大阪01-2. 安威川(その1) 平成25年4月19日(土)晴のち曇り
9時半、阪急京都線の相川駅に降り立つ。神崎川と今日遡行する安威川との合流点近くの駅である。先日神崎川遡行時に帰路についた上新庄駅の次の駅で、神崎川を渡ってすぐの駅で安威川遡行のために在るような駅である。駅の高架下に阪急そばの店があり、今日は寒いので温かい早めの昼の蕎麦を食す。
駅から500mほどの合流点まで行きUターンし上流に向かう。左岸側の高層マンションの人達が土手の上の道路と堤防の斜面や高水敷の清掃をしている。少し上流には住民参加のPR板が置いてある。綺麗にしておけば車からゴミをまき散らす輩も少なくなるだろう。
この安威川は京都府亀岡市東別院町から南に流れ、茨木市と摂津市との境付近で西に方向を変え大阪市東淀川区と吹田市との境で神崎川に合流する延長35km余りの長い川である。亀岡市が高槻市と豊能町の間に大きく食い込んだ形である。浄土真宗の勢力が強かったのかな。
駅前に架かる新京阪橋を渡り右岸側の堤防の上を暫し歩く。両岸にはいろいろな高さのマンションが建っている。正雀地区に来ると土手の直ぐ傍に細長く多くのテニスコートが続き、今日は市民の競技会があるのか多くの人が集まっている。摂津市に入り安威川橋で再び左岸側に戻り北東方向に進む。中央環状線の鶴野橋の手前の対岸に再び塩野義の工場が現れる。こちらも規模が大きく電力線が工場に引き込まれているのが見える。直ぐ東の橋は橋のアパートメントのように様々の橋が一か所に固まっている。西から水管橋が二本、中央環状線の北行き、近畿道の北行き、南行き、環状線の南行き、大阪モノレール、水管橋、電力管橋と続き、それぞれが高さも色も異なりバラバラである。なんとかせー。
左岸の土手の右(南)側に水路が平行に流れ、舗装されていない侘しい道を歩く。水路の奥には大阪貨物ターミナルの貨物駅とさらに奥には新幹線の鳥飼基地が細長く続く。いつも車中から見る基地を裏側から覗き見るような感じである。
対岸の北側には下水処理場、流通センター、府の北部中央卸市場が続き、此方には産廃処理業者の建物と保管施設、処理場がズラッと並んでいる。水路が離れる地点で川は北からの流れに変わり茨木市に入る。再度右岸側に渡り高い土手の上の道を進む。民家の二階の屋根よりも土手は高い。早速マンホールを見つけカシャ。絵柄は松の木のように見える樫の木とバラの花のようである。市の木と名を取り入れたようだ。土手の下に立派な建物と庭を備えた家が有る。この辺りの名主の家なのであろう。土手の下の民家との境には今が盛りのハナミズキが紅白の鮮やかな花を咲かせている。桜の次は私の出番と張り切っている。
安威川に架かる市管理の鋼橋の状態は概して良く、やはり大都市周辺の市は他の市町村とは違う。広くはない河川敷には遊歩道と園地、広場が設けられ、多くの人が利用している。緑と空間の少ない都市では川の精神的存在は大きい。
やがて阪急京都線の二度目の橋が現れ、新型の特急車が通過して行く。かつては2ドアーの全席転換クロスシートがずらっと並ぶ電車であったが、JRの新快速登場でスピードでは太刀打ちできなくなり、それまでの停車駅を大幅に増やし3ドアーとし実質急行電車となった。しかし車輛のデザイン、車内のしつらえは流石阪急である。マルーン一色の阪急の伝統は踏襲し、屋根を白色にし、窓の形を他車と違え、座席は転換クロスシートとし特急車の威厳を保っている。京阪特急、新快速、近鉄の快速急行と特別料金の要らない関西の電車は、東京から見れば羨ましい限りであろう。
天気予報では夕方から雨とのことだったが幾分早まりそうで、丁度阪急茨木市駅に最も近い橋を診たところで今日はそれまでとする。駅に向かう府道を歩いていると近鉄バスがやって来る。へー近鉄がこんな所に来るんだ。茨木市駅には地元阪急と淀川の対岸の枚方から京阪バスが昔からやって来ており、在阪5大私鉄の内の三つのバスが乗り入れている。
高架化されすっかり変わってしまった駅から特急車に乗り帰路につく。車内は落ち着いた豪華な雰囲気が漂う。クロスシートは車体幅がJRよりも20cmほど狭いため狭くバス並である。近鉄、南海、阪急、京阪の優等列車の車体、車内のデザインは他の追随を許さない物で、競争の激しい地域の特色をいかんなく発揮している。
梅田駅で降り大阪駅に向かう前に新装なった阪急百貨店の地階を探訪する。子供の時に遊んだデパートはすっかり変わり、大阪らしい阪神とは異なり、東京をそのまま持って来たような姿になっている。全国が少しずつ東京化している。
本日の歩行距離:13.1km。調査した橋の数:32。
総歩行距離:5,848.0km。総調査橋数:9,431。
使用した1/25,000地形図:「吹田」(京都及大阪8号-3)