大阪-1. 淀 川(その2)前半 平成25年12月22日(日)晴れ時々曇り

久しぶりに新大阪駅に降りたつ。ホームが増設され構内も大きく変わった。淀川遡行の続きは、ここ新大阪駅が歩きのスタート点である。新幹線駅から直接川に向かうのは初めてで、今後もまず無いであろう。
駅から南に向かい阪急南方駅の東側の踏切を越え土手に登る。今日は典型的な冬型の天気図の天候であるが、風はそれほど強くない。右岸(北側)の堤防の内側は北西の風の防風の役割を引き受けてくれているようだ。複々線のJR東海道線の上淀川橋梁を潜る。
大阪で過ごした時代の橋はその姿を変え、長柄橋も阪急千里線の鉄橋も見慣れない姿を見せてくれる。土手の直ぐ北側に広がっていた柴島浄水場も周囲に家が立ち並び、その存在が見極めにくい。直ぐに淀川大堰が続き、6門の水門を支える強大な柱が淀川の格を示している。この堰と旧淀川の入口に設けられた毛馬の閘門で淀川の水を新旧の川に配分しているのである。本流に流れている水量は微々たるもので、ここまでに水道水に取水され、残りの大半は毛馬から大川の方に流されているようだ。ここまでの新淀川は洪水時の放水路が主な役割なのだ。

 01.淀川の水はこの大堰で分配される

大堰を越えると狭い河川敷にパブリックゴルフ場が広がる。ショートホールのみのミニゴルフ場である。日曜日なのにプレーしているのは1組のみ。かつては予約が取りにくかったパブリックが今はこの様相である。
北側の土手の斜面には大きな石柱の距離標が、ゼロキロのポストの無かったことを詫びるかのように建っている。丁度10キロ地点である。

 02.ショートホールだけのパブリック

 03.淀川の距離標は立派過ぎ

ゴルフ場が尽きると柴島浄水場に川水を引き込む古いレンガ造りの取水塔が3基並んでいる。子供時代に面白く歌った「よろかわの水飲んで腹ならくらり・・」を口ずさむ。続く浄水場から大阪市の東部に送水する水管橋が鮮やかな水色のアーチの連続で現れる。東側から橋越しに見える梅田の高層ビル街をカシャ。

 04.柴島浄水場の取水場と水道管橋

 05.水管橋越しに見る梅田の高層ビル

北側には超デカい12階建てのマンションが3棟並んで周囲を圧倒している。都心部の超高層マンションは見慣れているが、これだけ大きく広がるマンションは凄い。長さは200mほど有りそうで地形図でもその大きさが分かる。1棟で500所帯が入居しているとすると、3棟なら1,500所帯、6千人。四国の大阪市よりも広い町の人口よりも多そうである。

 06.弩でかいマンション

直ぐに城東貨物線の鉄橋が近づく。土手の上から河川敷を見れば、遊歩道を高校生らしき一団が走っている。高校の冬の定番の淀川土手上マラソンを想い出す。何処で折り返したのか覚えは無いが、長距離走は苦手で、竹馬の友は3年間首位を保っていたのが驚異であった。この貨物線は東海道線から関西線の百済貨物ターミナルへの連絡線路である。戦前は複線であったが、戦中の鉄供給で単線となり、1線路分は歩道として開放されていた。この貨物線を旅客線化するべく既に途中の放出から南側は「おおさか東線」として開通し、残りの放出~新大阪間の工事が始まり、歩道は撤去されている。

 07.高校の冬の名物史を想い出す

 08.城東貨物線横の歩道は廃止

線路を横断し北側を見るとボートの艇庫が見える。淀川遡行で初めて見た艇庫である。場所柄阪大か関大の艇庫かと思っていると、建物の入口上にはKOBE UNIV. と書かれている。なんで淀川に神戸大が居るネン。

 09.なんでこんな所に神戸大の艇庫が有るのや

 10.右岸側では神大だけや
遠くから塔が見えていた「菅原城北大橋」が近づく。東淀川菅原と旭区城北を結ぶ橋で所在が分かりやすい。この橋は1,989年に完成した大阪市営の有料橋で100円橋と言われている。中央径間長と側径間長のバランスが良く、1本主塔を有する優美な斜張橋である。10点満点で9点をやっても良い。満点でないのはケーブルがハーブ形式ではなくファン形式であるからだ。斜張橋の桁端部に橋脚は無く、PC桁の端部と繋がっている。この継ぎ目部の構造が気にかかるが遠目には分かりにくい。多分鋼桁がコンクリートの箱桁の中に一部が潜り込んでいるのであろう。

 11.菅原城北大橋は景観もグー

 12.この桁の継ぎ目が気にかかる

右岸側の河川敷が広くなると恒例の野球場が何面も広がり、小中学生の野球練習が行われている。20人以上の子供が各守備位置で一群となってノックを待っている。これでは待っている間が寒かろう。野球に交じって少数派であるがサッカーもやっている。こちらは全員が走り回っており、この方が体を鍛えるのには良いだろう。
南側の対岸には多くの高いビルが固まっている。何度か訪れた大阪工業大学の校舎である。かつては地下鉄も無く交通不便な大学であった。

 01.河川敷は野球だけやないで

 02.対岸の大阪工大の校舎

やがて豊里大橋が近づき土手に上がれば「平田の渡し跡」と記された石碑が橋際に建っている。昭和45年に豊里大橋が完成して渡しは無くなったとある。完成当時日本一の長さを誇った斜張橋である。A型主塔、2本の太いケーブルを張り渡した橋は初期の斜張橋で、恰好は甚だ悪い。点数を付ければ3点ぐらいである。橋幅に比し塔が低くガニ股の典型である。

 03.平田の渡し跡碑

 04.豊里大橋はカッコ悪い!

ここから次の鳥飼大橋までは3km以上も離れている。大阪からの交通路は放射状に敷かれ、淀川はこの放射状と並行しているため、大阪市内の南北交通路を除くと橋の数は少ない。かつては長柄橋の次は旧鳥飼大橋(有料橋)、更に次は枚方大橋とその間隔は広かった。
河川敷は狭くなり神崎川への分水のための水門に着く。神崎川遡行時に遠くから見た水門の横の短い橋を越える。

 05.神崎川の水はこの水門から

やがて大阪府内の大動脈が集中する鳥飼大橋にやって来る。かつては1954年に日本道路公団が日本初の有料道路橋として完成、運営してきた特異な姿の2車線のゲルバートラスは今は無い。交通量増大に耐えられず新しい橋の完成とともにその役割を終えた。道路公団入社時のカレンダーにも載っていた橋は橋脚だけを残して短い生涯を終えた。ここには下流から、府道2号(大阪中央環状線)北行き(3車線)、近畿自動車道(2車線×2)、府道2号南行き(3車線)、大阪モノレールの橋が立て続けに並んでいる。道路橋は普通の桁橋であるが、モノレールの橋は5径間のアーチ橋で、真ん中のアーチが一番大きく両側の橋は少しづつ小さくしている。凝ってますなー。橋の下から見上げればモノレールの桁だけが載ったスカスカの空が丸見えの橋である。

 06.かつての鳥飼大橋の橋脚が

 07.大阪モノレールの橋はスカスカ

 08.アーチの長さ、高さは異なる

更に2kmほど歩くと鳥飼仁和寺大橋が現れる。これも有料橋で100円。両岸の地名を名乗る斜張橋で、独立1本主塔を持った優美な橋である。1987年に完成した大阪府の有料橋である。淀川はタダでは通れまへん!

 09.鳥飼仁和寺大橋もやるやんか

橋を潜ると河川敷が広くなり、今度は本格的なゴルフ場が現れる。コースも緑色で数組がプレー中である。華やかな姿の女性プレーヤーも交じっている。土手に上がると「京阪ゴルフ倶楽部」入口の案内看板も有る。ここから上流部は両岸とも河川敷が広く多くのゴルフ場が有る。
寝屋川市北部と高槻市南端を結ぶ淀川新橋に到着し、ここを折返し点とする。この先は5km以上無橋地区となる。近くの上鳥飼バス停に向かい、直ぐにやって来た千里丘駅行き阪急バスに乗り込み帰路につく。バスは逆L型の形をした摂津市の端から端まで走り千里丘駅に着く。吹田市とばかり思っていた駅は摂津市の端っこにある。駅名と所在地とが合ってまへんナ。

 10.こちらのコースには女性が

 11.まともな大きさのコースが現れる

本日の歩行距離:14.8km。調査した橋の数:15。
総歩行距離:6,625.0km。総調査橋数:10,341。
使用した1/25,000地形図:「大阪東北部」(京都及大阪8号-4)、「吹田」(京都及大阪8号-3)