高知-6.仁淀川(その1平成26年4月23日(水)快晴

久しぶりの土讃線南風に乗車。高知からのバスの便を考慮し、今日はいつもの1号では無く3号にする。四国3番目の大河「仁淀川」に取り掛かる。延長124km、流域面積1,560km、四国一の高峰「石鎚山」南面から南東方向に流れる、日本一の清流にもなった大河である。

高知駅から約1km離れた街の中心の堺町バス停に急ぐ。高知のバスは大半が高知駅に立ち寄らないので旅行者には大変不便な町である。高松、徳島は殆ど全部のバスが駅に立ち寄るか、駅前始発である。竜馬よ、どうにかせんといかんぜよ!駅前通りを南に向かうと歩道脇にアンパンマンとバイキンマンの石像が有る。さすが本場である。はりまや橋交差点手前の歩道の傍らにはかつての橋のレプリカが有る。日本三大がっかり名所の筆頭だけの大きさである。ペギー葉山さんの歌がヒットしすぎたせいもある。

image1 01.高知駅前通りのアンパンマンの石像

image2 02.これが有名なはりまや橋?

交差点を右に曲がり100mほど西に来ると堺町バス停である。高知の繁華街の直ぐ南にあり、かつては無かった広い公園が北側に広がっている。公園の下は地下駐車場のようで、よくもこれだけの広い土地が確保されたものである。仁淀川河口近くの仁野へここから県交通のバスを利用する。路線図で行先を確認する。

広い道の反対側には酒場放浪記の舞台にもってこいの酒場が際立つ。テレビの酒場放浪記の主人公吉田類は、ここ高知の出身で仁淀川が生まれ故郷である。5分程で遅れた仁野行きバスがやってきた。

image3 03.堺町バス停の路線図

image4 04.酒場放浪記のセットのような飲み屋

30分810円のバス旅は川が太平洋に注ぐ直ぐ東側が終点である。今日も快晴で太平洋からはそよそよと海風が吹きよる。遡行で初めての本当の太平洋の河口からの出発である。河口の真上には県道23号の仁淀川河口大橋が架かっている。海岸沿いの県道がそのままダイレクトに川を跨ぐため、橋の長さは1,007mもある。大河と海の境界に橋が架かっているのは超珍しい。橋は昭和30年代後半から40年代にかけて流行った径間の中央にヒンジを有するPC箱桁ラーメン橋で、自分も大学の卒業設計で苦心して計算した橋の種類である。中央にヒンジが有るので力学計算が手計算で出来るので、コンピューターが未発達の時代の遺産である。ヒンジ部の垂れ下がり量の推算が甘いと桁中央部が垂れ下がった状態になる欠点があり、ここも見事に径間中央が垂れ下がっている。今は簡単にコンピューターで設計できるのでこのヒンジは無い。

image5 05.仁淀川河口大橋は長―い

image6 06.ヒンジ部が下がり凹凸が

橋の上から広々とした太平洋を見、反対側からもこれから向かう上流側を望む。橋までの広い川面は河口部では急激に狭まっている。海の強い沿岸流で砂が河口に堆積し、川幅が狭まる現象である。川は海にはかなわない。

image7 07.橋上から太平洋を見る

image8 08.橋から上流を見る

今は高知市に編入された春野町から対岸の土佐市に入る。橋から海岸部に向かうと海岸部と河川部との境界標識が誇らしげに建っている。ここは仁淀川のマイナス0.2キロ地点を示す河川標識もある。ゼロと境界とが一致していないのはなんでやー。川の左岸側を北に向かうと直ぐにありました、ゼロキロポストが。それにしても橋は長―い。

image9 09.海岸と川の境界標識

image10 10.橋長は1,007mもある

このゼロキロ地点で右岸側に合流する最初の支流である「波介川」の真新しい河口堰が出来ている。ここから2kmほど上流で合流していた波介川をここまで開削延長してきたのである。手元の平成19年更新の地形図には記載されていない。河川延長の記念碑文と工事説明図でこの間の事情が分かる。大河に合流する支流は直ぐに合流させず、しばらく本流と並行に流し、本流の流れの影響の少ない広い地点で合流させるのを何度も見て来た。吉野川、四万十川、広島の芦田川などである。

image11 11.波介川付替え完成記念碑

image12 12.付替え説明図

河口大橋から次の仁淀川大橋まで5キロほどは橋が無いので、本流と並走する新しい波介川の右岸側の堤防の上の管理道路を北に向かう。西側には広大な平地にビニールハウスの大団地が広がる。かつては洪水に悩まされた地域であろう。土佐市側の団地が尽きると今度は左岸側の春野町に舞台は移る。何れは遡行するであろう波介川の橋を調べておく。やがて流路延長のキーポイントになったと思われる小高い丘を川は抜ける。かつての川はこの丘の手前で本流に合流していたのだ。直ぐにかつての合流点の名残の水門が現れる。右側に削られた丘も見える。

image13 13.かつてはこの水門付近で本流に合流

ここから暫くは本流と波介川は少し離れて流れている。直ぐに川名の入った河川名標識が現れる。この川ははげ川と読むのですぞ。四万十川にも半家が有ったが、土佐はハゲがお好きなようで。

image14 14.波介川は「はげ川」と読む

やがてハゲは大きく直角に曲がり西からの流れとなり、本家と袂を分かつ。更に昔はここで本流に合流していたのであろう。直ぐに巨大はゲートを有する水門が現れる。丁度水門の工事中で、水門横の橋にはクレーン車が2台据えられ工事の真っ最中。狭い隙間を掻い潜りながら対岸に渡る。

image15 15.巨大な水門ゲート

ここから先は本流一本である。300mほどで国道56号の仁淀川大橋となる。下流側には未供用の新しい橋が完成している。上流側の現橋の歩道を対岸の左岸側に渡る。2車線を4車線にするようだ。こちらの橋は650mほどとやや短くなった。途中の河原に木々が茂り橋の全貌と形式が分かりにくい。56号は高知から松山まで海沿い近くを通る国道で、直ぐ上流の33号は高知から松山までほぼ仁淀川沿いに四国を斜め横断する国道で、どちらも元1級国道である。左岸側の河川敷は広く、高水敷地には田畑が広がり田起こしの真っ最中である。彼方の小高い山は新緑の緑のグラデーションを見せてくれる。

image16 16.高水敷内は田起こしの真っ最中

image17 17.緑のグラデーションや

3キロほどで高知道の仁淀川橋となる。春野町からいの町に入る。河川敷には木々が茂り高木となり。橋を見る視界を妨げてくれる。河川管理の立場から言えば、河川敷内の木々は洪水時の流れを阻害する要因となるため伐採しておくべきだと思うのであるが、四万十川と仁淀川とではその対応に大きな差がある。

続いて1km強で県道38号の八天大橋が現れる。両岸に山が迫る地点で川の両岸の地名を繋いだ橋名であるが、超ローカルな橋名である。高知方面から土佐市の中心の高岡地区に向かう最短経路の橋である。

大きな堰が現れる。地形図を見ると「八田堰」とある。左岸側の春野地区を灌漑するために設けられた堰で、土佐の各所で見られる土佐藩家老「野中兼山」の関わった事業である。

image18 18.伊野の手前には大規模な堰が

image19 19.ここにも野中兼山の足跡が

道路に真っ新なマンホールが見える。未だ1か月も経ってはいないようで舗装が真っ黒である。図柄は伊野町の街中にある「紙の博物館」のようである。かつてこの博物館に立ち寄り紙漉き体験をしたことがある。

伊野の市街地に入り見晴らしの良い土手の上を北北西に向かう。陽が傾き、土讃線鉄橋の彼方に今宵の宿の簡保の宿が小高い山の上に見える。車窓から何度も見上げた建物である。

image20 20.真っ新な蓋は紙の博物館     image21 21.土讃線鉄橋と今宵の宿

鉄橋を潜り再び土手路を進むと紙の博物館の本物が土手下に見える。伊野は土佐和紙の本場である。土手が尽き国道33号に降りて来ると仁淀川流域の観光案内図が有ったのでカシャ。仁淀川橋を渡り簡保の宿に向かう。

image22 22.本物が土手下に現れる

image23 23.仁淀川流域観光案内図

 

本日の歩行距離:15.3km。調査した橋の数:12。

総歩行距離:7,069.2km。総調査橋数:10,767。

使用した1/25,000地形図:「土佐高岡」(高知12号-1)、「いの」(高知11号-2)