広島―1.芦田川(その8) 平成23年7月28日(木)晴れ

青春68切符を使用して、庭瀬5時57分発の電車に乗り山陽本線河内駅に7時41分に着く。駅前始発の芸陽バス甲山行きを待つ。この芸陽バスは、三原から広島までの広島県中部の南側に路線を有するバス会社で、初めて乗る。甲山には尾道、三原、河内と三方向からバスが有るが、今日は帰りのバスを待合室のある甲山とし、いつもとは逆の川下りとした。駅前に旧河内町のマンホールがあったので写真に撮る。8時03分発に発車し、次回の遡行を予定している沼田(ぬた)川の支流の椋梨川に沿って国道432号を遡る。

image1  01.芸陽バス甲山行き(河内駅)

image2 02.旧:河内町マンホール
甲山から15km程度上流の国道が芦田川と交差するバス停(浄水場)で下車する。このバスもパスピーが使用できる。降り立った所は元大和町(現、三原市)でバス停の際にマンホールがあった。
image3  03.旧:大和町マンホール
芦田川の最上流部に来ているが周りは低い山に囲まれた田と民家がある平地で、上流の雰囲気ではない。緩やかな流れの土手の上を右に左にジグザグに下る。平地は狭まったり、広がったりを繰り返し、景色に変化は無い。民家の屋根瓦は、下流部では黒色と灰色が多かったが、この辺りでは明茶色の石州瓦が主流である。島根県が近いことがこれで分かる。田の稲は早くも実がなりだし、早期の田植えをする高地ならではである。

image4  04.石州瓦の屋根が主流

image5 05.稲には早くも実が
谷間が一段と狭まった所から旧世羅町に入る。土手沿いの夏の花ムクゲの木の下にマリヤ像と見まがう観音様がおわす。仏教とカトリックが合体したような雰囲気の像である。江戸時代の隠れキリシタンを彷彿させるが、こういうのは車では発見できないであろう。
image6  06.マリヤ像のような観音様
遠くからエンジン音が聞こえ、近づいてみるとラジコン操作のヘリコプターで農薬の散布中である。小型ヘリが前後左右に自由に動きまわり、感心して見とれて小休止。夏の草むしりと農薬散布は重労働で有ったが便利な時代になったものである。
image7 07.ラジコンヘリで農薬散布中
多くの橋があり、予想以上に時間がかかる。甲山に近づくと町の北側に鎮座する新山(標高635m)が特異な姿で現れる。この山の姿(兜)から町名が出たと思われる特徴のある山容である。
image8 08.特異な姿の新山(H=635m)
街中に入ると更に多くの橋があり、橋の調査に時間が掛かり、炎暑のなか急いで歩いたが12時40分発の三原行きバスに3分の差で間に合わず逃す。こういうこともあるので今日は待合室のある甲山から帰る工程にしていて、ある意味想定の範囲内である。冷房のある部屋の隣に地元の画家の作品のミニ展示場があり、応接セットもあるので、VIP気分で1時間半バスを待つ。おにぎりを食べ、うたた寝をし、酷暑に火照った体も収まり、14時30分発の尾道行きに乗車する。高度に土地が利用されているので15mの歩きで40も橋があり、橋の密度が高い。
今日の歩行距離:15.3km。調査した橋の数:40。
累計歩行距離:216.1km。累計調査橋数:240。
使用した1/25,000地形図:「本郷」(岡山及丸亀13号-3)、「甲山」(岡山及丸亀13号-4)、「下徳良」(広島1号-2)
広島―1.芦田川(その9) 平成23年8月 1日(月)曇り
朝5時25分発の初電に乗り河内駅に向かう。こんなに早い電車で遡行に出かけるのは初めてである。糸崎で乗り継ぎ河内駅に7時05分に到着。7時15分発の芸陽バス甲山行きに乗り、7時40分「大和支所」バス停で下車。前日予約をしておいた近くの神田タクシーのブザーを鳴らす。同年輩の店主が下着姿で現れ、車の中のズボンをはき「お待たせしました」。普通の民家の狭い車庫の1台だけの車に乗り込み、芦田川源流碑に向かう。
インターネットで源流碑の存在を知っていたが場所が分からないので、前日電話して碑の有無と場所を聞き、ご存知のようなので予約しておいたものである。こんなに早く町外の人を載せるのは珍しいようで、いろいろと町の話題を話してくれる。「ここには世界一の鯉の養殖場があるよ」。地図で車の走行路を確認しながら、本当の本流の源流に向かっている。途中から源流の案内板が道の曲がり角などにあり、これなら歩いてきても大丈夫であったが、ここまで案内板が有るとは予測不能であった。源流碑の入口で車を降り、100mほど林の中を歩くと碑があった。意外と小さいがまともな碑は香川の土器川以来で、岡山の三大河川には無かった。記念写真を撮り、来た道を下る。

image9 01.芦田川源流碑にて

image10 02.源流説明板
源流付近の多くの田に水を引き込み錦鯉の養殖場を造成している。段々状の多くの広い水面が公園のように整備され、これが世界一のようだ。地形図で予め調べていた時はため池にしては連続した田のようなので、何かなと思っていたが源流部の養殖場とは思ってもいなかった。

image11 03.源流傍の錦鯉養殖場1.

image12 04.源流傍の錦鯉養殖場2.
源流部らしくない緩い勾配の川と田と人家が続く。上って来るときに見つけた屋根が正三角形のお寺に近づく。独特の形の屋根がわらぶきで、この形は初めてである。
image13  05.屋根が正三角形のお寺
3kmほど下ってくると「芦田川源流の里」の案内図がある。源流を売りにしているようで、近くにはサイクリングセンターがある。源流に一般の人が自転車で訪れるのが出来る所は珍しい。
image14 06.芦田川源流の里案内図
正真正銘の大きな灌漑用ため池の湖畔を歩き、堰堤の下に降りれば30m以上の高さで盛土が聳えている。土手の上を30分ほど歩き、先日降り立った「浄水場」バス停に着く。10分ほどで河内行きのバスが現れ、全て計画通り進み遡行を完了する。この川は緩やかで平地が多いこともあり145橋もあり密度が濃い。
帰路に三原駅で下車し、久しぶりに駅付近を歩く。小早川隆景が築城した三原城の石垣の一部が駅構内と街中にある。この城の完成を祝して始まった「やっさ踊り」をデザインしたのが三原市のマンホールで、やっさ、やっさと掛け声をかけて踊る踊りは阿波踊りとリズムは違うが良く似ている。蜂須賀と小早川は親戚ではなかったはずだが。
image15 07.三原市マンホール(やっさ踊り)
今日の歩行距離:8.0km。調査した橋の数:13。
累計歩行距離:224.1km。累計調査橋数:253。
使用した1/25,000地形図:「下徳良」(広島1号-2)