高知-10.香(こう)宗川(そうかわ)(その1)及び10-1.香宗派川 平成29年3月27日(月)
土佐の新たな川、香宗川に出かける。岡山から南風号は1時間に1本発車しているが、南風1号と3号の間は2時間空いている。1号は前日の夜に高知からやって来た車輛が岡山でナイトステイして7時過ぎに発車するが、3号は当日の朝早く6時に高知を出た2号の折返し便なので9時前の発車となる。この合間は坂出まで快速に乗り高松からの「しまんと」に乗り継ぐ方法となる。そのしまんとに乗り琴平を出たところで車内放送が「土讃線の繁藤と新改の間の信号が故障し不通となっています。この列車は次の阿波池田駅で打切りとします」。と言う。出たー、JR四国お得意の列車運行打切りだ。1.5か月前の多度津打切りに続いての災難である。復旧の見込みが分からないので高知方面の乗客のため、池田から代行バスの手配をしているとのことでバスの到着を待つ。池田駅総出のテンヤワンヤである。バス到着が予定よりも30分ほど遅れ10時10分に30名ほどの乗車で発車。
井川池田インターから徳島道、川之江ジャンクションから高知道と走る。徳島道のこの区間は初めてであり、高知道は4車線化してからも初めてである。昔取った杵柄で高速道の地形、線形、トンネルの坑門、照明、舗装、標識類、交通量などを見て時間を過ごす。高知インターから高知駅までは10分とかからない近さで、11時17分駅に到着。ここが全国の県庁所在地の玄関インターと玄関駅との距離が一番短いだろう。19分発の土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線の安芸行きに駆け込みセーフで乗れた。
途中の土佐大津駅で対向列車待ち合わせの停車をしているとなんと「南風3号」が通過して行くではないか!これじゃー阿波池田で3号を待っていれば良かったことになるが、後免駅からの土佐くろ鉄道はこの列車になるのでどちらも同じ事にはなる。まあー久しぶりの高速を見せてもらえたのだと納得させる。線路の周りの高知平野の田圃には早くも水が張られ、二期作ならではの姿である。後免からは単行気動車に女性車掌が乗りこみ車内で切符を売って行く。久しぶりの車内発行切符を手にする。乗車駅、降車駅、日付を穴開けするのでは無く、ボールペンで印をする方式である。
ごめん・なはり線は鉄道乗りつぶしで全線往復して以来の乗車である。やがて物部川遡行時に通過した橋を渡る。河口から右岸の土手を歩いた記憶が蘇る。
11時54分高架の赤岡駅に到着。ごめん・なはり線の多くの駅にはそれぞれ「やなせたかし」作のマンガのキャラクターが決められており、車内での自動音声案内でも「次は○○の△△駅です。」と〇〇にキャラ名が入る。太平洋の見える高架ホームから下に降りるとズラリと全駅のキャラが並んでいる。同じ作者のアンパンマンと比べるとこちらは可愛げが無くもう一つの感じがする。
今回の「香宗川」は、平成の大合併で香南市となった旧:香我美町の北部から南西に流れ、旧:野市町に入り南に向きを変え直ぐに香我美町と旧:赤岡町の町境を流れ太平洋の手前500mの所で急遽方向を90度変え西に向かう。2kmほど進むとヘアピンカーブの如く180度方向を変え太平洋に注ぐ何とも奇妙的列な動きをする川である。90度曲がる所からは放水路にあたる派川が直ぐの太平洋に延びている。この謎を解くのも今回の遡行の醍醐味である。まるで「ブラタモリ」じゃないか。
旧赤岡町の面積はわずか1.64km2。当時は日本一狭い町であった。ここに人口3千人以上が暮らしている。警察署、高校、場外舟券売り場も有るぜヨ。この狭い赤岡を川は城を守る堀のようにぐるりと太平洋と一緒になって囲んでいる。
駅の直ぐ南には赤岡漁港が高い防波堤に囲まれてひっそりとしている。ここはイワシの稚魚の「どろめ」が有名である。春を代表する魚で大酒呑みを決める「どろめ祭り」は有名である。
高架横に立札が立っているので見ると、ここには幕末時に異人撃退のための砲台が有ったとのことである。
駅から東に向かうと電柱にはこの位置の海抜高さの表示が多く見かける。この表示が今回の謎解きのヒントになりそうだ。隣のこちらも4.25km2しかない旧:吉川村との境に架かる橋を二つ見て東に進むと、銀色の屋根瓦が目立つ独特の屋根構造の豪邸が横に並んで建っている。二重屋根は太平洋側に見られ強風と大雨から家を守るための構造なのであろう。
町の西端の突出部に大規模な全く同じ形、構造の住宅が立ち並ぶ。その中心付近には巨大な5層構造の津波避難建物が建っている。一戸建ての建物は全く同じ形なので建物番号が大きく書かれ、150番ぐらいまで有りそうだ。表札が無いのでどれだけの棟に人が実際に住んでいるのかは分からない。それにしても無粋な建物だなー。これで後何十年も利用する事態が続くと幽霊屋敷のような姿である。コンクリートの柱も梁も四角形でせめて丸みを付けられなかったのだろうか。
突端近くまで来ると東の方から支流の「烏川」が合流し、川は大きく湾曲し西からの流れとなる。川沿いの道の標高は4m半ぐらいである。
土佐くろ鉄道の橋の下を越えると川の南側は市街地の建物が密集している。対岸の県道との間には多くの橋が架かっている。最近補強施工されたような町道橋の橋脚は立派である。国道55号の橋近くに赤岡の観光絵地図が有ったのでカシャ。ここまででぐるり一周の約半分である。
凝った構造の高欄がある「赤岡橋」の左岸側の橋際にも立札が立ち、ここが海からの舟の発着場だったと書かれている。江戸時代までは太平洋を望む砂丘状の海岸部に港を造るのは困難で、物資を運ぶ舟は川を遡ったのだろう。ここ赤岡の香宗川はその港の適地として発展し、小さな町ながら多くの人口を養えたのだと思う。
更に西に進むとやがて川は三叉路になる。北からの本流が90度右に曲がる。真っ直ぐ南に向かう川は近代になって開削された放水路である。新潟の信濃川を想い出す。本流の曲がり角には増水時に流量を抑えるための隠れ堰が設置されている。
本流とは袂を分かち派川の方に向かう。赤岡町とは書かれていないマンホール蓋を見つけカシャ。
直ぐの町道橋も最近耐震補強が為されたようである。本流の橋の桁下高さに比べ派川の桁下は3mほど大きい。これが本流と派川の違いで、川は掘割状である。この曲がり角と海との間に小高い丘が東西に連なり、この丘を突き破る力が川に無かったので柔らかい東に向かったのだろう。
天気予報で晴れと曇りになっていたが小雨が降り出す。国道橋と土佐くろを越えると直ぐに河口部の防潮堰が高く立っている。雨足が強く成る度に雨宿りを繰り返す。
土佐くろの高架橋沿いに東に進むと競艇の大規模な場外舟券売り場の駐車場が続く。
駅の手前まで来ると直ぐの位置の漁港の北側に海産物売り場の幟が立っている。帰りの列車まで時間が少しあるので立ち寄る。在るわ在るわ「どろめ」が。こまい釜揚げしらすやちりめんじゃこが大きさ、値段別に並び、その奥にどろめが当方を呼びよせる。1パック300円也、これで今晩の晩酌は豪華になるきに!ニンニク葉の摺りおろしを加えた酢味噌も買い、「今晩中に食べて下さいネ」と言われる。ルンルン気分で駅の高いホームへの階段をホイホイと上る。直ぐに列車がやってきて帰路につく。列車打切り、雨にたたられたが生シラスが埋め合わせをしてくれた。
後免駅で南風を待っていると先行してきた奈半利行き土佐くろの列車はあのタイガース号である。今年は何とかしてくれよー。
本日の歩行距離:5.1km。調査した橋の数:13+5=18
総歩行距離:9,415.0km。総調査橋数:11,387
使用した1/25,000地形図:「後免」(高知7号-2)