大阪01-1-2. 大路次川 平成25年3月22日(金)晴のち曇り

能勢電山下駅から阪急バスに乗り前回の折返し点の清水橋に降り立ったのは11時15分。新快速に乗車中に曽根、宝殿間で急停車、踏切でやったなと直感する。踏切での人身事故で50分間の停車。長時間停車中の車中で急遽計画の変更を検討する。遅れの程度毎に計画を練り直す。人身事故は概ね1時間の遅れになるのを経験上承知しているので1時間の補正をしておく。50分の遅れで電車は走り出す。想定の範囲内であった。
清水橋から大路次川の大阪府内の歩きを始める。川沿いの府道104号を北に向かう。渓谷が続く兵庫県から広々とした盆地が広がる大阪府に入り、ここが大阪とはとても思えない。支流の山辺川が合流する土手の上では子供たちが遊び、低い山に囲まれた長閑な田園風景が続く。

 01.長閑な春の田園風景

府道から土手の上の道に変わり、草が生えだした道は足に優しく空気ばね付きの靴を履いているような感触である。豊能町との境を兵庫県と京都府に狭められた能勢町は大阪府の離れ小島のようである。北からの流れが東からに変わる付近で土手から離れ役場の方に向かう。役場の西側には能勢名物の浄瑠璃の劇場が建っている。直ぐ横の質素な建物の役場に入り能勢町のマンホールの図柄について聞くが答えは無い。蓋に在る二つの山状の物が分からない。

 02.浄瑠璃シアターは立派

 03.シアターの隣が能勢町役場

 04.能勢町の絵柄の双山は何だ?

再び土手に戻ると三田の北側でよく見かけた立派な入母屋屋根の民家が固まっている。それにしてもどの家の屋根も立派である。そうかこの屋根を絵柄に取り入れたのだと断定する。四国の超過疎地域の貧相な家とは大違いである。宿野の府道沿いに有った交番の屋根もこれらの民家の屋根を取り込んだ形をしている。

 05.入母屋の建物が集合している

 06.この屋根が蓋の絵柄になったのだ

 07.交番にも入母屋もどきが載っている

泥水状の川にした元凶の河川工事改修現場を過ぎると川は透明な水となり流れている。もう少しやりようがあるのに無頓着な工事をやっている。川は再び北からの流れになり谷間が狭まってくる。谷間にもかかわらず集落が続いている。府道に入り道の勾配がややきつくなった所が阪急バスの終点「豊中センター前」である。何故豊中なのか不思議に思っていたが、バスの回転場の前にその答えは有った。豊中市の教育施設が目の前にある。なーるほど!伊丹市の施設もどこぞに有ったぞ。

 08.バスの起終点の豊中センター前

 09.バス停名の元はこの施設

バスは2時間に1本で、次のバスまで1時間あるので遡行を続け、京都府との境に向かう。道路の傾斜がきつくなり300mも行けば京都府亀岡市畑野町に入る。府境らしくするために道路は峠状になっているが、横の川はそのまま谷間を流れている。川に注ぐ小さな沢が府境で、なんとも間の抜けた境である。

 10.坂の頂上が府境

 11.えっ!ここが府境かいな

9番目の府県京都府に入る。ここ広野地区に入ると再び谷間は広い空間となり「ここは広いのー」。南の方を振り返れば府境らしく谷間が狭まっている。川はここで北から西からに急角度で曲がっている。支流も東から流れてきており、ここが京都府とはとても思えない。三叉路の奥には小学校が建ち、東に向えば峠を越え亀岡市街、西に向えばこれも峠を越え園部町となる。南に向えば峠も無く川西、池田に出れるのに何でや。

 12.広野から府境の谷間を見る

 13.右は亀岡、左は園部へ

三叉路の南のやまさきショップのベンチで昼を摂り、豊中センター前に戻り、始発のバスに乗り帰路につく。歩く時間よりも往復の電車、バスの時間が非常に長―い。
今日の歩行距離:12.5km。調査した橋の数:19。
総歩行距離:5,760.1km。総調査橋数:9,276。
使用した1/25,000地形図:「妙見山」(京都及大阪11号-1)、「埴生」(京都及大阪10号-2)