新見駅に降りたった時に手元のミニ温度計を見れば13度。寒い!台風18号が夏の暑さを吹き払ってくれたようだ。5時の天気予報では岡山県北の千屋の最低気温はなんと8度。新見からの芸備線に外国人の若い女性3名が乗ってくる。いつも数名のワンマンカーに似つかわしくない姿で発車。途中の八神で2名、野馳で1名が下車。多分中学校の英語授業の補助教員なのであろう。我々の時代の中学にこんな若い女性外人英語教師が居たらもっと英語に取り組んでいたのに・・。
東城駅8時10分発の中国バスに貸切状態で乗り神龍湖手前のバス停で下車。顔見知りになった運転手と言葉を交わし遡行開始。湖は快晴の空を写し静寂な空気に包まれている。直ぐに最初の橋、紅葉橋を渡る。
県道と別れ湖岸の遊歩道に入る。やがて遡行スタート地点から見えていた旧紅葉橋の袂に着く。昭和5年完成時は日本一の長さを誇っていた旧紅葉橋である。橋の幅が狭いため県道拡幅に伴い新橋が昭和60年に完成し、旧橋はここに移設されたと解説板に記載されている。橋の袂には有形文化財と土木学会土木遺産の指定の証しの銘板が埋め込まれている。
遡行を再開すべく歩き出すと、眼前にこの先渓谷沿いの遊歩道は通行止めの道標が建っている。止む無く標高差150mのつづら折れの階段状の細い道に入る。現地に来てから通行止めの表示を知るが、観光協会はインターネットで知らせるべきである。山道で涼しさは吹っ飛び汗をかきかき、心臓はパクパクと悲鳴を上げている。台地の上に上がりしばし雑木林と人家を見ながら北に向かう。再び坂道を下り渓谷に降りて行く。この道まで入って来る人は無く県北最大の観光地が泣く状態で、本気になって遊歩道の復旧をしてほしい。
湖も尽きた渓谷の遊歩道を上流に向かう。さすがに帝釈峡には紅葉などの落葉樹が多く植えられ、見た目にも優しい景観である。絵葉書的な景色が続き、これがあと2か月後なら紅葉の中の渓谷歩きになるのであるが。
何度か川に架かる遊歩道の橋を越え進むと天然記念物の雄橋が現れる。30年ほど前に訪れたことがあるが、何時誰とどのようにやって来たのかの記憶は無い。ここまで来ると観光客も多く見られるが、全員ここでUターンし上流の駐車場に帰って行く。せっかくの観光資源が無駄になっている。雄橋は単なる川が石灰岩を穿っただけでなく、頂上部は今も道として残り橋の役目も持っている。洞窟では無く橋ですゾ。
。民家の庭に紫色の実を数多く付けた植物を見つける。通りかかった婦人にその名前を尋ねると、「ううーん、さっきまで名前を憶えていたのに出てこない」。更に別の人に聞いても同じ返事。帰宅して家人に聞くと「紫式部」とのことで、ネットで調べると「こむらさき」のようである。
集落には郵便局、駐在所そして古い旅館が二軒もある。虎屋と角屋で、バス停にも帝釈虎屋と有る。角屋を曲がると寺が見え、対岸の永明寺に渡る橋はコンクリート製の太鼓橋である。寺は絶壁の真下にあり、がけ崩れの恐れが有るのか立ち入り禁止となっている。ここも対入り禁止じゃー。それにしても様になった景観である。
渓谷が一旦尽きると黄金色の田圃が広がる始終地区に入る。すでに多くの田では稲刈りも終わっている。
ミニ盆地の西端を南に向かうと、彼方に快晴の空の青、山林の緑、田の黄金色そして焦げ茶色の小学校の廃校舎が色のコントラストを見せてくれる。県道26号との交差点の橋を遡行の終わりとして始終バス停で東城駅行きのバスを待つ。本来はもう少し先の白石別まで歩く予定であったが、迂回登山道で時間と体力を取られたので限の良いここでバスに乗ることにする。10分ほどで備北交通のミニバスが到着し、貸切で駅に向かう。遡行の終わりは長―い帰路の始まりである。
総歩行距離:6,296.4km。総調査橋数:10,028。
使用した1/25,000地形図:「帝釈峡」(高梁15号-2)