高知-2.四万十川(その5) 平成25年7月2日(火)曇り

耳が聞こえない80歳代の宿の主人との会話は手伝いの近所の婆さんがしてくれる。アナログテレビ、懐かしい汲み取り式トイレとまさに昭和に戻った宿である。遡行を始めてからふくらはぎとももに筋肉が付き、正座や座り込みが出来なくなったのでトイレは宿の前の川の駅の西洋式トイレですまし、7時半宿の前から昨日乗ったバスに再度乗り折返し点の浦越に向かう。

左岸側の山の中腹にある里川集落とこちらを繋ぐ里川沈下橋の直ぐ上流に永久橋の里川大橋が架かっている。地図で見ると里川に向かうにはこの橋が唯一で、他に迂回することはできない。このため永久橋が建設されたものと考える。沈下橋の真ん中の径間は真新しいコンクリートで、流失した桁を最近再建したのだろう。大橋の袂の親柱には川の恵みが数多く描かれている。

image1  01.里川大橋から下流の沈下橋を見る

image2 02.里川大橋の親柱も川の恵みが

再び半島の根元に戻り国道を上流に向かう。直ぐに旧十和村から旧大正町に入る。国道は集落部を除いて完全2車線、歩道完備の優れものである。中村から江川崎までは休憩所、トイレが要所要所に整備されていたが、この四万十町地域には無い。せっかくの日本を代表する川、四万十川の景観を歩いてや自転車で巡るルート、貸自転車のネットワーク、水洗トイレ付の宿泊施設、休憩施設の整備が望まれる。尾道と今治を結ぶしまなみ海道は自転車道が整備され今や国際的に有名なサイクリングロードとなり、地元には元気が溢れているヨ。「四万十清流ロード」と命名しておく。

image3  03.旧十和村から旧大正町に入る

image4 04.国道381号は歩道完備

歩道に見受けられる花も素晴らしく、今日は大きな株に薄水色の花が爽やかな紫陽花が際立つ。

image5 05.見納めの紫陽花

国道と予土線は再びペニス状地形の根元をトンネルで抜け、大正の田野々に向かうが当方は先端の方に向かう。先端部に来ると下水処理場らしき施設が見える。やがて道にマンホールが現れる。お久しぶーりーねー。マン蓋欠乏症に罹っていたのがこれで解消された。図柄は町の公園にある大きな石造りの風車のようである。

image6 06.久しぶりにマンホールに出会う

先端部が四万十川の本流と最大の支流である「梼原川」との合流点である。梼原川最初の橋である田野々大橋は平成6年完成の最新のニールセン橋であるが、管理不行き届きで惨憺たる有様で醜悪に見える。最新ファッションに包まれた美女の成れの果ての感じがする。

image7 07.惨憺たる状態の橋

橋を渡ると再び国道381号に出会う。合流点付近の国道は川に迫り出した桟橋上の道で歩道が無い。工費節約のため歩道が犠牲になった。車が直ぐ横をすれ違う道の端から合流部の川の写真をカシャ。左は車、右は迫り出した下に川と恐ろしい所である。合流前の本流を見れば、川幅も水量も半減し迫力が無くなっている。こりゃ支流に母屋を取られているぞな。

image8  08.梼原川(右)が本流(左)に合流し、正面に流れる

image9 09.合流点の手前の川は迫力半減

直ぐに歩道が現れ1kmほど進めば道の駅「四万十大正」が見える。歩道の床のプレキャスト板の突起が悪さをしたのか足に豆が出来たようだ。これで今日はよしなさいと言う声が聞こえ、この道の駅を今回の折り返し点として大正駅の方に折り返す。暫し歩道の突起の上を歩き、歩道の無くなる所から駅に向かう町道に入る。こちらには木製の歩道と手摺が出迎えてくれる。

image10  10.道の駅「四万十大正」で折り返し

image11 11.駅に向かう歩道には木製手摺と舗装が

久しぶりの大きな集落と商店が並ぶ町らしい道を歩き駅に向かう。土佐大正駅は木造駅舎で向かって左側に「北幡観光バス」の事務室が入り、右側が待合室になっている。ここは旧大正町と十和村の集落と駅を結ぶバスのターミナルである。もっとも国道381号を走る幹線以外は細々とした本数である。将来の梼原川遡行のため情報を仕入れておく。

列車まで30分ほどあるので商店街をぶらつく。支所、交番、郵便局、旅館、飲食店、高校・・・なんでも一応揃っている。梼原川が合流し、平地が開けたここはこの地域最大の拠点であるのが分かる。次回はここから窪川までとなるだろう。

image12 12.土佐大正駅は木造駅舎

 

本日の歩行距離:8.5km。調査した橋の数:5。

総歩行距離:6141.0km。総調査橋数:9,709。

使用した1/25,000地形図:「田野々」(宇和島1号-2)