する信号機が有る。橋は2車線なのにトンネルは1車線とちぐはぐなことをやったものである。コンクリート覆工の無い岩肌が露出したトンネルを通過する。南側坑口側では湖岸沿いに桟橋状の橋が仮設されている。近い内にこのトンネルと橋は新しいルートに変わるのであろう。

左岸側から右岸側に国道は変わり、屈曲をしながら西に向かう。ダム湖に架かる吊橋は幅が狭く、橋際には最大3名までの通行と書かれている。そう書かれると渡るのには勇気が必要だ。

 

 16.出合橋の先のトンネルは1車線で信号有り

 17.この橋には人は三人まで

 

やがて短いトンネルと落石覆いが続く区間となる。対岸が大きく突き出した地点では突き出た部分が濃い色で湖面に映り、それ以外の部分は薄い色に移りまるで島のように見える。備讃瀬戸に浮かぶ大槌島に瓜二つの姿である。

 18.離れ小島のように見える

 

更にトンネルの続く区間を越えると南からの支流が合流する平谷地区に入る。河岸段丘の上に大きな集落が形成され、小さく古い旅館が2軒もある所である。国道から狭い路に入り今宵の宿に向かう。汗をかいたので風呂に入らなくちゃー。

本日の歩行距離:13.0km。調査した橋の数:7。

総歩行距離:6,814.9km。総調査橋数:10,470。

使用した1/25,000地形図:「桜谷」(剣山10号-1)、「長安口貯水池」(剣山10号-3)