兵庫6-3.東条川(その1) 平成24年7月15日(日)曇り一時晴れ

北部九州に豪雨をもたらした梅雨が一時的に弱まり、天候が回復しそうなので加古川三番目の支流「東条川」の遡行に出かける。この川はなんと篠山市黒田町から南西方向に流れる41km余りの長い支流である。先日歩いた「万願寺川」と本川を挟んで対称的な位置関係にある。
朝7時53分、加古川線の河合西駅に降り立つ。乗降車駅リストに新しい駅が一つ増える。帰路のバスの時刻から逆算するとこの時刻に降り立つのが必須で、止む無く相生までは新幹線を利用したが、乗ったこだま号は九州乗り入れ用の新N700系を使用していた。新大阪までの回送を兼ねているようで、短い時間ではあるが九州独特の2人座席の贅沢を味わう。
駅から東の本川に向かうと市の花である向日葵が朝陽を浴びて集団で花を咲かせている。大半の花はどういう訳か道路と反対側の北側を向いている。

 01.市の花向日葵はなぜか北向きに

本流遡行時に渡った新大河橋に着き、上流側の合流部を見ると増水は無くごく普通の流れである。対岸に渡り、前回歩いた桜並木が東条川の左岸にも続いている。この辺りは大島桜と次に江戸彼岸桜が植わっている。
合流部付近には集落も橋も無い状態が続く。大河に合流する手前の支流は、増水時には本流の勢いに負け支流の水が本流に合流しにくいことが良く起こる。今回の大分県日田の氾濫も筑後川の勢いに支流の花月川が阻害された結果と推測する。過去に何度も冠水した経験がこの辺りにはあるのだろう。

 02.本流に合流する東条川(右)

 03.花回廊は東条川左岸にも

2kmほど歩いた最初の橋「古川橋」の直ぐ上流側に国と県との管理境界標識がある。ここから先は洪水が少なかったのだろう。

 04.最初の橋が管理境界

今日は曇り空ではあるが蒸し暑く、背中は汗でびしょびしょ。又汗疹に悩まされる季節到来で、今日はその初日。県道75号をほぼ東に向かい誉田橋を渡ると、足元のマンホールの図柄が変わっているのに気づく。真ん中の鋏が向日葵に変わっている。小野市北部は別の下水道網が整備されている結果なのだろう。

 05.鋏が向日葵に変わったマンホール

小田地区の旧道沿いには古い町並みが残り、暑い中の歩行に潤いを与えてくれる。それにしても今日は蒸し暑く、涼しい天国のようなスイスから一転、地獄の蒸し暑さに放り込まれる。

 06.古い家並みの残る小田地区

遠くに見えていた100mから150mぐらいの丘陵が近づき、幾分谷間状になった辺りで小野市から東条町(現:加東市)に入る。西の北条町が加西市に、東の東条町が加東市に変わり、加古川を挟んで市名も対称形になっている。早速マンホールを見つけカシャ。珍しい鯉のぼりの図柄である。この辺りにはカープファンが多いのかナ。

 07.小野市から加東市(旧:東条町)へ

 08.旧:東条町のは鯉のぼりが

県道から珍しい山王神社形式の鳥居が見える。鳥居の上に屋根を被せた形式で、石造りなのも珍しい。
旭橋の親柱に、直ぐには何なのか分からなかった釣り針がデザインされているのを見つける。海彦に怒られるぞ。東条町は釣り針が名産らしく、この後の歩行で釣り針の製造会社が県道沿いにあるのに出会った。

 09.山王神社形式の鳥居は珍しい

 10.名産物の釣り針が親柱に

500mℓのボトルの飲み物を4杯飲んでも全てが汗になったようで、トイレはお呼びでない。今日はバスの通る県道沿いの歩きなので、途中でへばっても安心していられるので、ペースを落として歩く。
所々に先日の万願寺川で見かけた山田錦の契約田の幟がここにも見受けられる。青い田圃の彼方に神社の社が見え、これぞ日本の原風景だ。

 11.山田錦の幟の奥に社が

予定していた東条町の中心の天神バス停の二つ手前でタイムアップとなり、13時23分神鉄小野駅行きバスを東条中学前のバス停から乗車。このバスが今日の決め手である。
電鉄小野駅からの粟生行は50分後となるので、小野からJR小野町駅まで2kmを再度気合いを入れて歩き出す。電鉄小野から小野町までが短い底辺で、二等辺三角形の長い二辺が神鉄とJRの線路である。これで400円余り交通費が安くなる。
かねてから目を付けていた小野町駅舎内の手打ち蕎麦店に入り、ホンマモンを食す。550円と安く、店内には関西のテレビキャスターの写真とサインがあちこちに貼ってある。交通費の浮いたのを蕎麦に注入して帰路につく。

今日の歩行距離:18.5km。調査した橋の数:19。
累計歩行距離:1,825.5km。累計調査橋数:2,342。
使用した1/25,000地形図:「社」(姫路3号-2)、「天神」(京都及大阪15号-4)

兵庫6-3.東条川(その2) 平成24年7月21日(土)晴れ一時雷雨

前回の折返し点の東条町天神に行くべく今日は加古川線の社町駅に降り立つ。ここも初めての降車駅である。天文台のような駅の待合室で、土曜日には1本だけ運行される三田行きバスを待つ。10時03分発のこのバスと帰路の1日に2本だけのバスを見つけやって来た。4名が乗り込み出発進行。

 01.社町駅舎はドーム付き

 02.土日は1日1本のバスに乗り込む

バスは本流遡行時に調べた橋を渡り東の台地に駆け上がる。やがて県の総合庁舎、警察署、ジャスコなどの建物が並び、町の中心に入る。小野市も川から離れた台地の上に中心部が広がっていたがここもそうである。JRの駅名が「社町」、「小野町」とされ、「社」、「小野」でない理由が今分かった。古代から氾濫する川を避け、近くの台地の上に人が住んできた名残が今も続いているようだ。
更に東の高台に向かうと、市役所(加東市)、裁判所、高校と官公署などが集まっている。台地であるのに田圃が広がる道を進むと兵庫教育大学と生涯教育センターが現れる。よくもこんな辺鄙な地に大学を設置したものである。光都といい兵庫県は思い切った場所に大規模な施設を作ってくれはる。
30分の乗車で旧東条町の中心、天神バス停に到着。今日も蒸し暑く、バスを降りた瞬間に汗が噴き出してくる。河近くの道を東北東方向に歩く。田圃には見慣れた山田錦契約田の幟が今日も見えるが、雲竜橋まで来ると、清酒「剣菱」のマークが入った幟がはためいている。あの酒好きにはたまらない「剣菱」の故郷を見つけた。
汗を拭き拭き更に進むと北方に二次支流の「鴨川」を堰き止めたダムが遠くに見える。堰止湖が「東条湖」で畔にはおもちゃ王国がある。この湖とこれから行く大川瀬ダムの水が台地に送られ田圃が出来たようだ。やがて前方に大きな屋根が広がる薬師堂が現れ、丁度昼時で屋根が有る所はここだけのようなのでお邪魔する。屋根の下は陽が遮られ、風が吹き抜け地獄から極楽に来たようで、姫路駅で買ったいつものお握りを食し、しばし極楽気分を味わう。

 03.剣菱の契約田幟がはためく

 04.極楽のような薬師堂で昼食と休憩

県道75号を進むと広い台地が徐々に狭まり、やがて狭い渓谷に入る。一層狭まった所が市境で、三田市に入る。播磨国から摂津国に入る。一応国境らしい雰囲気が漂っている。南方には北摂変電所が有り、多くの送電線が川の上を横断している。水は濁ってはいるが渓谷らしい景観が続き、滝も見られる。

 05.ここから摂津国三田市

 06.これでも大川瀬大滝と称している

空の様子がおかしく、今日は3時頃に雨と睨んでいたが、どうやら早く雨がやって来そうだ。運よく大川瀬集落に入り県道の交差点の角の万屋に広い軒先と椅子を見つけそこに飛び込むと、待ってましたとばかり豪雨が降り出す。第六感が見事に当たりずぶぬれにならずに済んだ。30分ほど雨宿りをし、小降りになったので遡行を再開する。
道を北に変え大川瀬ダムへの急坂を登る。雨は止んだが、南の方は稲妻が光り、雷鳴が断続的に鳴り響き、周囲のゴルフ場の空襲サイレンが鳴り渡っている。念のため道路の端にある電線の真下を冷や冷やしながら歩く。

 07.万屋の軒先で豪雨をしのぐ

湖岸の西側の道を進むと、古い宅地が湖に沿って続いている。細長い湖岸の道に飽きたころに対岸に渡る橋が現れ、対岸の篠山市今田町に入る。今日は播磨から摂津、丹波と3か国も歩くことになる。今田町とは何処かで聞いたことのある名前で、暫し考え、「今田焼き、日本6古窯の一つ、丹波立杭焼きの今田」と答えを見出す。足元のマンホールにはその焼き物が入っている。正解!

 08.旧今田町のは立杭焼きが入っている

予定していた木津(こつ)バス停に着き、河は未だ10kmほどあるが、ここを遡行の終着点とする。1日二本の相野駅行きバスが清水寺から降りてやって来る。バスは南に向かわず、北の方向に大きく大回りをして行く。
途中、山道に入り「こんだ薬師温泉」に立ち寄るが、後ろ髪を引かれる思いで通過する。低い峠にある旧今田町役場を過ぎると、バスは南に方向を変え四斗谷川の細長い谷間を下って行く。谷間には多くの立杭焼きの窯場と販売店が並び、東の山裾の県の兵庫陶芸美術館にもバスは立ち寄る。ここで多くの客を乗せて駅に向かう。バスが大回りするのに納得する。ガッテン、ガッテン。
相野駅に降り立つと早速マンホールを見つけカシャ。三田市はマスコットのキッピー(雉のことか?)が入っている。16時01分発の大阪行き丹波路快速に乗り、尼崎経由で長い3時間40分の帰路につく。青春18切符は昨日から解禁で、有効に利用しなくっちゃー。

 09.三田市はマスコットのキッピーが

 10.福知山線相野駅

今日の歩行距離:13.5km。調査した橋の数:13。
累計歩行距離:1,839.0km。累計調査橋数:2,355。
使用した1/25,000地形図:「天神」(京都及大阪15号-4)、「比延」(京都及大阪15号-3)