ガラ空きの国道314号を快調に走り小奴可駅前に到着。昨日電話で予約していた道後タクシーに乗り変え道後山の麓の三坂地区には8時40分に到着。成羽川は東側の持丸川と西側の道後川が合流して成羽川となっており、どちらの川も甲乙つけがたい長さの川であるが、流域が広く名前もメジャーな道後川の方を成羽川の本流として最上流部にやって来た。広島県北東部の最高峰、道後山(H=1,271m)の南西山腹から流れ出した川の麓が今日の歩きのスタート地点である。標高700mの集落の中心の簡易郵便局の前で車を降りる。局は普通の住宅を利用した、らしからぬ佇まいである。目の前の神社は綺麗に整備され高い杉の木が誇らしげに立っている。01.民家が郵便局を兼ねている
標高が高いこともあり手元の温度計は22度。涼しいー。一足早い秋風とトンボの舞う道を川に向かう。最初の橋から北を望むが鳥取県境の山々は霞んでいる。直ぐの田圃の脇には早くもコスモスが咲きだし、ここは早秋の風情が漂っている。連日の猛暑から避暑気分を味わいながら川沿いの道を下流に向かう。小奴可から上流部にはバスは無く、西条駅からバスは有るが東側から来る者には利用が出来ない。
高原の南側には雄大な姿をした猫山(H=1,195m)がドーンと鎮座している。北側斜面にはスキー場のゲレンデもある。尾道在住時に聞いた名前の「猫山スキー場」はここだったのだ。太田川遡行時に出会った恐羅漢山以来のスキー場である。道路を女子学生の一団が朝の散歩をしている。運動部の合宿のようで、すれ違い時にあいさつを受ける。
やがて左側から持丸川が現れ、眼下の田圃の広がる谷間で合流している。ここから成羽川となり、旧西城町から旧東城町に入る。どちらも今は庄原市に合併されてしまった。左岸側の広い広域農道の日陰の続く道を下って行く。あばら家風のミニ小屋の前に来ると。この建物は地元漁協が運転する超ミニ発電所でビックリする。漁協ならぬギョギョである。
南北に細長い渓谷を抜けると小奴可の台地状の地形と盆地が広がる。広域農道から川沿いの細い道に入る。陽が高くなり、標高も570mまで下ってきたので忘れていた暑さがカムバックする。台地の上から北側を見ると猫山が霞んで見える。更に田圃の中を進み橋に向かうと誠に日本的な景色が見える。山、森、入母屋屋根の農家、田圃そして橋と。何時までも残しておきたい風景である。
田圃の中を進み橋に向かうと、橋名は「宮寺橋」とある。先ほどがお寺だったのでこの先に神社が有るのだろうと進むと、ピンポーン。有りました、「奴可神社」の鳥居と立派な社殿が現れる。山間部には珍しい綺麗に整備された立派なお社である。御祭神は天照大神とある。その他多くの有名な祭神も合併されており、ご祭神のマンションである。
朝、タクシーを乗り継いだ小奴可駅はタクシーの車庫と事務室が主体となり、片手間で鉄道業をやっているように見える。ここでも30分程待ち、備後落合行き列車を待つ。この列車は落合ですぐ折返し新見行きとなるので、非冷房の駅で待つよりは冷房車で行き来した方が楽なので落合行きを待つ。人を怖がらない「ハクセキレイ」がホームと待合室の間を行き来して愛嬌を振りまいてくれる。
やって来た備後落合行きは鉄ちゃんで満員の盛況。まさに盆と正月が一緒にやって来たような込み具合である。全国鉄道乗りつぶし以来の芸備線の奥深くを列車は進み、至る所にある超徐行区間を15kmの速度でそろりそろりと走る。備後落合では三次行きと木次線の宍道行きが接続しており、鉄ちゃんはどっと降り、ホームを右往左往しながら写真を撮っている。向かいのホームでは色違いの木次線単行車が待っている。三次からの列車が到着するとまたまた鉄ちゃんで車内は溢れる。これでは芸備線は鉄のために存在しているような状況である。
総歩行距離:6,234.4km。総調査橋数:9.927。
使用した1/25,000地形図:「道後山」(高梁14号-2)、「小奴可」(高梁15号-1)