愛媛8-1.銅山川(その2) 平成25年5月13日(月)快晴

宿題を残したままにしていた吉野川最長の支流「銅山川」の歩きを再開することにする。1月19日に本流との合流点から遡行を始め、徳島、愛媛の県境を越え新宮まで歩いたが、そこから先に向かうバスが無いため如何すべきかお蔵に入れていた川である。
いつも乗る松山行き特急「しおかぜ1号」がやって来ない。途中の香川県内の踏切事故で運行取りやめと放送がある。止む無く1時間20分後の3号までジパング倶楽部の静かな待合室で時間を過ごす。この遅れで歩く時間が短くなり厳しい山道歩きになる。いつもは座席が半分も埋まらない車内は2列車分の客で満席となり出発する。児島からJR四国の乗務員に変わったが1号運休の理由とお詫びの放送が無い。詫間を出た所でベテラン車掌が車内を廻って来たので、放送で1号休止理由とお詫びを言うべきだと言うと、ご意見ごもっともと観音寺駅を発車した後で放送をした。
10時前に伊予三島駅に降り立つ。初めて降り立つ駅であり、これで準急並みの予讃線の特急停車駅は全て乗り降りしたことになる。バスが無いため駅前から断腸の思いでタクシーに乗る。国道319号はぐんぐん高度を上げ400mを越えた所で法皇山脈を長いトンネルで越える。銅山川の広い谷間に降り、川を跨ぐ平野橋で車から降りる。柳瀬ダムで堰き止められて出来た金砂湖はここの所の晴天続きで水位が下がり、普通の川の状態になっている。ここは今では四国中央市になったが元は金砂村である。橋の手前には支所と交番が有り、ここが村の中心であったことが分かる。銅山川に金砂村、金編の地域である。

01.この平野橋から開始

02.金砂湖は水枯れ状態

橋の南側は三叉路になっており、左に曲がればこれから下る国道319号で、右に曲がれば県道6号で別子山までの長い渓谷が続く。車の大半は県道に向かい、左には曲がらない。当方はさあー行く(319)ぞー。右岸側を歩き始めると直ぐに砂金採取跡の碑が建っている。かつてはこの砂金採りで賑わっていたのであろう。元金砂村はダム建設による水没と資源枯渇でゴーストタウンとなってしまった。国道脇の大きな椿からは大量の花が落ちており、三船敏郎の椿三十郎を思い出す。

03.「金砂村」の村名の元は砂金採取

04.国道脇は椿三十郎状態

橋までは整備された2車線の国道であったが、橋からは四国名物の1車線の酷道になった。途中では落石防止柵設置のための工事中で暫し歩きを中断される。酷道はダム湖沿いの曲がりくねった地形に忠実にトレースして曲がっている。地形図には人家らしき物が記入されているがそれらしき建物は無い。酷道の両脇は杉と桧の森が続き川面は見えない。昨日の町内会の側溝掃除の後遺症の足腰の痛みで歩きづらい。
2時間ばかり歩き柳瀬ダムに向かう道に入りダムが真下に見える管理所に入る。ダムの上を歩き対岸の狭い道に入れるか尋ねると、発電所の管理用道路で立入は出来ないとのこと。止む無く来た道に坂道を登る。このダムは規模は小さいが国の直轄管理になっている。発電、利水、洪水調節と多目的であることと、かつての川の水の取り合いがあった阿波・伊予戦争の名残があり、県管理にする訳にはいかなかったのだろう。

05.柳瀬ダムが眼下に有る

それにしても家の無い地域である。車も1時間以上やって来ない。先日歩いた祖谷川の祖谷渓は渓谷のスケールは大きいが車は少しは走り、バスも通っていたがここはなんちゃ無い。これではバスも無いはずである。ダムを外れ道は川から離れぐんぐん上がっていく。川は勿論見えず水音も聞こえない。突然国道沿いに1軒の家が現れる。最近建て替えられた家のようで生活の匂いがする。別世界から現実の世界に戻った感じである。昼を摂る適当な場所が見当たらず彷徨していたが、路脇に丁度座るのによさそうな岩を見つけ、岡山駅で買っておいた駅弁を広げる。マダニによる死亡報道があってから草地に近づくのには気をつける。マダニにやられるのはヤダニー。

 06.2時間半歩いてやっと出会えた家

道はますます登りが続き川面まで100m以上の標高差となり、人はもとより車も通らない。バスの時刻も有り登り道を汗をかきかき必死に歩く。やがて旧金砂村から旧新宮村に入り、町境を流れる中の川に架かる橋を渡ると再び川に近づき安心する。対岸に4時間ぶりの集落が現れ、国道は右岸から左岸に渡る。下流の新宮ダムに堰き止められたダム湖はこちらも水枯れで普通の川になっている。

07.4時間歩いて集落に再会

08.国道319はここで左岸に渡る

左岸側から右岸の山を見るとはるかの高みに民家がポツンと建っている。川から300mは有りそうな高みである。それにしてもこの大きな川沿いに民家が無いのは不思議である。銅山からの鉱毒で逃げてしまったのかとも思ってしまう。足尾の渡良瀬川を想い出す。

09.はるか彼方の山の中腹に家が

奥ノ院なる寺に上がる道が沢に現れ、頭上高く岩肌に寺の舞台が建っている。酷道はそのまま左岸側の山裾を登って行くが、当方は直ぐの古野橋を渡り再度右岸に戻り、曲がりくねったアップダウンの連続する細い道を東に向かう。後を振り返ればダム湖に架かる橋と道路沿いにポツンと立っている木が面白く写真に収める。

10.絶景でしょう?

ダム湖に岬状に突き出た地形に忠実になぞる道を進むとやっと新宮ダムの管理所が現れ、今度は時間が無いのでやり過ごし下のダムに向かう。こちらは独立行政法人の水資源が管理をしている。ダムの頂上の道を対岸に渡りそのまま下流に向かう。ダムの直下は水が全く無く、一滴も無駄にすまいと言っている。直ぐに高知道が川を挟んだトンネルから顔を出し、銅山川を4車線で渡っている。今まで高速道は頭上遥か上を跨いでいたが、ここでは足元を通過している。ここは標高200m強で、川之江東JCTからの本線縦断を考えればこの高さがぎりぎりの高さであろう。

11.今度は新宮ダム

12.高知道がトンネルの間で顔を出す

遥かの高みを通過してきた国道が50mほど上を並行しており、ダムからのこの道も旧道に合流し、沢を曲がれば最近完成した新道にくっ付く。法皇山脈を横切るもう1本のトンネルである堀切トンネルからの市道が合流する地点から酷道は再び国道となり、歩道も完備された2車線の道となる。今日はこの酷道のままの道をずっと歩いて来たことになる。この利用状況では改良する気も起らないだろう。
改良された国道の下り坂をホイホイと降りてくると国道脇の茶畑で夫婦らしき二人が茶摘みの真っ最中である。お茶を摘むのなら今でしょう!反対側には川の管理境界標識が建っており、下流側は県管理、上流側はダムが続くので国の管理となっている。ここにも逆転管理が有った。

13.夏も近づく88夜・・

14.ダム群エリアは国の管理

前回の折返し点の見慣れた景色が現れ、予定していたバス停に着いて5分でバスがやって来た。滑り込みセーフ。1日4本の堀切峠越えの伊予三島駅行き瀬戸内バスに乗り込む。駅の手前のバス停で降り、駅前にあったつまらない図柄とは異なる図柄のマンホールを物色しながら駅に向かう。在った!図柄は山と花で意味は分からないが良しとする。次回も今日のスタート地点であった平野橋までタクシー利用とし、上流に向かうことになるだろう。

 15.旧:伊予三島市は山と花

本日の歩行距離:18.5km。調査した橋の数:8。
総歩行距離:5,926.1km。総調査橋数:9,507。
使用した1/25,000地形図:「伊予三島」(高知5号-3)、「伊予新宮」(高知5号-1)