兵庫-9.猪名川(その4) 平成24年12月21日(金)曇り

昨夜から泊まったホテル「メープル猪名川」はリーズナブルなリゾートホテルで、遡行時に泊まるのはもったいないような宿であるが、天然温泉に入れることもあり予約した。100名以上は宿泊できるホテルに客は我一人の唯我独泊。この年末に旅をしているのはよほどの暇人か変人なのかも知れない。11時20分にホテルから尼崎方面に向かう送迎車があるのをインターネットで知っていたので、遡行の帰路に下の県道のバス停から川西池田駅まで送ってもらうようお願いし、OKを取ってチェックアウトし県道の六瀬支所前バス停に向かう。
昨日から見かけていたマンホールの絵柄は猪名川町の町花のつつじを織り込んだ幾何模様である。支所の建物の前にはここがかつて六瀬村の役場が有った場所と分かる石碑がひっそりと立っている。昔は数多くの村、町が有ったが、どんどん合併が進み今では村は希少な存在となり兵庫県には無い。

 01.猪名川町は町花のつつじを図案化

 02.旧六瀬村役場跡碑と支所

9時21分に時刻通り後川行きの阪急バスがやって来て乗り込む。1日3便しかないバスのこの朝の便が今回の遡行の鍵となった。この朝の運転手さんは良く見ると昨日と同じ方である。少しずつ坂がきつくなり川幅も狭まり、猪名川の最上流部のバス停である「杉生新田」で下車する。バスは西側の峠を越え、武庫川の支流である「羽束川」の最上流部にある篠山市の後川(しつかわ)に向かって行く。

 03.ここが猪名川町北端のバス停

 04.バスは1日3往復

バス停の直ぐ東側には兵庫県が運営している「奥猪名健康の郷」が丘の上に広がっている。主に青少年の運動合宿が出来る施設で宿泊もできるが、電話で問い合わせると10日前には予約が必要とのことなので諦めた所である。健康の郷の入口に架かる橋から診始め、直ぐ下流の橋に向かう狭い道を進むと、郷に送る温泉の源泉がもろに見える。濃い茶色の温泉で有馬の金泉と同じ色である。これはホンマモンの温泉である。

 05.奥猪名健康の郷の看板はカラフル

 06.健康の郷の源泉はもろ見え

バスで登って来た県道12号の坂道を下って行く。県道は曲がりくねる渓谷の川を何度も渡っている。さすがにこの渓谷には歩道が無いが、交通量が少なく危険性は低い。道路の対岸では川沿いに樹が切られ、ご夫婦が伐採した樹の切断作業をしている。おじいさんは山に樹を伐りに出かけ、お婆さんも樹を切に出かけましたとさ。

 07.夫婦で樹の伐採、切断作業の最中

先ほど乗ったバスが後川から折り返して下って来た。運転手さんに合図をすると、手を振って通り過ぎて行く。

 08.こんな辺鄙な所でも阪急バスが走る

渓谷から杉生地区の平地に降りてくる頃に時計を見ると、杉生バス停から乗る予定のバスの時刻まで30分ほどとなり、急ぎ足でジグザグに道から橋、橋から道と進めて行く。最後は駆け足で急ぐ。最後の橋を診て杉生バス停にたどり着くと同時に西側の柏原から日生中央行の阪急バスがやって来た。阪急バスは本当に時刻通りにやって来る。これでホテルに頼んだ送迎車に間に合いそうでほっとし、汗が噴き出てくる。
ホテル下の林田口バス停で再度下車し、バス停で3分待っていると赤色のホテルの車がやって来て乗り込む。ホテルの従業員が運転手を務め、しばし猪名川や川西の話をしながら県道を南に下って行く。これで時間と交通費が大幅に減らせ大助かりである。40分ほど走ってJR駅で降ろしてもらう。駅前には清和源氏の祖、源満沖の乗馬姿の銅像が建っている。途中には清和台なる大団地が広がっていたが、パクリの名称ではないかネ。

 09.川西池田駅前の清和源氏の祖源満仲の像が

川西池田、尼崎、姫路、相生、岡山と乗り継いで行く。姫路で乗り継ぎ時間を利用して駅内のパントリーで夕食の惣菜を買って帰路につく。
今日の歩行距離:6.3km。調査した橋の数:15。
総歩行距離:5,413.3km。総調査橋数:8,837。
使用した1/25,000地形図:「木津」(大阪及京都11号-3)、「福住」(大阪及京都10号-4)