京都1-1.木津川(その1) 平成26年5月23日(金)晴れ時々曇り
昨夕は源氏の湯での会食を終え、最寄りの近鉄大久保駅から京都行きに乗り、当方はビジネスホテルのある小倉駅で下車し友と分かれた。朝7時30分にホテルを出て小倉、丹波橋と乗り継ぎ再び八幡市駅に降り立つ。当初の予定では宇治から宇治川、瀬田川と遡行し石山駅まで歩く予定であったが、会食の席でこの秋にでも続きを歩きたいとの要望があったので、秋に繰り延べ急遽木津川を歩くことにした。
八幡市駅前の観光地図にはこれから歩く木津川が円周状に描かれている。
想定外なので淀地区から南の地図の用意が無く地図のある範囲のみの歩きとし、地図の端近くの上津屋の流れ橋までの歩きとする。木津川最初の橋は昨日調査しているので京阪の鉄橋から開始する。
土手に向かうとこれから歩く左岸の土手の道は自歩道専用道となっている。有り難い。京阪の土手を潜り木津川の土手に向かうと大きな河川看板に大阪湾からの距離も表示されている。支流であるが本流の扱いで、さすが三重県の伊賀から流れてくる大支流の扱いは別格である。
京阪の橋は宇治川の橋よりも長く母屋が奪われた感じである。今日も8両編成の特急が10分おきに通過して行く。大山崎での三河川の合流点からの距離表も備わっている。厳密に言えば宇治川に先ず木津川が合流し、500mほど下流で桂川が合流するのであるが多分桂川の合流点は無視しているのであろう。
左岸の土手の上の自歩道は途中で広い道となり、多くの自転車と地元の人が歩いている。河川敷は宇治川と同様他の大河川に較べお粗末な状態で、河川公園、緑地にはなっていない。淀川河川事務所は他地整の川を良く見てくる必要がある。土手の川側にはアザミらしき花が一面に咲き誇っている。
40分ほど歩くと国道1号線の木津川大橋に行きつく。4車線の道路を横断して次の第二京阪の橋に向かう。土手と土手との距離は約400mと宇治川よりも長い。
第二京阪の下流側で土手は大きく迂回し、広い河川敷にはお茶畑が広がっている。黒いシートに覆われた茶畑は抹茶や玉露を育てていると後刻知った。刈り取られたエリアはシートも外されている。第二京阪の橋は、両端に川だけを越える一般道の歩道と2車線の橋が二つ、真ん中に4車線の有料自動車専用道の計8車線も在る。橋げたは無塗装橋であるが、予め作っておく安定錆の発生状況が悪く、斑模様になっており眼も当てられない。
第二の方は横断不可能なので道路を潜るカルバートボックスに入り東側に出る。直ぐに時代劇でお馴染みの流れ橋が無数の橋脚を揃えている。余りにも多すぎて数えていると目がチカチカしてくる。流れ橋の手前にも茶畑が有りシートの中を覗いてカシャ。刈られる前のお茶が元気に育っている。
橋までやって来ると年に一度の頻度で流されるこの木橋が京都府道と知って驚く。太秦の映画に押されて府道にしているのかな?土手に戻る途中の坂道から橋と茶畑を見ると彼方に比叡山も見える。土手に戻ると流れ橋の解説板があり橋の緒元を知る。四国の沈下橋や潜水橋はコンクリートの橋脚と流線型の桁で洪水の流れに抵抗しているが、ここの流れ橋は洪水時には木の桁が数連分流れ、これを橋脚にロープで固定するようになっているとのことであるが、そんなに都合よく行くはずは無く、ロープごとまたは橋脚ごと流されるのは目に見えている。どう考えても時代劇のために用意した橋としか思えない。
ここを折返し点として近くの交流プラザなる施設に行き、流れ橋とお茶の知識を仕入れて帰路につく。上津屋バス停から八幡市に向かう京都京阪バスに乗車。
京阪電鉄の座席はその色合い、風格は日本一で特急のシートはなんとも優雅である。近年JR西の新快速などのシートも和風の色合いを取り入れているが、長年京都で商売をしてきた京阪には1000年の差がある。阪神は足元にも及ばない。
無機質な車内の多いJRなどに較べ京阪は有機質の温かい室内である。近鉄、南海も質は高い。
本日の歩行距離:6.0km。調査した橋の数:7。
総歩行距離:7,192.1km。総調査橋数:10,860。
使用した1/25,000地形図:「淀」(京都及大阪7号-2)