愛媛-1.肱 川(その5) 平成24年10月26日(金)晴
天気予報通り今日も上々の天気。最適の季節に遡行は快調に進む。今朝はホテルの朝食が無く、前日にどんぶり館で買っておいたパンで朝飯とする。阪神は久しぶりに一位指名の選手を引き当てた。これをバネにしてチーム改造をして猫から虎に変身してほしい。ホテルを7時過ぎに出発し、予讃線の西側を流れる肱川の左岸側の土手を進む。国道の混雑を避ける出勤の車が土手の上の狭い道を通過する。何処も同じことをやってくれる。宇和町ひまわりの一戸建て団地を過ぎると西側から深ケ川が合流し、本流はますます細い流れに変わる。ここから平地が更に広がり、ここが河口から80km余りも遡ってきた源流近くとはとても思えない光景が広がる。この広い田畑と多くの人口が本流の汚れの元のようである。
宇和町れんげと嘘のような地名の団地を過ぎると民家は減り、長閑な田園風景が続く。中川と書かれたマンホールが現れ、街中と異なったデザインの蓋がある。本流の汚れを減らすための努力がなされている。
川の土手から国道56号に出ると、お馴染みの「四国の道」の碑が立ち、街中の北に有る43番札所の明石寺の案内が書かれている。
歩道の脇には国道の高知からのキロ程が開明学校のイラストと共に書かれ微笑ましい。今後の道路の地名の案内標識やキロ程にはマンホールの絵柄を載せることを提案したい。平地が幾分狭まる辺りに来ると蒲鉾の製造、販売の店が現れ、歩道側の二軒目の店に入り名物のじゃこ天と蒲鉾を買う。標高230mの盆地に蒲鉾の製造所が有るのもおかしな話である。
ここ旧宇和町は平成の合併で近隣の野村町、城川町、明浜町、三瓶町の5町が一緒になり西予市となった。南予に西予とはややこしいが、南予では宇和島のイメージが強いため敢えて西予にしたようである。確かに松山から見れば南であるが、愛媛県全体から見れば西予が合っている。今治は東予であるが、北予が合っている。
多田地区に入るとここにも別のデザインの蓋が現れ、兵庫県の篠山市を想い出す。
やがて川は極端に狭くなり、橋も5m以下の長さになったので橋の調査を打切り今回の終了点の東多田のバス停に向かう。やがて遠目にも見えるバス停標識が見え、丁度下りの宇和島行き急行バスが15分ほど遅れて停車している。1扉のバスは乗降に時間が掛かり、特に年寄りの多い地方では遅れの原因になりやすい。上りの松山道後行きまで20分待ちとなり、バス停でお握りを食べバスを待つ。
こちらも10分以上遅れで乗車する。国道は直ぐに分水嶺のトンネルを潜り、今度は急坂を一気に大洲に向かって下って行く。4日がかりの遡行の終着点からスタートの大洲まで20分で下ってしまう。9時半から11時までは短い。遅れをこの坂道で回復し、予定の特急に間に合い帰路につく。
帰路の詫間駅から海岸寺までの間には海が線路の直ぐ傍に現れる区間が有る。全国的にもこんなに線路際に海が有るのは珍しいので写真に撮っておく、カシャ。
今日の歩行距離:10.0km。調査した橋の数:22。
総歩行距離:5,208.2km。総調査橋数:8,567。
使用した1/25,000地形図:「卯之町」(松山8号-4)、「東多田」(松山8号-3)