岡山-2. 高梁川 (その7) 平成26年12月23日(火)晴
12月には珍しい寒波も収まり本来の天候となり高梁川遡行に出かける。心臓の調子が悪いという検査データが出、セーブする必要があるので今日は9時台に庭瀬駅から新見行きの電車に乗る。当初の予定では5年前と同じように前回の折返し点の井倉駅から2駅先の新見駅まで歩く予定であったが、次の石蟹駅までの8kmの歩きとした。
雪の無い旧道を西に向かうと複線の第8高梁川橋梁が見える。川はここから何度も曲がりくねった線形となり、伯備線電化の折川沿いに伴走していた線路を放棄し、井倉と石蟹間を一直線に橋とトンネルで短絡し複線電化をした。この結果この間の駅間距離が1.2kmも短縮され速度も向上した。複線の橋の縦リブの有ると思しき所の全てに錆が生じている。縦リブは桁のウエブの裏側に有るので良く分からないが溶接に問題が有ったのかも知れない。前回は◎にしていたのでその変化に驚く。
やがてトンネルで井倉の集落を避けて来た国道180号に合流する。国道は川といつまでも一緒に曲がりくねって進んでいる。かつては右岸側を走っていた伯備線は姫原地区で橋で川を渡りトンネルに入って行く。この橋は後から完成したので続き番号が無く地区名を橋梁名に入れている。こちらは前回の◎ほどでは無いが大丈夫である。国道はこのトンネル入り口の上を通過するため橋の内側の構造が良く分かる。
幸田地区で国道は大きく湾曲し右岸側を進む。曲がるとやがて真っ赤に塗られた高梁川最初の吊橋が現れる。対岸の矢茂地区に渡る自歩道橋である。袂の主塔には塗装履歴が掲げられ、今年の3月にお化粧直しをしたと得意げに書いてある。なんとフッ素樹脂塗装である。これは本気でこの吊橋を管理して行く意気を感じる。
前回と同じくこの橋を渡り対岸の廃線跡の自歩道に入る。道は良く整備され地元住民の車も利用できる状態である。左側には半径300m、速度60km制限の鉄道標識も残っている。300mカーブの連続が廃線になった一つの要因であろう。
向尻地区で廃線路は旧第9高梁川橋梁を渡っている。橋を渡って直ぐに下の国道180号に戻る。重いデコイチが走っていた鉄橋を今は自転車と人と時折車が通る橋で、その荷重の違いは大きく、橋の状態は鉄道橋としては×であるが、その分厚い桁の板厚を考えると△としておく。
西側に平地が広がる長屋地区に入ると何とそば屋が有る。時刻は丁度12時過ぎで店に入る。遡行では珍しい温かいホンマモンの食事を摂り身体も温まる。30分ほどゆったりと食事と休憩を取り国道に戻る。
やがて東から大きな支流である小坂部川が合流する。高梁川は西側からは大きな支流が数多く合流するが、東側は旭川と競り合っているので大きな支流は有漢川とこの小坂部川ぐらいである。川名は小坂部であるが、上流に有る姫新線の駅名などは刑部である。合流点の直ぐ北に架かる県道78号の「新川合橋」の親柱は毛槍持ちである。新見の祭り「土下座祭り」の大名行列の毛槍持ちであるが、その身体は4等身ぐらいで顔は童顔である。漫画の世界である。
直ぐ隣の旧道でもある県道442号の「川合橋」は下流側に歩道をくっ付けた構造で、橋脚を拡幅、追加することなく方杖で歩道部の桁を支える構造である。この桁は全国的に珍しいアルミ溶射の桁のようである。これだけの規模の橋では珍しい。
広瀬地区に向かう「広瀬橋」を渡り左岸側の平地の中を進む。平地が尽きた所で再び右岸に向かう「上広瀬橋」を渡る。直ぐ前は石蟹駅であるが、東側のこちらには駅の入口が無く大回りして西側の国道から駅に向かう。
途中の駅の東側は5年前は施設の建設中であったが、今は立派な陸上競技場やサッカーの練習場が出来ている。昔野球場、今サッカー場である。間にある神社の川向こうには浸食された無残な姿をさらしている山が迫っている。良いとこ取りした姿で、ちゃんと修景してくれと神社の神様がおっしゃっているよ。
13時10分に駅に着き、19分発の2両編成の好きな旧マリンライナーで帰路につく。なんとか歩けそうだが・・。
今日の歩行距離:8.0km。再調査した橋の数:11。
総歩行距離:7,738.2km。総再調査橋数:156。
使用した1/25,000地形図:「井倉」(高梁7号-3)、「新見」(高梁11号-1)