日本あちこち河川遡行記(その第174回) 

徳島-2. 園瀬川(その2)平成25年10月28日(月)快晴

 

台風27号接近に伴う大雨も過ぎ去り絶好の遡行季節到来。朝、駅に向かう自転車に乗ると寒い!手元のミニ温度計では8度である。季節を短い春、秋を省略し夏、冬の2季に分けると今日は冬の初日である。

昨日所要で広島に向かった折、広島駅前から広電に乗ると駅前を出て直ぐの車窓に真っ赤なマンホールが見えた。太田川遡行時にはごく普通のつまらないマンホールしか目につかなかったので、これは新作だと直感する。帰路に広島駅の一つ手前の電停「猿猴橋通り(えんこうばし)」で下車。有る有る、広島カープのマスコットの絵が。新広島球場が広島駅の東側に完成した時に設置されたのであろう。マンホール蓋の色は赤であるがこれぞ白眉。ちゃっかりとモミジが入っている。それにしても広島は外人観光客が多い。原爆ドームがお目当てで、街中ではお好み焼き屋にも外国人が多い。

 00.広島駅付近はズバリカープじゃ

 

岡山駅からの予定していた快速の1本前の快速がホームに停車していたので乗り込むと直ぐに発車。接続列車遅れ待ちで4分遅れで発車したのに乗り込めた。高松では予定していた特急の1本前の列車に乗り込め、先日とは反対である。徳島からのバスは2時間に1本で、初電に乗っても真に合わない9時の次は11時05分発である。

バスまで1時間半ほど有るので市内の真ん中を流れる「新町川」に向かう。駅前から眉山に向かう広い道を南に進むと新町橋が現れる。対岸に渡ると橋の袂には橋の由来を記した解説板がある。ここが徳島の中心で、江戸時代には川の両岸に数多くの白壁の土蔵が立ち並び、多くの藍運搬の出船、入船で賑わっていたとある。

 

 

 01.徳島の城と眉山を結ぶ道の新町橋の解説板

 

右岸側の橋の袂は木製床の広場になっている。阿波踊りの時ここは絶好の踊り場となる。こういうのを踊り場と言うのじゃ。ここから500mほど下流の両国橋までの右岸側の遊歩道は木製である。

 

 02.橋の袂は木製床の広場

 03.新町川右岸沿いの遊歩道は木製だ

 

珍しい木製の遊歩道を東に向かうと対岸(左岸)の護岸にはなんとあの青石が使われている。豪勢じゃのー。さすが幕末時には日本10大都市に数えられていた城下町である。淡路島は阿波路からきており本来は四国阿波の領地である。明治のどさくさで兵庫に取られてしもうた。

今日歩く園瀬川は吉野川とは縁が無いように見えるが、吉野川水系である。吉野川の河口付近から分流するこの新町川が河口付近で園瀬川に合流するので吉野川一党に加えられている。直ぐに両国橋となり、かねてから狙っていた親柱に取りつく。親柱は当然阿波踊りである。黒御影石にはレリーフが埋め込まれ、これを台座として男踊りと女踊りの二体が相対して踊っている。男はん少し腰の位置が高いでないかい。銅像は岡山ではよく見かけたが他県では珍しい。

 

 04.護岸は貴重な青石だ

 05.これぞ青石の産地徳島だ

 

 

 06.両国橋の親柱は当然阿波踊り

 07.レリーフと銅像のダブルだ

 

歩道には二人の男衆が踊り、高欄には男女の踊り手と鳴り物入りの欄間風の連が挿入されている。橋は踊りだらけである。エライヤッチャ、えらいやっちゃ。

 

 08.歩道の床にも踊りが

 09.高欄にも欄間風の連が、エライヤッチャ!

駅前に戻りスタバで時間を過ごし、11時05分発の神山行きバスに乗り込み先日の折返し点である西地バス停に向かう。西地手前の木製の潜水橋は今回の大雨の増水で路面が流されているのを車窓から発見する。対岸は木工所なので直ぐに復旧させるであろう。

西地から川沿いの国道438号を南に向かって出発進行!直ぐに徳島市から佐那河内村に入る。今や徳島県唯一の村として残った村が県都徳島市に隣接しているのが珍しい。規模は違うが盛岡市に隣接する滝沢村と類似している。

 10.徳島県唯一の村に入る

 

歩道の無い国道の見通しの良い側を道路の右に左にと変えつつ上流に向かう。水面ギリギリに設置された潜水橋が増水した川にアップアップの状態になっている。一ノ瀬を過ぎると道は低い山に囲まれた渓谷に入って行く。ここから3kmがこの川の白眉である。

 

 11.潜水橋はアップアップの状態

 12.ここから渓谷に入る

 

谷間が少し広がると国道にマンホールの蓋が現れる。直ぐ近くには公衆トイレとミニ処理場も有る。徳島ではなかなかお目にかからなかったマンホールがここ佐那河内村に有る!この村はたいしたやっちゃ。図柄には名産のスダチも描かれている。

 

 01.村に入ると直ぐにマンホールが現れる

 

国道は尾境橋を過ぎると、川が大きく曲がりくねって流れるためこれを迂回して低い峠を越え短絡している。尾境橋を渡り暫し国道と別れる。小さな集落の先に潜水橋が有りそうなので立ち寄り、その先を進むと深緑色の淵が現れ、下流には先ほど見た潜水橋も見える。これぞ四国だ。渓谷の川沿いの村道を南に進むと東側から県道18号に達し、直ぐに西に方向を変えると落合橋である。またまた有りました落合橋が。一体日本にはいくつの落合橋が有るのだろう?橋を渡り国道に向かうと西からの本流と東からの支流である嵯峨川が落ち合っている。水量は五分五分と言う所か。

 

 02.緑色の淵の先には潜水橋

 03.ここが園瀬川と嵯峨川の落合部

再び国道を西に向かうと南側の山波の稜線に数多くの風車が立ち並んでいる。その数10基以上。東西に延びる山波の向こうは次に歩く予定の勝浦川が流れている。

 

 04.南の山の尾根には風力発電の風車が並ぶ

 

お昼も過ぎ適当な場所を物色しながら歩いていると国道脇に丁度都合の良い青石のベンチが見える。大宮神社の境内の木陰にいらっしゃいと声をかけてくれる。朝は寒かったが今は暑いぐらいで木陰が有り難い。徳島駅前のコンビニで買った弁当を食し暫し休憩する。本殿の横には錆色の異様な木肌をした梛(なぎ)なる樹が聳えている。なんとも強烈な色と模様の樹で、梛なる樹は初めてお目にかかる。

 

 05.この青石の素敵なベンチで昼を摂る

 06.大宮神社の梛(なぎ)の樹肌は異様

 

村の中心である中辺地区に来るとなんとコンビニが有る。国道とは言え村にコンビニが有るのは想定外である。四国ではメジャーなサンクスである。大手3社は四国には数が少なく市街地にしか無いが、サンクスはここにも有るのだ。

村役場、駐在所、JA、診療所、小中学校とみんーな揃った所を過ぎると「村のおっさん」なる看板を掲げた万屋が国道に沿って店を構えている。傑作な店名で一度見たら忘れられない店名である。

 

07.村にもコンビニが有るのだ!

08.「村のおっさん」はおもろいおっさん

 

朝宮地区にやって来るとその名前の神社が山を背に現れる、国道に接した境内にある銀杏の樹も色づき始めている。秋が深まってきたのだ。

 09.朝宮神社の銀杏が色づき始める

 

ここから西は道幅が狭く、家屋が迫っているため国道は川の南側にバイパスされ、川から離れ府能峠のトンネルに向かって行く。当方は1車線幅の旧道をそのまま西に向かう。やがて南から流れ落ちてくる音羽川が合流する地点にやって来る。出合点に架かる橋名は「出合橋」。今日は橋名数東西の横綱に出会った。

 

 10.右:園瀬川、左:音羽川の出合

 11.ここにも出合橋が架かる

 

ここから先は急に川幅が狭くなるのと、予定していたバスより1時間半ほど前に嵯峨川の方に立ち寄るバスがあるのを知り、やがてやってくるのでここを打ち止め点としてバスに乗り込む。出合が終わりである。バスは貸切状態で南側の山を越え嵯峨川の谷間を下って行く。川の終わりが落合で、再び落合橋をバスで越える。昼前にはいなかった橋の特殊検査車が橋上に止っている。岡山で出会って以来の作業車である。

 12.落合橋を特殊検査車で調査

 

貸切のバスで運転手さんと話をしながら歩いて来た道を徳島に向かう。先日見た木製の潜水橋の桁部分が流されていたと話すと、その地点でバスは止まってくれたのでカシャ。徳島からは1本前の特急に間に合い帰路につく。

 

 13.バスをわざわざ止めてくれた流された潜水橋

 

本日の歩行距離:10.2km。調査した橋の数:22。

総歩行距離:6,422.9km。総調査橋数:10,191。

使用した1/25,000地形図:「石井」(徳島12号-2)、「阿波三渓」(剣山9号-1)