兵庫-7. 明石川(その1) 平成24年8月27日(月)晴

長く広い加古川遡行を終え、久しぶりに新しい川にチャレンジする旅に出かける。最後の職場であった舞子の往復に通い慣れた明石駅に降り立つ。
明石川の河口を目指して駅の南側の港に向かう。国道2号線を渡ると直ぐに「魚の棚」の商店街に着く。一般の漁は深夜から早朝に行われ、朝に市場に魚が届くものであるが、明石では「昼網」と称する漁が行われ、市は午後に立つ。明石海峡で摂れた魚はここ魚の棚で午後遅くから市民に売られる。そのため午前の今はひっそりとしている。明石市のマンホールはお馴染みの子午線と天文科学館で描かれ、誰でも直ぐに何所のマンホールかが分かる。願わくば海面に顔を出した蛸が明石海峡大橋を眺めているデザインにしてほしいところだが、橋の方が後なのでしようがない。

 01.午前中の魚の棚はひっそり

 02.明石は子午線の通る町

直ぐに播淡汽船の乗り場に着き、道を西に曲がり多くの漁船が舫っている脇を通る。有名なイカナゴ漁に使用される大きな網を扱える漁船が並んでいる。
やがて明石川の左岸側の土手に行きつき、河口の方に向かう。えっとぶり(久しぶり)の河口で、4月の加古川と吉野川以来の河口である。川の規模にあったこじんまりとした河口で、相撲の格で言えば幕下級である。
明石川は神戸市北区の山田町藍那から西に流れ、途中で南から来た木見川と合流し、徐々に南方向に向きを変え、明石市街地の西で播磨灘に注ぐ25km強の長さの川である。

 03.明石港には漁船が一杯

 04.河口は幕下級

左岸側の道路と、桁下を見るために土手の下の遊歩道とを行ったり来たりの繰り返しで上流に向かう。国道2号、山陽電鉄、山陽本線の下を潜って歩く。山電は川の西側地区の連続立体交差事業の為、新しい橋を現橋の直ぐ下流に建設して完成していた。せっかく明石駅高架化のために作った未だ新しい橋が間もなくオジャンになるのはもったいない。
右岸側に渡り、やがて最初の支流である「伊川」が左岸側に見え合流する。これから先は神戸市西区となり、明石市は海岸からわずか1.5km程度の幅しか無い。北の方から神戸市が覆いかぶさり、明石市は海に追いやられてしまった感じがする。新幹線の下を潜り、神戸市内に有るのに上明石橋と名付けられた橋から南東方向を見れば、丘の向こうに明石海峡大橋の主塔とケーブルが見える。橋は神戸市垂水区舞子から淡路島に渡っているが、橋名は海峡名を摂っている。明石としては母屋を取られた感じであろう。

 05.最初の支流(右)は伊川

 06.川の彼方に明石海峡大橋が覗いている

二番目の支流「櫨谷川」がこちらも左岸側に合流する。本流も支流も六甲山系の北西側から流れ出し、大きく迂回しながら南に向かってくる。北東側は武庫川に合流する。

 07.次の支流は櫨谷川

やがて何度も出会ってきた国道175号に達し、しばし国道の歩道を歩く。第二神明道路の玉津インターの手前に巨大な区役所が現れる。西区役所で、一見大病院のような姿をしている。第二神明の高架下のバス停を今日の折返し点とする。先日の負傷で右足の膝の痛みが少し残っているので、いつもの半分の距離の8kmで我慢してバスに乗り込む。

 08.神戸市西区役所前で帰路に

今日の歩行距離:8.0km。調査した橋の数:13。
累計歩行距離:1,993.3km。累計調査橋数:2,497。
使用した1/25,000地形図:「明石」(徳島1号-1)、「東二見」(姫路4号-2)

兵庫―7. 明石川(その2) 平成24年8月30日(木)晴れ

再び明石駅に降り立ち、駅南側のバス乗り場に向かう。先日の折返し点の西区役所方面行のバスを、西側の乗り場から順次東側に向かって調べていると、一番東端の乗り場に丁度いる。時刻を調べると直ぐの発車のようなので、おにぎりを買わずに乗り込む。直ぐに発車して三木方面に向かう。
一つ手前の「出合橋」バス停で下車。先日調べた国道175号の橋名は「玉津大橋」であるが、バス停名はどういう訳か「出合橋」。直ぐに右岸側の県道に入り遡行を開始する。国道は明石から真っ直ぐにわき目も振らずに北に向かう。さすが子午線の通る町の近くの国道で、子午線と並行に忠実に走っている。川は一旦北北西の方向から流れてくる。道の傍らにイチジクの畑があり、丁度食べごろに成りだした多くの実が見える。川の向こうには第二神明道路の玉津ICが見える。

 01.イチジクが食べごろに

北に方向を変えた川の上を多くの車が行きかう第二神明の下を潜り、小さな下水処理場を過ぎると、それまでは平凡な幾何模様の神戸市のマンホールのデザインが変わっている。京都、神戸、広島、福山などの大きな市は平凡なデザインであったが、この地域だけは独自性のある絵になっている。ガードレールの外側の路側には可憐な赤い花が咲いている。これまで見たことの無い花で、暑い夏に見合った花の色である。

 02.神戸市には珍しい図柄入り

 03.路側に可憐な赤い花が

中津橋の交差点にコンビニが有ったので中に入りお茶とおにぎりを買おうとしたが、売り切れで15分後に到着するとのことであるが、それまで待てないのでお茶だけ買って再開する。
川はここで北東方向に変える。「面舵、少々」、「ヨーソロー」。翻訳すると、「右舵少し変針」、「了解つかまつった」。この交差点から先は再びつまらない本来の絵に帰ってしまっている。狭い範囲の希少価値のあるマンホールである。
国道が再び川を渡る平野大橋で国道を渡り、右岸側の道を続ける。平野町西戸田地区に入ると端正な古民家とその隣に外壁は新しい装いであるが、雰囲気は落ち着いた古い建物の郵便局が並んでいる。エエー感じなのでカシャ。

 04.古い民家の隣に味わいのある郵便局が

途中から県道83号が川沿いで一緒になり、一直線に伸びる県道の歩道を歩く。川向うの丘の上は西神中央駅の西側に広がる大団地(春日台、樫野台、美賀多台、竹の台)が地図上では広がっているが、一戸建てが多いのか下からでは分からない。
今日は8月も末なのに暑さが厳しく、水分補給とタオルの使用に忙しい。歩道脇に高い石柱が建っているので近づくと「大日本中央標準時子午線通過地」の碑文と「明治43年10月30日」の文字が見える。地形図で確かめると確かに135度上に有る。有志の身銭に建てた碑で、明治はすごい。

 05.橋の彼方の丘は西神中央の大団地が

 06.明治43年に建てられた子午線通過地記念碑

右手の丘の上は大団地から西神工業団地に変わり、それらしき建物の頭が見える。県道65号の橋を超え県道83号に入ると、先ほどから道の途中で立ち止まり何かを調べているご同輩を見つけ、追いついたので声を掛けると、路傍の石碑の調査をしているとのこと。調査対象は異なるが、この炎天下に歩いて調査しているご同輩と暫し話をする。当方は既に5千キロも歩いていると言うと、しばし絶句して「すごい」。直ぐに小さな石碑が現れたのでここで袂を分かち、当方はすたこらと歩く。
押部谷町の高和地区に入ると住吉橋と橋の直ぐ向こうに住吉神社が鎮座している。橋と神社、お寺の組み合わせは数多く見て来たが、ここはまさに一衣帯水の関係である。

 07.住吉橋と住吉神社

この辺りから川は東からに変わり再度「面舵、少々」「ヨーソロー」。
「忍海辺(おしんべ)橋」を渡ると右岸側に自転車道が現れる。田圃には赤い幟がはためき、地元の米をPRしている。既に色づいた田にはマネキンの案山子もにらみを効かせている。

 08.押部谷の米をPR

自転車道の途中に休憩所があったので一休みし、火照った体を冷やすことにする。それにしても今日は暑い。上流側を見ればとてもここが政令指定都市の神戸市内とは思えない景色が広がる。こういうところでも政令市なのだから、人口さえ多ければどこもかしこも政令市に格上げされ、今や政令市の大安売りの状況である。このためか先輩格の大阪はこれではたまらんと橋本が都への格上げと差別化に乗り出した。

 09.この休憩所でクールダウン

 10.ここが神戸市内とは信じられない!

更に2kmほど歩き、神戸電鉄栄駅近くの橋で打ち止めとし、栄駅に向かう。なんだか名古屋に来たような駅名である。新開地、高速神戸と乗り継ぎ、JR神戸駅に向かう地下道で遅い昼食を摂り、神戸駅から新快速で帰路につく。今日も人身事故の影響でダイヤが乱れている。

今日の歩行距離:14.5km。調査した橋の数:20。
累計歩行距離:2,007.8km。累計調査橋数:2,517。
使用した1/25,000地形図:「東二見」(姫路4号-2)、「前開」(京都及大阪16号-4)「淡河」(京都及大阪16号-3)