広島-5. 太田川(その4) 平成23年9月26日(月)曇り後晴れ
夜明けとともに湖畔のホテルから温井ダムの見渡せる展望公園へ歩く。高さ156mの日本第二位の高さ(一位は186mの黒四ダム)のアーチダムで、旧建設省自慢のダムである。見下ろすダムは今まで見て来たダムとは格が違う大きさで、西の横綱である。これまでのダムは十両から幕内クラスで、新成羽川ダムが小結程度である。湖の名前が「竜姫湖」と広島のダム湖には全て竜の字が付いていたが、聞きなれない単語である。高さは高いが貯水量はそれほど多くない。谷間が狭いことと川の勾配が急なせいであるが、洪水調節には有効なようだ。

image1  01.高さ156m、日本第二位の高さの温井ダム

ホテルのロビーに、太田川流域の立体模型地図が有ったので立体地形を頭の引き出しに記憶させておく。複雑な山と川の混在した地形である。
image2  02.太田川流域の立体模型地図
加計の町までタクシーに乗り、加計大橋から遡行を始め、昨日の終点「追崎橋」まで川を今日は下ることにする。早速、旧加計町のマンホールを見つけカシャ。町の名物「モリアオガエル」と町花「アザレア」が描かれている。
国道191号の加計大橋は太田川を渡り、更に可部線の上を跨ぐために高い橋脚となっているが、完成間もなく可部線が廃線となり、今となっては余計な工事費が掛かってしまった。

image3  03.旧:加計町マンホール

image4 04.廃止された可部線を跨ぐ加計大橋
昨日の後半と今日は川の左岸の国道191号歩きとなったが、この道路は大半の区間に歩道が無く、路肩も狭く大型車の通過の度に冷や冷やさせられる。特に川の堤防の改良工事の幕をダンプの前面に取り付け、ひっきりなしに通過するダンプは速度を落とさずにすれ違い、帽子が風圧で飛ばされる。大型ダンプは特に風圧が高く、運転手はこのことを知っていないようだ。丁度通りかかった河川事務所のパトロールカーが止まっていたのでこのことを話し、人とすれ違う時は速度を落とすよう請負者に周知してくれるようにお願いする。
国道と並行していた可部線の跡と撤去された吊橋の残骸が物悲しく、遠方の新しい橋との対比が際立っている。
image5  05.国道脇の線路跡と吊橋の跡
「津浪駅」の跡地にミニ道の駅の看板があり、これぞ真の道の駅であるが、今日は定休日で残念。
更に下ると三番目の吊橋と出会う。横方向の振動を抑えるウインドケーブルがバッチリと張られ、これなら横風にも負けない吊橋で安心して通れる。

image6  06.これぞ本物の道の駅(津浪駅跡)

image7 07.三番目の吊橋は横風対策もバッチリ
「坪野」集落の入口の線路跡に国鉄2万キロ建設の記念碑を見つける。この区間の工事完成で2万キロを達成し、これを記念に当時の下関工事局が設けたものであるが、廃線となり空しい。
image8  08.国鉄2万キロ完成記念碑も空しく
坪野集落の先からわずかであるが旧「湯来町」区間となり、貴重なマンホールを見つけこれもカシャ。湯来町も広島市に吸収され佐伯区となった。旧可部町は広い安佐北区となり、大阪に生まれ育ち、京都、名古屋、東京、神戸と過ごした目から見ればこれが政令指定都市かと目を疑いたくなる景色と雰囲気である。もっとも岡山も同類で旭川の中流部まで市域に組み込んでいる。静岡、浜松はもっとひどく2,000m級以上の山まである。
川の屈曲と付き合った国道が、ここは付き合いきれないとトンネルでショートカットしている所から川沿いの旧道に入り、旧「安野駅」に来ると、駅舎は綺麗に整備され、ホームには懐かしい名車「キハ58型式」がきれいな広島支社塗装仕様で停車している。蒸気機関車を展示しているのはよく見かけるが気動車は珍しい。

image9  09.旧:湯来(ゆき)町マンホール

image10 10.安野駅ホームには名車キハ58型が綺麗に保存されている
歩きはここまでとし、しばしバスの到着まで休憩する。やがて広電バスの広島バスセンター行きが現れ乗車する。このバスは最新式で座席も長距離バス並のシートで、無断変速機のオートマ車である。信号で停車すると自動的にエンジンが停止する。広島のどこかの新車と同じある。可部で可部線に乗り継ぐ予定であったが、このまま横川駅前まで乗って行けば、渋滞遅れが無ければ1時間近く早く帰宅できそうなので横川まで1時間乗車する。広島駅で15分の乗り継ぎ時間を利用して今日も駅ビル地下に駆け込む。
 今日の歩行距離:16.0km。調査した橋の数:13。
累計歩行距離:494.4km。累計調査橋数:699。
使用した1/25,000地形図:「飯室」(広島9号-2)、「坪野」(広島9号-4)、「加計」(広島9号-3)