徳島1-1.鮎喰川(その1)平成24年10月2日(火)晴一時曇り

今日から2泊3日の予定で鮎喰(あくい)川の遡行を開始する。おどろおどろしい名前のこの川は徳島県のほぼ重心位置の県中央部から東北東に流れ、徳島市の西で吉野川本流に合流する延長43kmの最初の大きな支流である。日帰りでは往復に時間を取られので連続して歩くことにした。台風の影響による雨がやんだ天候が安定した今日をここぞと出発する。
徳島駅前から徳島市営バスに乗り、町の北西側の「科学技術高校前」のバス停で下車する。最近は「○○工業高校」では生徒が集まらないのかナ。狭い道を北に向かい合流点近くの高徳線橋梁を目指す。安定した秋空が広がり絶好の遡行日和である。高徳線橋梁を調べ、その直ぐ上流にある潜水橋を渡り左岸側を上流に向かう。丁度特急「うずしお」が旧型車で通過していく。

01.本流合流部近くの高徳線橋梁を渡る特急

02.早や潜水橋が現れる

川は支流にもかかわらず河川幅が広く400m余り有り、親が横綱級なので子も小結級の幅と風格がある。洪水時の親からの影響が子に及ばないよう河川敷きが広く取られているようだ。
南南西の方向に向かうと川向うに今日も眉型の眉山がくっきりと見える。県道30号の中鮎喰橋の親柱には、川名の基になった鮎と眉山を歌った歌碑が嵌められている。

 03.鮎喰川左岸堤防から見た眉山

04.中鮎喰橋の親柱には鮎が居るちゃんと居る

05.反対側には眉山を歌った短歌が
JR徳島線の長―い鉄橋と国道192号を過ぎると4kmあまり橋は無い。徳島市の中心部は北に吉野川、西にこの鮎喰川、南に眉山と園瀬川、東に紀伊水道と水に囲まれた地で、これが発達した要因のようだ。左岸側の堤防の西には16番観音寺(同名の寺は香川にも有る)、15番国分寺、14番常楽寺と続いている。
平野が尽き広い谷間に入る入口の一宮橋を渡り右岸側を歩く。秋のシーズンとなり多くのお遍路さんと出会う。今年はうるう年で、よりご利益があると言われている88か所を逆回りする「逆打ち」をしている。狭い県道を進むと、右に13番大日寺、左に阿波一宮が県道を挟んで向かいあっている。神社の手前には一宮城址の解説板もあり、この地が古代から阿波のパワースポットであったようだ。大日寺は境内が細長く狭い。山門をくぐると左に本堂、右に大師堂と合掌した掌の像が有る。掌の両手の間には観音様が鎮座まします。神社と寺の門は見事に向い合せになっており。その間の狭い県道を車が通り過ぎて行く。

 06.阿波一宮の社殿

07.13番大日寺の狭い境内

08.大師堂と合掌した掌の像

09.寺から向かいの神社を見る

10.今度は神社から寺を見る

南側から山が川に迫る所から西側を見れば、悠々と流れる川に潜水橋が自然に溶け込んだ風景が見えこれぞ四国の川と橋である。

 11.これぞ四国の川と橋!

道路際の道路情報版に「あっわっ発見伝」なる表記が見える。情報版にダジャレを織り込んだ観光キャンペーンを載せるのは本末転倒であるが、その努力に免じて許す。道路際に真っ赤な果物らしい物が見えるので近づくと熟した柘榴で、今どき柘榴を見るのは珍しくカシャ。

12.誰じゃ情報板にダジャレを載せたのは

13.珍しや柘榴が鈴なりに
移転された徳島駅裏にあった刑務所が丘の上に有るのを見やり、川は狭い渓谷に入っていく。刑務所を見るのは広島の太田川(本川)以来で、市街地に有る広島刑務所は遡行後脱走事件が起こり世の中を騒がせた。
川が大きく曲がる地点を過ぎると徳島県から名西郡神山町に入る。ここはスダチと椎茸が名産で、椎茸は大きく肉厚な見事な物を産出しており、時々デパートで買い食している。町の観光案内板が立っているが、ここは町の右上で、この町を縦断し、左下の源流部をこれから目指すことになる。

 14.名西郡神山町に入る

森林公園入口のバス停を今日の切りあげ点として徳島駅行きバスに乗る。先日も利用した駅前の温泉付きのホテルで風呂に入り、今日の疲れを取り明日に備える。今日もビールがうまいぞ!

今日の歩行距離:16.5km。調査した橋の数:12。
総歩行距離:5,051.7km。総調査橋数:8,429。
使用した1/25,000地形図:「坂東」(徳島8号-3)、「石井」(徳島12号-2)