兵庫6-1.美嚢川(その1) 平成24年5月26日(土)晴後曇り

再び加古川線厄神駅に降りたつ。加古川の支流遡行の最初は「美嚢川」。嚢、なんとも書くのが難しい字である。播磨国美嚢郡から摂った川名で、元は三木川とも呼ばれていたようだ。駅前に丁度神鉄恵比寿駅に向かう神姫バスが停車していたので乗り込む。合流部に有る最初の橋は本流遡行時に調査済みなので、次の橋までは2km余りもあり、その近くを通るバスに乗り時間を稼ぐことにする。
バス停からは見事に区画整理された田圃が広がり、晴天に雲雀がせわしげに鳴き叫びこれぞ美空ひばりである。足元のマンホールには三木市の名産の種々の金物がデザインされている。

 01.三木市は名産ののこぎり等の金物

川の両側には低い丘が続き、長閑な桜並木が続く土手の上を歩き三木市の中心部に入る。中心部の川の高水敷には遊歩道が設けられ、この程度の川にしては珍しい。遊歩道には魚や蟹のユニークなベンチが設置され、家族連れには嬉しいベンチである。

 02.末広橋付近には遊歩道が整備

 03.遊歩道には魚のベンチが

南側の左岸の丘には、戦国時代に三木城攻防戦が行われた三木城跡がある。ここで羽柴秀吉は城の兵糧攻めの方法と効果を会得したようだ。城址の下を通る神戸電鉄の電車を暫し待ち、複雑な組み合わせの橋を通過するのを撮る。

 04.神戸電鉄粟生線美嚢川橋梁と三木城跡

左岸側の城下町の風情の残る街中を歩くと、街道や船着き場の案内がここかしこに有る。川の存在が三木の発展に不可欠で在ったのを感じる。

 05.城下町らしい名所が

市街地を抜けると大きな二次支流である「志染(しじみ)川」が合流する地点に来る。どちらが本流か分からないほどの川が顔を合わせている。幾分狭くなった川は狭い谷間に曲がりくねって入って行く。
地形図に竹中半兵衛の墓の表記があり、これを見逃すわけにはいかないので寄り道をする。墓に向かう細い道は川を潜水橋で渡る。吉野川の本物を見て来た目には、なんとも頼りないミニミニ潜水橋である。

 06.ここにもミニ潜水橋が有った

坂道を登り平井集落の奥のブドウ畑の片隅に目指す墓はあった。秀吉の軍師で病気で京にいた半兵衛が、死期を悟り三木城攻略に参加し武士らしくここの陣中で病没した。墓には解説板と半兵衛を偲ぶ句があり、高名な人にしては小さな墓であった。

 07.竹中半兵衛の墓解説板

 08.天下の軍師にしてはささやかな墓

川は土手の中から谷間の隙間を流れる蛇行を繰り返す。川沿いに道は無く、付かず離れずの位置の道を右往左往しながら上流に向かう。ここ三木市は旧吉川町が合併してからは全国で一番ゴルフ場が多い市となった。いよいよゴルフ銀座に入って行く。地形図「淡河(おうご)」の図面上では13、「天神」ではなんと20もゴルフ場がある。緩やかな地形と阪神地区に近くかつ高速道路が密に有るのが多くのゴルフ場が造成された要因のようである。
農村下水の別のマンホールがあったのでカシャ。田圃は田植えの準備の真っ最中で、必要な苗が広い場所で育てられていた。こんなに多くの苗を見るのは初めてである。

09.三木市農村下水はブドウと栗

10.田植えは間もなく、苗床はOK

帰りのバスがやって来る時間ギリギリまで歩き、金屋バス停から三木営業所行きのバスに乗り込む。街中の神鉄三木駅前の福有橋バス停で下車する。目の前に神鉄駅があるのにバス停名は「福有橋」。どうも神鉄と神姫バスは仲が悪いようだ。計画ではここで1時間待ち厄神駅行きバスに乗るつもりであったが、15分ほど待つと神鉄「粟生」行きが有り、粟生駅での加古川行きとの接続も良く、30分早く帰れることが判明。遠回りすることで300円ほど余計に出費となるが、急がば廻れを取る。
今日の歩行距離:15.5km。調査した橋の数:21。
累計歩行距離:1,696.1km。累計調査橋数:2,213。
使用した1/25,000地形図:「三木」(姫路4号-1)、「淡河(おうご)」(京都及大阪16号-3)

兵庫6-1.美嚢川(その2) 平成24年5月29日(火)晴一時雷雨

今日は全国的に天候不順が予想され遡行に出かけるか逡巡したがママヨと出かける。再度厄神駅に降りたち三木行のミニバスに乗り、三木駅前で下車し待つこと50分、吉川庁舎前行に乗り換え前回の折返し点近くの高篠バス停に降りたのは10時40分。朝6時前に出発し約5時間かかった長い前奏曲である。
これから先川は段丘の底を気まぐれに蛇行するため、道は川と付きあいきれないので各自バラバラな位置にある。このため遡行はこれらの道を繋いでいくため、スイッチバックやΩ形走行の繰り返しを余儀なくされる。左岸側では丘が川に迫っているため丘の上がり下がりを繰り返す。
この辺りの三木市は酒米のブランド「山田錦」の全国一の産地で、あちらこちらで自慢げに看板が目につく。山田錦のお蔭か農家は立派な屋根を持った家が多く、純米吟醸酒を毎日少し飲んでいるので、あの家の屋根の1枚は自分のお蔭かと思ってしまう。いつもは犬に吠えられるのであるが、鳴かない犬がこちらを見つめている。犬小屋よりも大きくカラフルな傘が自慢げに佇んでいる。

 01.屋根が見事な家々

 02.家よりも大きな傘が自慢のワンちゃん

2番目の橋を診ていると北西方向から雷鳴が聞こえてくる。雷光から雷鳴まで10数秒なので、これは間もなくやってくると判断し、近くの大きな農家の作業小屋の軒先で待機する。一風の風が吹き、やがて周りのゴルフ場のサイレンが空襲警報を出し、この辺りも落雷が始まる。最短3秒でドスン。雨も降り出し予想通りの展開となった。20分ほどで雷雲は南西方向に過ぎ去り遡行再開。
遠くに大きな独立した樹が見事に立っている。樹の手前には鳥居も見える。苗床の奥に立派な入母屋を持った農家があり、これぞ日本の初夏の風景とカシャ。

03.遠くの巨木の前に鳥居が有る

04.田植え準備中

川は最近の渇水で水はちょろちょろと流れ、どこかで工事をしているのか泥色をしている。大島地区に来ると変わった建物が遠くから目につき、近寄ると公民館であった。公民館らしくない佇まいの建物で、お金がかかっているようだ。ここにも立派な入母屋が散見され、これだけ見事な入母屋が有るのは岡山県の高梁市中井地区以来である。

05.公民館らしくない佇まい

06.ここにも立派な屋根の農家

来た道を戻るスイッチバックを繰り返し、やがて今は三木市に編入された旧「吉川町(よかわ)」に入る。直ぐにマンホールが現れ、ズバリ町名がローマ字で大きく描かれている。一般にはヨシカワと読まれるため、ヨカワを全面に出している。これなら「ヨーワカル」。
空は間もなく雷雲の接近を予感させる雰囲気で、川は濁り、変化に乏しく、予定していた地点まで未だ3kmほど残しているが丁度三木行きのバスの時刻も近く、ここを打ち止め.として長谷バス停から帰路のバスに乗る。次のバスは2時間後なのでこの間に雷雨に遭うのはまっぴらなので切り上げる。
三木の中心部の本町バス停で降りると3分後に2時間に1本の厄神行きミニバスがやって来る。ラッキー。バスは三木鉄道の旧三木駅舎に立ち寄る。昔訪れた時は気づかなかったようで、こんなに立派な駅舎だったのかと驚く。

07.吉川町のはヨーワカル

08.旧三木鉄道三木駅舎を活用

厄神、加古川とそれぞれ数分の接続で乗り継ぐと、姫路の手前から大粒の雨と閃光と雷鳴が轟きだす。姫路駅で乗り換えると、雹が降り出し、ホームのスレート屋根がパラパラと大きな音が鳴り響き親指大の氷がホームに落ちてくる。早めの撤退が正解であった。帰宅してからニュースを見ると、姫路での雹も報道されていた。今日の歩行経路を地図に落とし、その複雑な経路に複雑な思いが過る。

 09.美嚢川遡行はジグザグ歩行の連続

今日の歩行距離:12.0km。調査した橋の数:15。
累計歩行距離:1,708.1km。累計調査橋数:2,228。
使用した1/25,000地形図:「天神」(京都及大阪15号-4)