広島-10.成羽川(その4)平成25年7月22日(月)晴れたり曇ったり
19日(金)の東京八重洲、20日(土)の神戸舞子と二日続きの講演と、盆と正月が一緒に来たような日が過ぎ、今日から普段の生活に戻り遡行を再開する。
広島県から瀬戸内海に流れる川で残ったのは岡山県に流れる高梁川の最大支流「成羽川」とその二次支流の「帝釈川」である。先ずは成羽川に取り掛かることにし、青春18切符が利用できるようになったので東城まで行くことにする。数少ない芸備線列車と中国バスのダイヤを比較検討し、今回は上流部から下ることにする。高梁川とその支流遡行時に何度も乗車した庭瀬5時57分発の米子行きワンマンカーに乗車。新見駅でこちらも何度か乗車した東城行き単行ワンマンカーに乗り変える。3名の乗車で出発進行。
image1 01.新見駅から東城行きに乗り変え
夏休みに入り野馳駅では古い味のある駅舎をバックに列車を撮る撮り鉄が並んでいる。駅前には3年前に利用したコミバスの運転手兼タクシー会社の社長さんがバスの前で待っている。お元気そうで何より。7時56分、芸備線東城駅に到着。二面2線の駅のホームの一面は閉鎖され、跨線橋も閉鎖されている。新見から東城間は1日6本あるが、ここから西は備後落合までの3本のみの超閑散路線である。芸備線の名前が泣くような状況である。中国道、広島道が完成し、県都広島には高速バスの方が早く本数も多い。鉄道利用だけであれば広島よりも岡山の方が便利である。

image2  02.東城から西は1日たった3本

image3 03.広島行き高速バスは9本も有る
前回来た時には無かった新しいトイレと四阿が出来、タクシー運転手の休憩場となっている。駅は鉄道よりもバスのターミナルとしての方が優勢で駅舎も悲しそうな顔をしている。駅前のマンホールをカシャ。広島での久しぶりのマン蓋である。東城では当然「帝釈峡」でしょう。

image4  04..駅舎が物悲しい

image5 05.東城町は当然帝釈峡だ
駅の直ぐ前を流れる「成羽川」は町のど真ん中を南北に流れている。水量も多く勢いよく流れている。駅前のその名も「駅前橋」から下流側を見ると大きな柳らしき木が川に傾いて聳えている。
image6  06.東城のど真ん中を流れる成羽川
市街地の真ん中を川が流れているため多くの橋が架かり、左岸側の遊歩道を下って行く。4番目の国道314号の「城山橋」の欄干には数多くの立派なレリーフが掛っている。どうやら町の祭りの様子のようで、帰宅してから調べると「お通り」という秋の祭りで安芸の国の城主浅野氏がこの地も収めており、大名行列とそれに連なる色々なパフォーマンスの姿が再現されており、1枚1枚の絵柄が異なり、紙芝居を見ている感じである。

image7  07.城山橋の欄干には「お通り」祭りの姿が

image8 08.広島浅野藩の行列だ
image9  09.合戦の様子も

image10 10.花笠踊りも華麗に

並みの南端まで来ると中国道の東城インターが現れ、続いて国道182号線沿いに「道YOUさろん東城」なる道の駅が登場する。なんともけったいな名前の付け方である。地元産の獲れたて野菜があったので冷やかし気分で見て回る。上手げなトウモロコシが有ったので1本お買い上げ。これから炎天下を歩くのでこれだけを土産にして遡行を続ける。

image11  11.道の駅で朝どれのトウモロコシを買う

川沿いの国道182号の歩道の無い道を渓谷に入って行く。両側には150mほどの高さの岩山が垂直に聳え、川に迫っている。両側の岩山の上は平たんなようで、成羽川がこの準平原を切り刻んでこの狭い渓谷を作ったようだ。地元の川の漁業組合名は「東城川漁業組合」、橋の親柱には「東城川」と書かれた橋もある。遥か下流の岡山の成羽とかいう地名を冠した川名はイケンのじゃ。

image12  12.街を過ぎると狭隘な渓谷に

image13 13.高さ150m余りの岩山が迫る
渓谷の少し開けた所の対岸に東城町のごみ焼却場が現れ、直ぐ隣にはごみ固形燃料化施設なる建物も建っている。ゴミが燃料として再利用されるのはいいことだ。
 image14 14.ごみ焼却場と固形化施設が同居
次の谷間の開けた所に小さな吊橋が現れ、国道側の橋の際には通行禁止の標識が見える。橋の入口に近づくと、この橋は私道橋で無用のものは立入禁止と書かれ、対岸にはそれらしき家が有る。たった1軒の家がこれだけの橋を建設するとはたいしたものである。これからは維持管理が大変ですぞ。

image15  15.この吊橋は私道の橋

image16 16.無用の者は通行禁止じゃ
やがて谷間が大きく開け、北東方向からの流れ「大野部川」が合流する河内地区にやって来る。この川は岡山県哲西町から広島県東城に流れる不思議な川で、2年半ほど前に源流部から下りこの合流部まで来る予定であったが、県境付近の県道が土砂崩れで通行止めのため県境で折り返したいわく因縁の有る川である。帰りのバスまで時間に余裕があるので大野部川を上流に向かい寄り道をする。
哲西に向かう県道108号が成羽川を渡る柴橋の際には、お地蔵さんが3体並んだ祠が建っている。昔の橋の建設時に事故でも有ったのだろうか?川幅は狭く、岡山遡行時には対象にした川ではあるが、岡山以後の遡行対象河川としては短く水量も少ないので3番目の橋で終わりとする。最近完成したような林道の橋の主桁が一見木製に見えるので接近する。橋の長さと桁以外の部材を見るととても木だけでは持ちそうもない。鉄桁の周りを木で覆ったような構造で気になる橋ではある。
 image17 17.柴橋の袂には柴橋堂の祠が
image18  18.林道の橋桁は木製か?
image19 19.全体のバランスを考えるとこれは 木橋もどきじゃ
往復2kmほど歩いて成羽川に戻る。直ぐに地元企業が川の清掃ボランティアをしていることを知らせる看板が誇らしげに建っている。看板は新しく最近始めたのだろう。大野部川の合流点で川を見ればなんともか細い流れである。それにしても今日は暑い。汗とタオルのイタチゴッコの連続である。100番台の国道なので自販機ぐらいは有るだろうと思っていたが、集落が少なく自販機は見当たらない。

image20  20.河川管理の広報板が誇らしげに

image21 21.大野部川はなんとか細い流れよ
やがて川側に歩道が付きだし危険性が減少した所で旧東城町から旧油木町に入る。比婆郡から神石郡に入る。どちらの郡名も田舎のイメージが強い。地獄の様相を帯びだした頃に天国が現れる。待望の自販機が、それも4台も並んでいる。分散して置いてくれればいい物だが、地獄に仏で水分を補給する。

image22  22.神石高原町(旧油木町)に入る

image23 23.東城町は庄原市に吸収されてしまった
元気溌剌サイダーで国道を南下する。やがて成羽川に帝釈川が合流する地点に達する。成羽川には川沿いに岡山県に向かう県道の橋「新小城橋」が、帝釈川には国道182号の橋が架かっている。こちらの橋は橋名を示す銘板が盗難にあったようで無い。川は帝釈川の方が本流のようにまっすぐ西から東に流れ、本流の方は北から東に方向を変える。
image24  24.成羽川はここで帝釈川を併せ東に向かう
image25 25.成羽川(右)に帝釈川(正面)が合流
国道を離れ左岸側を川沿いに向かう県道107号に入る。2km弱ほど歩いて「小町橋」に着く。成羽川を堰き止めた新成羽川ダムが作った人造湖「備中湖」がこの橋の近くから始まる。ダムは延々13km余りもダム湖を作り、ダム湖の両岸には集落が無く、道路も県道1本が左岸側を下流に向かっている。このため小町橋からダムまで橋は全く無く、公共交通も無い秘境である。このため岡山遡行時にはダムの直ぐ上流で遡行を断念し、今回は上流側からこの橋までやって来てここでUターンする。13kmの未踏区間が生じるのは残念であるがやむを得ず引き返す。
合流点の「小城橋」バス停で20分間バスを待つ。バス停には日陰が無いので帝釈川の左岸側の道に入り木陰でひたすらバスを待つ。

image26  26.この小町橋から先の下流には13kmも橋が無い

5分ほど遅れて東城駅行きのバスがやってきてクーラーの出迎えを受ける。列車まで時間が有るので往路に立ち寄った道の駅で下車し、レストランで冷コーを飲んでクールダウンを図る。丁度良い時間に東城町を巡回する備北交通バスがあるので駅に向かう。
備後落合からやって来た新見行きに乗ると乗り鉄が数名いるいる。新見駅に着く5分前に岡山行き普通電車が出ているので、止む無く駅で倉敷までの乗車券と特急券を購入する。駅員には「少ない芸備線列車のダイヤは何とでもなるのに、伯備線の普通の発車5分後に新見に到着させるスジ屋は嫌がらせをしているみたいだな」と言っておく。駅員も同感らしい笑顔で切符をはじき出している。これで6時前には家に着ける。
 本日の歩行距離:16.2km。調査した橋の数:25。
総歩行距離:6,188.0km。総調査橋数:9,842。
使用した1/25,000地形図:「東城」(高梁11号-4)、「油木」(高梁12号-3)