岡山-2. 高梁川 (その3)平成26年12月7日(日)晴
再び高梁川に戻る。伯備線総社駅に降り立つと駅前に小僧時代の雪舟の石像が有る。雪舟はこの総社の生まれで、駅から2kmほど北に在る宝福寺で少年期に修行した。前回は川沿いに歩いたが、ここ総社から次の駅の豪渓までは橋が無いので川では無く寺を訪ねることにする。
01.総社駅前の雪舟小僧像
伯備線に沿って道を北に進む。踏切を渡ると新旧二つの道標が曲がり角に立っている。直ぐの溜池の水面にはピンク色の藻らしきものが浮かび、鴨の大軍が羽を休めて浮かんでいる。鴨がピンクを背負っている。
坂道を登ると左側に寺名の石柱と山門が現れる。寺名は「宝福禅寺」が正式のようで、臨済宗東福寺派の禅寺である。中世学問を修めたければ禅寺で学ぶのが一番だったようである。門の横にはお仕置きを受けた雪舟がネズミを見つめている像が有る。
階段を登り広い境内に入る。ここには30年ほど前に一度来たことがあるが、初めて来たような感覚である。境内には禅寺らしい建物が立ち並び、方丈の前には雪舟の有名な涙でネズミを画いた説明板と石像がある。一段と高い所には三重塔も建っている。総社市には東に備中国分寺、中心部には総社宮、そして西にはこの禅寺とミニ京都である。まあー一度見に来られー。
境内を西に抜け坂道を下り高梁川に向かう。下って来たところが湛井(たたい)で、有名な堰が有る。国道180号の脇にはミニ公園が有り、湛井堰の大きな記念碑が有る。ここで取水された水は東に流れ高梁川から離れた倉敷市東部と岡山市西部に送られ多くの田畑を潤してきた。我が家の近くの大きな用水路の水も元はここからなのを知る。かつての山陽道は今の2号線沿いでは無く、この用水沿いに在ったのが分かる。JR吉備線は山陽道の遺産である。
堰そのものは低く大半の水はそのまま下流に流れているが、左岸側の一部が水門になっておりここで取水されている。高梁川はその流域面積が広く豊富な水が農業用水、上水道、工業用水に利用されている。
湛井からは前回も歩いた国道180号の歩道歩きとなる。ここから1.5kmほどの区間は東側から山が川に迫り、崖と洞門が連続する大雨時の規制区間である。歩道は川の上に迫り出した構造で直ぐ下が川で迫力がある。180号は岡山市中心部から豪渓までは3桁国道では有るが国管理の区間である。
急峻な地形も終わり、川と国道は大きく方向を西に切り替わる。岡山の渓谷を代表する豪渓から流れてくる「槇谷川」に架かる明治橋を渡り、120度大きく左に曲がる。豪渓駅の裏側を見ながら進むと直ぐに「豪渓秦橋」に到着する。この橋と川の右岸側(西側)の県道が整備され県西北部から水島、玉島地区へ向かうのには国道を通らずに円滑に行けるようになった。前回よりも多くの車が利用している。橋の直ぐ南側には短いトンネルが口を開けている。
橋から次の橋までは伯備線二駅分も離れているのでズルをして豪渓駅から美袋駅まで電車利用とする。国道の一部には歩道が無く、長い距離を冷や冷やしながらの歩きはまっぴら御免である。駅に向かうと丁度特急「やくも」が踏切に差しかかったのでカシャ。駅のホームで暫し電車を待つ。今日も先日あつらえた靴を履いてきた。
二駅目の美袋(みなぎ)駅で下車。この駅名も難読駅のひとつである。駅舎は木造で文化庁登録の有形文化財である。1925年開業時の駅舎である。直ぐ隣のトイレが5年前とはその姿を変えて新しくなっている。
5年前に3度も乗り降りした駅から次の橋のある場所まで下流に向かう。土手上の国道の北側の狭い街道を東に進み国道に入ると直ぐに「下倉橋」が有る。橋は塗装の塗替え工事の真っ最中で、対岸側の2径間は塗り終えたようだ。5年前には◎としていたのでまさか塗り替えているとは思ってもいなかった。どこか見落とした所が有ったのかな?親柱には先ほど訪れた宝福寺の建物がレリーフされている。
橋を診て国道をUターンし上流に向かう。高梁川の中流部は橋の間隔が長いが、この辺りでは2kmほどの距離に3つも橋が架かっている。土手上の国道の歩道を西に進むと歩道のど真ん中に2体のお地蔵さんが鎮座まします。国道改築時にこの場所に在ったお地蔵さんをそのままこの場所に据えておいたのかも。ご神木として長年地元民に愛された大木をそのまま道路の中や駅中に保存しているのを何度か見て来たが、お地蔵さんが歩道の真ん中に据えられているのは初めてである。
市道の新しい「槻大橋」は無塗装橋で愛想が無いので早々に次の橋に向かう。川と国道は再び北に方向を変える。高梁川は北と西を交互に繰り返して北北西に向かっている。平地が広がる道を北に進み再び川が迫る地点に水内(みのち)橋が現れる。彼方には大きな採石場も見える。
この水内橋は昭和11年に完成したゲルバートラス橋でその姿は美しく、全体のバランスの良い好きな橋である。県の歴史的土木遺産に指定されているのも当然である。今ならコンピューターで簡単に計算できる連続桁も手計算時代には難しく、連続桁を諦め計算のし易いゲルバー橋としてきたのだ。前回は○としていたが塗装の劣化が進み錆も発錆してきているので△とした。戦前の橋は幅員が狭く、大型車のすれ違いが出来ないので何れはこの橋も隣に新橋が架けられるのであろう。トラス上弦材の橋に記入された塗装履歴の塗替え年が200X年とXの部分が消え欠けている。いずれにしても10年ほどにしては錆の進行が速い。一度錆が大きく進むとよほど丁寧に錆落としをしないと塗り替えた塗装が中から剝がれてしまう。このため早めの塗替えが大事で、人間の歯と同じである。
橋を診て元来た道を美袋駅に戻る。
本日の歩行距離:11.4km。再調査した橋の数:4。
総歩行距離:7,698.5km。総再調査橋数:117。
使用した1/25,000地形図:「総社西部」(高梁8号-2)