愛媛3-1.鞍瀬川 平成24年11月12日(月)曇り一時晴
周期的に降る雨も止み遡行に出かける。坂出駅で四国ジョイフルクラブの壬生川往復の割引切符を買い特急に乗り込む。弱い冬型の気圧配置となり、海岸寺駅付近の海は北風に波が少し高くなっている。いよいよ北西の風が吹く季節到来である。
初めて旧東予市の壬生川(にゅうがわ)駅に降り立つ。駅の入口横に石碑と解説板が有るので読んでみると、林芙美子の実父がここ壬生川の出身で、23歳になった芙美子が父親に出した手紙の一節が石碑に刻まれている。世間では親子の関係が良くなかったとされていたのを否定するために石碑を立てたようである。
駅前に東予市のマンホールが有ったのでカシャ。駅前のバス乗り場で暫し待ち、10時45分発の保井野行き周桑バスに乗り込む。今日は中山川の支流「鞍瀬川」を歩くことにし、本流と鞍瀬川が合流するあの落合までバスに乗車する。この周桑バスはせとうちバスから分社された、旧周桑郡をテリトリーとするバス事業者である。
バスは東予市から丹原町の人家が続く狭い道を走り、少しずつ乗客が減り、国道11号の湯谷口で乗客は自分一人となる。先日歩いた国道を登り、落合で鞍瀬川に沿って走る県道に入る。直ぐの落合バス停で下車し県道を上流に向かう。旧道と新道が出会う三叉路には大きな石柱の道標が立ち、それぞれ松山、鞍瀬、丹原・今治と矢印と地名が彫られている。阪急電車の駅名板の矢印によく似ている。
狭い谷間に似合わない郵便局が現れ暖簾ならぬドアに吸い込まれる。年賀はがきの愛媛版を見せてもらうと、松山城をバックにした坊ちゃん列車がデザインされているので50枚お買い上げ。いろいろなグッズもおまけにもらいリュックに収める。渓谷の木々は更に紅葉が進み今が見ごろの最盛期である。左岸の狭い県道を進むと対岸に大きな社殿のある神社が見える。社殿の両側の高い銀杏も色づき、さまになっているのでカシャ。
左岸から右岸に移り今が盛りの紅葉を愛でながら進む。下を流れる川を見れば層状の見事な岩が現れる。層雲峡、耶馬溪など多くの有名な渓谷を見て来たが、この石鎚山群の麓の渓谷は有名では無いが素晴らしい。西日本一の高山から流れ、河床の青石がその景観を作っている。
人家の無い道の先に赤いポストが忽然と建っている。全く何もない所に郵便ポストが浮かび上がり、現世のポストかと疑いたくなる。それにしても狭い渓谷で人家が殆ど無く、有っても廃屋と、朽ち果てた家がわびしい。
久しぶりの数軒の民家が見えだすと小型の柴犬が近寄ってくる。遡行ではいつも犬に吠えられていたので、手招きすると嬉しそうに付いてくる。暫く桃太郎になった気分で歩くと、小さな集落が現れる。県道のすぐ下に谷間には珍しい広場があるので立ち寄ると、石碑に「明河小学校」と刻まれている。この川の上流部一帯の地名が明河で、こんな狭い渓谷にもかつては小学校が有ったのだ。それにしても人家が少ないこんな渓谷に一日5往復のバスがあるのは驚異的である。西条市と合併する時の条件としてバスの存続の確約が有ったのかも知れない。
更に狭くなった渓谷を進むと予定していた折返し点の保井野バス停に到着する。バスの行先表示はこの保井野であるが、実際は更に南の山の中腹にある保井野集落の集会所が終点である。未だバスの時刻まで30分ほどあり、ここで待っていてもつまらないので、バスはどこでも乗れるデマンドバスなので終点の集会所まで歩くことにする。
道は標高差150mほどのつづら折れの急坂が続き、下からこれから乗るバスが上がってくる。地図では近くに見える集落まではつづら折れの道で実際は遠く、この山の中腹の集落の為にバスがやってくるのを実感する。
道半ばでくだんのバスが降りてきたので乗車する。壬生川駅まで貸切で走る。来るときに見かけた旧丹原町のマンホールの写真を撮るべく、旧役場付近で停車をお願いして撮ると、なんと丹原町も東予市と全く同じデザインで、市町村名のみが違う代物であった。この時からすでに将来は一緒になる密約が有ったのだろう。
今日の歩行距離:10.8km。調査した橋の数:9。
総歩行距離:5,251.4km。総調査橋数:8,614。
使用した1/25,000地形図:「伊予小松」(高知13号-4)、「石鎚山」(高知14号-3)