愛媛-1.肱 川(その1)平成24年10月11日(木)晴
秋らしさが深まり、テレビで大洲が紹介されているのを見、名物の「芋たき」が食べたくなり、徳島から急遽愛媛の大洲に遡行対象を変更する。愛媛県西予の伊予一の大河「肱川」を歩くことにした。特急から各停に乗り継ぐ時間が少し有るので久しぶりに松山駅に降りたつ。三角屋根の駅は変わらず、四国一の町にしては貧相な駅と駅前である。高松、徳島、高知が新しい駅舎で変わったが、こちらは昔のまま。駅は変わらんぞなモシ。直ぐ近くにマンホールを見つけカシャ。絵柄は市の花藪椿で、道後温泉の本館かと期待していたのでがっかり。
再び駅に戻りホームで駅弁を物色する。だいぶん種類が増えたようだが昔からあるしょうゆ飯にして、長浜周りの宇和島行きの単行ワンマン気動車に乗り込む。土讃線でも乗車したずらっとベンチシートが続く車輛で、一番前の特等席で弁当を食す。発車間際に大勢の中学生が乗り込み、弁当が食べづらくなる。
列車が駅に止る度に乗客は減り、予讃線が昔からある海線と、後から開通した山線とに分かれる向井原駅に着くころには10名程度になった。ここから伊予長浜経由の海線は本来の予讃本線で、この先は四国の山が伊予灘になだれ込む難所で、北陸の親不知、子不知ほどではないが孫知不知ぐらいの区間である。急曲線の連続で列車は40kmから50km程度の速度でそろそろと進む。20年ほど前にこの旧曲線を避けるため山側に長大トンネルを掘り、高規格の線路が建設された。優等列車はすべてこの山線廻りとなった。全国鉄道のりつぶしで昭和36年に乗って以来の海線である。列車は向井原駅から山線と分かれ海線に進む。直ぐ傍をその後に開通した松山道が山線の上を通過している。
これがかつての本線で準急列車が行き交った線路とはとても思えない悪路をゆっくりと列車は走り、肱川が伊予灘に注ぐ河口近くの伊予長浜駅に初めて降り立つ。
駅前から河口部に向かって国道378号を進むと、道路際に津波に備えた避難場所を示す地図が有る。頭上には国の有形文化財に登録された「長浜大橋」の案内標識が見える。この橋は今では数少ない現役の可動橋で、桁が上に開く片開閉橋で、勝鬨橋は両開閉橋であった。可動橋はこの形式以外に桁が両側に建てられた塔の間を上に並行して上がる昇降式と、桁が水平方向に回転する回転式が有る。前者は既に廃線となった国鉄佐賀線の筑後川橋梁が有名で、後者は天の橋立の根元の水道に架かっている橋が今も動いている。
海に近づくと水産会社と料理屋が続き、店先にはトラフグが生簀に入れられている。ここ長浜はトラフグの産地で大半は下関に持っていかれるが、一部はここの名産物として食べられているようだ。
それまではありふれた模様のマンホールであったが、ある一角に来ると長浜橋がデザインされた蓋があった。大洲市と書かれているので、長浜町が大洲市に合併された以後の新しい物のようだ。橋が描かれた蓋は横浜のベイブリッジ以来の二例目である。
河口部に着くと国道の新長浜橋が海際をPC橋で長く高い位置を通過している。これで桁下空間は十分なのであろう。直ぐ傍に海と川の管理境界を現す標識も有る。さすが一級河川の河口部である。
300mほど上流に有る長浜橋に一度川を離れて向かうと、ここにも国の登録有形文化財の末永家住宅が有る。橋と家と異なる文化財が至近距離に有る。
今回の肱川遡行の最大の見どころである長浜橋を渡る。片開き式の開閉部は長さが15m程度で幅の狭い船しか通れそうにも無い。今は船の航行が殆ど無いため時々観光用に桁が開かれるようである。開閉機構の詳細は外から見ただけでは分からないが、油圧式のピストンが縮むことで回転運動が桁に働く機構のようだ。先日見たテレビの映像を写真に撮っておいた。
肱川は長さが103km、流域面積は1,210km2と吉野川や四万十川と比較すれば規模は劣るが、その支流の数は474と四国一の多さである。源流部は大洲の南南西の方向に8kmほど離れた標高300m所に有り、そこから南、東、北、西と方向を変え、ぐるりと一周して大洲で再び北に方向を変え、長浜で海に注ぐフックのような形の川である。伊予灘に臨む山が海岸近くに迫り、川はこの山をぶった切ったような形で海に出る。中流部からいきなり海に出るようになる。出口の背後の谷間と大洲盆地には洪水時には水が滞留されやすい地形で、冬にはここに川霧が溜まり、朝温度上昇とともにこの霧が一気に狭い河口の出口に殺到し、強い風と霧が海に向かって吹き下る。これが「肱川あらし」と言われる珍しい現象である。丁度人間の腸と肛門のような物で、ガスが溜まると活きよい良く屁が飛び出るのと似ている。河口部に平野部が無くいきなり海に出る川は急峻な地形の日本には数多く有り、熊野川、江の川などがその例であるが肱川はその極端な例である。
川の両側に県道が走っているが、交通量の少ないと思われる左岸側の43号線を歩く。山が川に迫る所では道はアップダウンとなるが、車の少ない道は歩きやすく快調に進む。途中で久しぶりのランガーアーチ橋を見る。最近の遡行では見ることが無かった川の距離標識をこれも久しぶりに見、さすが一級河川である。
南東方向から流れていた川が大洲盆地に入ると大きく90度曲がって南西方向からの流れとなる。川の規模の割には水量が少なく感じ、多分標高が低い位置からの流れで森林の規模が小さいためではないだろうか?川全体の平均勾配は0.29%と極端に緩い流れである。
大洲の中心部を遠くに見やりながら左岸の堤防の上の道路を歩くと、東の方に見事な山容をした山がドンと構えて居座っている。道路際にはこの川の清掃などを行うボランティア団体の名前が書かれた看板が立っている。吉野川と同じような方法で川を護っている。どこかの県も真似をせんといかんぞなもし。
川は南の方にぐるりと廻りこみ正面の丘の上に大洲城が忽然と現れる。10年近く前に来た時には無かった天守が誇らしげに聳えている。4年前に再建されたようで、築城の名手、藤堂孝虎作の城が復元された。川沿いの丘の上に建つ城は岡山城、犬山城などが有るが大洲城もこれらに仲間入りとなる。
国道56号が大洲の北側と南側を繋ぐ肱川橋で今日の打ち止め点とし、直ぐ近くの郷土料理屋の「たる井」に向かう。10年前の昼時に一度訪れた店で、季節が芋たきのシーズンでは無かったので、今回リベンジにやって来た。大洲では肱川の河原で芋たきを昔からやってきたようで、今日は料理屋で食することにする。芋料理では山形県の芋炊きが有名であるが、ここも負けず劣らずの料理である。鮎も名物なので、落ち鮎の塩焼きと芋たき、そして鮎雑炊を頼む。20km歩いた体にビールと酒と鮎と芋が染み渡る。食後ほろ酔いの体を秋の夜風に吹かれながらビジネスホテルに歩いて行く。
今日の歩行距離:20.0km。調査した橋の数:10。
総歩行距離:5,116.2km。総調査橋数:8,484。
使用した1/25,000地形図:「伊予長浜」(松山11号-1)、「串」(松山7号-3)、「大洲」(松山7号-4)