高知2-7. 梼原川(その5) 平成26年5月31日(土)晴れ
梼原川最終区間の歩きはバスが適当な時刻に無いので奮発してタクシー利用とする。顔見知りとなったタクシーで梼原川最上流部の太田戸に向かう。先に歩く区間の全容を知ってしまうと興味が半減するので、敢えて景色は見ないようにする。8時20分に区切りのよい太田戸バス停前で下車。梼原川はこの太田戸で北からの太田戸川と東からの横貝川の二つの流れが合流し梼原川となる。
太田戸川の源流は1,300m以上の山々が東西に延び、草原の広がる主峰、五段城(H=1,456m)の南山腹から流れ出している。県道304号の狭い道を西に向かい下り坂を降りて行く。川沿いに平地が広がり田圃は田植えが終わった所で、水の張られた田圃には耕運機を使った証しの足跡が残っている。それにしても足元不用意な田圃の中、早苗を踏まずによく歩けるものと感心する。
3キロほど歩くと国道440号と交差する。この国道は近年改良が進み、愛媛県境に長いトンネルが掘られ久万高原町の国道33号に短絡している。国道を越えるとこの谷間の大きな集落が続く越知面地区に入る。仁淀川沿いの越知町と類似の地名で、伊予の越智郡とは深い繋がりがあるのだろうか?直ぐ現れる神社は大三島に本社の大山祇神社が在る三嶋神社である。
家並みと田が続く県道を西に向かうと、町内産の木材を使用した町営住宅が並んでいる。昨日の四万川地区でも見かけた住宅であるが、こちらは規模が大きい。何となく懐かしさを覚える姿である。
集落の外れの橋の袂の三叉路に茶堂が建っている。傍らには茶堂の解説板も在る。茶堂は本来は旅人の休憩場所で、ここで旅人をもてなし、仏を祀り住民の信仰、交流の場所でもあった。霊場巡りのお接待の原型がここに有る。
橋を渡り国道440号の歩道を南に向かう。今日は先日からの季節外れの高温が全国に広がっているが、南国土佐は普通の温度で北海道が30度以上の暑さと、南北がさかさまになっている。標高500m近いここはさらに涼しく快調に歩ける。狭い渓谷となった川には石藪、中古屋と二つの沈下橋が架かっている。
谷間が一層狭まった所が親ケ淵で奇岩が川に迫っている。改良された国道は何度も川を渡り、良好な線形を保っている。大蔵谷神楽橋の四隅の親柱の上には本物と見間違える日本刀が4振り載っている。岡山、成羽川の神楽橋の大きな神楽像を想い出す。
帰りのバスの時刻が迫っているのでギアをトップに入れるが最近はトップのスピードが出なくなってきた。梼原の街中の入口に目指す屋根付き木橋が現れる。対岸(西側)に有る三島神社に渡る橋で、2径間の立派な姿をした橋である。昨日見たアーチ橋はいささか無理をした木橋であるが、この御幸橋は素直な美しい姿をしている。神社の屋根と橋の屋根とのバランスもグー。橋の袂には「てづくり郷土賞」なる賞の受賞記念碑もある。一度良い方に廻り出すとどんどん運はあちらからやって来るようだ。国も補助金などの交付先を探すのに苦労しているようで、これらの町の活躍は渡りに舟であろう。
11時前にバスセンターに着き、11時5分発の高知行きバスに乗り込み帰路につく。次は途中の町境にバス路線の無い北川川の攻略となるが、じっくりと攻め方を研究することにする。
本日の歩行距離:9.5km。調査した橋の数:20。
総歩行距離:7,228.6km。総調査橋数:10,923。
使用した1/25,000地形図:「越知面」(松山4号-1)、「梼原」(松山4号-2)