大阪01-2-1.茨木川 平成25年5月18日(土)快晴

今日はJRの茨木駅に降り立つ。50年以上前の中学時代に同級生の家に遊びに来て以来の駅である。今は橋上駅化され西口の方がメインになっているようだ。安威川の支流である茨木川を歩くことにし、先に最上流部まで阪急バスに乗り泉原バス停から合流点まで下ってくることにした。4つの島に分かれたバス乗り場は地上部からは行けず、駅西口から大きく迂回した連絡通路を通って行かねばならない。ここにも阪急、京阪、近鉄バスが並んでいる。1時間に1本の忍頂寺行は座席が全て埋まり、さすが大都市周辺のバスである。
渋滞の激しい街中を抜けバスは茨木川沿いに山間部に入って行く。結構きつい坂道が続き、北摂のなだらかな広い山懐に分け入って行く。途中の千堤寺口からも終点の忍頂寺からもバスを乗り継げば先日歩いた能勢町の余野に行ける。
10時半前に泉原バス停で下車し川歩きを始める。歩道の無い狭い2車線の府道110号を下って行く。先日の愛媛の国道や県道には狭い渓谷にも拘わらず車道が整備されているのに大阪や兵庫には歩道が無い。しかも大型ダンプが連続して数多く通過し、危険極まり無い。道州制よりも先にやらなければならないことがあるでしょう。歩道の無い道には大型ダンプを入れさせない施策が必要で、中型にするか歩道の設置費用をダンプ側で負担すべきである。20分も歩くとバスの窓から見えた新名神高速の工事現場に差しかかる。こちらは先日の安威川沿いよりも工程が早く、本体の土工も進んでいる。武庫川から始まりここまで新名神の現場が川毎に見られる。

 01.ここでも新名神の工事が

 02.ここが高速道路の中心線

この川は安威川に合流する地点から2km余りが茨木川で、川は西の勝尾寺川と東の今の佐保川が合流しわずか2kmの区間を茨木川と称している。名前の元になった佐保地区の集落にやって来ると川名の入った石碑が有る。どこぞで見た名前の川であるが、あのまほろばの里、奈良を流れる川名だと思いだす。
府道から別れる道に広い幅の橋が架かっている。橋の先は行き止まりで左側には採石場に通じる道に門扉が有る。一体誰のために造った橋なのか疑問を感じる。
橋の橋名板を見ると川名を佐保川と記載している板と茨木川と記載している板とが混在している。当方は奈良に敬意を払って茨木川としておく。

 03.茨木川は佐保川がルーツ

 04.こんな立派な橋の先は行き止まり

府道1号線が横切る馬場地区で民家が集まっている旧道に入る。ここにもあのアドプトリバーなる地元参加の河川管理の看板が有った。

 05.この川でも地元がお手伝い

再び府道に戻り南側を見やれば低い細長い山が見事に丸裸にされ、宅地開発の真っ最中である。子供の陣取り合戦にもってこいの姿をしている。道を廻り込めば府道沿いに「佐保栗栖山砦」跡の解説板が建っている。やはりこの山は陣取り合戦に向いていたのだ。

 06.一山丸ごと宅地開発中

 07.山は元は砦であった

今日は土曜日でダンプは先日の安威川ほどではないが数多く通り、大型2輪車が隊列を組んで上がってくる。中には独立愚連隊の40km制限の道を100km程度の速度で登ってくる馬鹿がいて、曲がり角では冷や冷やする。
途中の緩やかな渓谷部には歩道が有るが1kmも歩かないうちに元の木阿弥に戻る。対岸には田畑が広がりとても大阪の衛星都市とは思えない風景が広がる。
渓谷の終点部からは茨木の市街が良く見える。東福井地区で里に降り、府道から集落の間の狭い道に入り橋を探しあちこちと彷徨する。福井橋の袂には旧橋の石造りの親柱が保存されている。ひらがなは「ふくい」と記されているが、漢字は今の福井とは異なる字となっている。

 08.ここは本当に大阪府?

 09.里に降りてきた!

 10.福井橋の旧橋の親柱が有った

茨木川の土手沿いの狭い道を右に左にと歩きながら川を下る。昨日の朝から風邪気味なので今日は高低差のある歩きになるので川を下ることにしたが正解であった。気温もぐんぐん上がり夏の装束にも拘わらず汗が噴き出る。これで久しぶりの汗疹があちこちに出てくるだろう。鎌足公の古廟が地形図には記載されているが見つからず足を速める。道路際に多くの石が並べられているのを見つけ近づくと、かろうじてお地蔵さんの姿をした石が前掛けを掛けられ幼児の名前が記されている。子供の健やかな育ちを祈願したのだろうか?

 11.多くの子供のお地蔵さん

勝尾寺川との合流点に近づくと前方にこんもりと木々が集まった丘が見える。古墳のように見える丘で麓には古戦場跡との解説板が有る。直ぐに西から勝尾寺川が合流し川幅が広くなる。幅、水量ともあちらの方が大きく母屋を取られている。

 12.古墳風の丘がこんもりと

 13.左から勝尾寺川が合流

堤防も高くなった川の右岸を南に進み名神高速の下を潜ると直ぐに地形図には記載されていない市道橋が平行して行く手を妨げてくれる。迂回して市道を横断すると直ぐに又橋が現れる。茨木インターに通じる国道171号と府道14号は渋滞が起こり、そのしわ寄せがインターから出る車がランプに溢れ名神の本線まで及んでいるのが見える。

 14.名神高速を潜る

国道171号の春日橋は昭和12年完成のコンクリート桁橋であるが、下から調べると桁の下フランジに鉄板が巻かれ補強されている。木に竹ならぬコンクリに鉄で継いでいる。100歳までもう少し頑張ってくれよと声を掛けたくなる。

 15.国道171号の春日橋はコンクリ桁を鉄で補強

きつい傾斜角で川を横断する府道15号の橋を過ぎれば安威川との合流点である。しばし川を上流側に戻り元茨木川の付替え点にやってくる。元川と安威川に付け替えられた川の分岐点には大きな記念の石碑が有る。元の茨木川はここで南に大きく方向を変え、街の中心部を天井川で流れていた。たびたび洪水が起こり長年の地元の請願が昭和16年に実り、川は安威川の方に付け替えられたとある。戦後すぐに川は廃川となり、公園園地と道路になった。

 16.茨木川が念願かなって安威川に合流された

緑豊かな元川の中の園地の遊歩道を南に向かう。今やパナソニックになった松下町の工場の東側を進むと東海道線の鉄橋が現れる。懐かしい!小学生の時にこの鉄橋の手前の土手の上から特急つばめの写真を撮りに来たのを想い出す。あれから60年近くも経ち景色はまったく変わってしまっている。

 17.元茨木川の証人の東海道線の鉄橋

 18.50年以上前にこの橋際でつばめ号の写真を撮った

続いて川端康成文学館が木々に囲まれて佇んでいる。郷土のノーベル賞受賞者の記念館である。時間が無いので写真を撮るだけで先を急ぐ。

 19.郷土の誉、川端康成文学館

JRと阪急の両駅を繋ぐ道との交差点にやって来た。南側にはすっかり大きくなった市役所と横には広場がある。中学生の時に友人宅を訪ねこの広場付近で凧揚げをしたのが昨日のように思い出す。梅田の真ん中では凧揚げは叶わず、ここまでやってきて楽しんだのである。

 20.市役所は大きくなっている

 21.姿は変わったがこの広場付近で凧揚げをした

ここで道を西に変えJR駅に向かう。なんとか予定していた快速に乗り、新大阪駅で新快速に乗り換え姫路に向かう。1時間に1本だけの岡山行きに乗り変えるのに丁度の新快速に乗って帰路につく。

本日の歩行距離:13.0km。調査した橋の数:30。
総歩行距離:5,939.1km。総調査橋数:9,537。
使用した1/25,000地形図:「高槻」(京都及大阪7号-4)、「吹田」(京都及大阪8号-3)