高知-9. 物部川(その3)平成29年2月25日(土)晴
今日も南風1号に乗るが乗客がいつもの倍ぐらいと多い。いつもなら丸亀を過ぎると乗客数がどんどん減るが今日は逆に増え続け、阿波池田を出た所で8割程度の座席が埋まっている。
土佐山田駅9分待ちでJR四国バスに乗る。このバスは岡山からの南風の到着時刻に合わせたダイヤなので助かる。JRなんだから当然だが。今日のバスは車体も車内もアンパンマン一色である。幼児連れの親子が二組乗車してバスも盛況で発車。
今日も尺取虫のように逆遡行とし、前回調査の上流部の橋から10kmほど上流の橋近くの「在所」バス停で下車。橋は河岸段丘の上段を通る国道の遥か下の谷底に有る。崖のつづら折れの道を下って行くと梅林の下に件の橋が架かっている。古い橋は全て段丘の下に架かり、新しい橋は橋の技術進歩に合わせて段丘の上から一跨ぎで越えている。物部川はその長さと規模から段丘河川の代表選手である。橋の床板は水面が透け透けに見えるオープングレーティングである。吊橋は風に弱く、床板をこのタイプにすると風が吹き抜け耐風安定性が良くなる。海洋架橋調査会に在職時に専務がこの床板を次代の長大吊橋に採用するよう活動をされていたのを想い出す。
水面が格子の間から見える橋を渡り右岸側の県道に向かう。橋から段丘の上まで40mほどの坂道を登る。心肺不調の当方はゼイゼイと息を吐きながら坂を登る。途中で何度も立ち止まり息を整え歩行を続ける。これだから河岸段丘は嫌いだ。
段丘の上に永野の集落が広がる。道沿いの大きな頌徳碑に吉田茂宰相の名前が有る。子供の時に道端に葉巻をくゆらした似顔絵をロウセキで書き、物真似で「その件につきましてはお答えできないのであります」と遊んでいた。
途中の段丘の下にはこれも県営の吉田ダムと発電所が有るが、坂道の上下を嫌いパスし県道をそのまま西に進む。
朴ノ木地区に入り久しぶりの橋である「新在所橋」が段丘の上から対岸の段丘の上に一跨ぎで架かっている。こりゃ助かると橋に向かう。長いアーチ橋を進むと、上流側に人しか通行できない古い吊橋が谷底に架かっている。半世紀余りの間の橋の長大化の見本のような橋達である。
国道に合流し西に向かうと南から山が迫り道は段丘から渓谷となる。道路の下の谷側の岩盤補強工事が実施中で、歩道も仮設路となっているが両側にパイプ足場の柵が設置され安全対策が良く出来ている。
再び広い段丘が現れ本来は川沿いに次の橋に向かう予定であったが、あの谷底への往復に恐れをなして隠し玉を使うことにして国道をそのまま進む。「韮生野」なるバス停が現れ、これで「にろうの」と読むようだ。この国道沿いには難読地名、不思議な名前の地名が連続する。
広い段丘の南端を国道は進み、北側は旧香北町の中心、「美良布」の集落が固まっている。やがて道の駅「美良布」とアンパンマンミュージアムが南側に現れる。道の駅はまともな駐車場が無く、車は国道から直接横列駐車を強いられる。丁度お昼なので食堂と売店を物色するが食指が動くものはなんちゃ無い!これでは道の駅が泣くぞー。東隣りの山裾のミュージアムの建物と芝生の広場が開放的である。
国道の向かい側のコンビニに入り、パンとコーヒーを買い昼を摂る。携帯で教えられた番号でタクシーを呼ぶと直ぐにやって来て乗車。段丘上の道を北に進み谷底に降りて「暁美橋」に着く。暫し調査して再度乗車し次の「大宮橋」に進む。北側の右岸側は段丘が無くなり右岸側の県道は坂道でなく橋と同じ高さである。大宮橋の北側で車を降り、車は対岸で待ってもらう。歩いて橋を渡ると親柱に大きな蛍が止っている。
再度車に乗り段丘の上に上り南に進み「美良布」バス停で下車。バス停は旧香北町の中心に有り、「美良布駅」との看板が掛かり国鉄バスの証拠が残っている。「びらふ」とは北海道の地名のような響きと漢字である。「比羅夫」が有ったなー。タクシーを利用したので予定よりも1時間ほど早く着き、この日当たりのよいバス停でのんびりとバスを待つ。
帰りの南風はいつもの4両では無く5両に増結され満員でやって来た。デッキには立客もいる。何十回も乗っているがこんなに混んでいるのは初めてである。一人で荷物を隣座席に置いているのをどけてもらい何とか席を確保して帰路につく。
本日の歩行距離:6.0km。調査した橋の数:5。
総歩行距離:9,364.4km。総調査橋数:11,332。
使用した1/25,000地形図:「美良布」(高知3号-3)