愛媛13-1.広見川(その2平成26年3月17日(月)晴れ

昨夜は滋賀県出身の旅館の女御主人と話が弾み、橋のこと地元のことなどを話しあった。夏場は川で獲れる魚料理でお客が多いが、冬場は客が少なくお一人できりもりされている。一つ違いの姉さんと別れを惜しみつつ二日目の遡行に出かける。昨日渡った橋の上から東方を見れば、沸き立つ朝霧が朝陽を浴びている。今日も上々の天気である。コンビニで昼のお握りなどを調達し北に向かう。

image1 01.川霧が沸き立つ広見川の朝

川から少し離れた県道280号を歩くが、こちらも手元の地図とは異なる新しい道となっている。小高い山の峠を越えて行く。朝一番から峠越えとは!峠を越え川に近づいてくると、今越えて来た山の裾野から遥か南に聳える山群が見えてくる。宇和島の東に連なる1,000m以上の山群である。春は湿気があるため山の稜線がぼやけている。あの山群の奥にボスである鬼が城山(H=1,151m)が有る。高さでは周りの子分の方が高いが、その位置と名前が親分を現している。古来この地域一帯は鬼北地方と言われ、鬼が城の北の地方と言う意味である。宇和島藩の貴重な穀倉地帯である。

image2 02.宇和島の東に連なる山群が現れる

低い山々に囲まれ大きく屈曲した川が再び盆地に顔を出すと松野町から鬼北町(旧:広見町)に入る。南に広がる田圃の彼方に山群が大きく広がって見える。山群の中央が高さでは一の子分である高月山(H=1,228m)で、親分に負けないくらい周りに子分を引き連れている。窮屈な海岸沿いの宇和島の奥に広々とした高原状の平地が有るのが不思議である。

image3  03.松野町から鬼北町(旧:広見町)に入る

image4 04.山群の真ん中が高月山(H=1,228m)

この少し西側で二次支流である三間川が合流するのであるが県道からは見えない。やがて西方から国道320号が広見川を渡ってやって来る。これからはこの国道320号がお友達である。国道の橋を調べ次の橋へ向かう途中の神社のトイレで用を足し、次の興野々橋を見るとなんと大正12年架設の橋である。桁の鉄筋がもろ見えで至る所満身創痍の状態である。よく頑張ったな!

image5 05.満身創痍の大正12年生まれの古参兵

この国道も300番台国道ではあるが歩道完備の2車線国道である。愛媛県は歩行者に優しい道を用意してくれている。車を心配することなく安心して歩ける。国道脇の民家は何故か何れも石垣で高くし、花が咲いている。丁度目の高さに花が咲き乱れ無機質な橋とは対照的な姿を見せてくれる。市が成地区に架かる古い橋もそろそろ架け換え時であるが、こちらは昭和30年組で大正組には負ける。

image6  06.春がやって来た

image7 07.目の高さに水仙が並ぶ

川は北からの流れと東からの流れを繰り返しており、北北東の方向に進む。小倉地区の集落にやって来るといきなり警報音が有線放送から流れ、すわー地震かと身構えると「山火事発生、山火事発生・・・」と大音響が響く。少し経ち北の方向からパトカーが疾走してくる。遅れて地元の駐在の軽パトがやってくる。肝心の消防車はやって来ない。やがて件の放送が「山火事は鎮火しました」と言う。

轟(とどろ)地区にやって来ると橋際に甌穴群の解説板がある。橋の上から下流の川を見るがそれらしき穴は見つけられない。比較的穏やかな流れの川が狭まり、岩が迫り川音が大きい瀬ではよく轟と言う地名がつけられる。東京の轟が有名である。

image8 08.轟の甌穴群の解説板

下広見で国道を離れ対岸の道を進む。この地区を広見と言い、これが川名、町名の基になった所と推察する。集落は東側の山の裾野に南北に細長く続き、川の増水の影響を受けない高さにある。集落が尽きた所で再び国道に戻る。

三嶋橋がよくない状況と調べていると、直ぐ下流側では新橋の橋脚が完成し、上部工の準備作業をやっている。1年後には桁が架かっているだろう。

image9 09.現橋の直ぐ下流で新橋が建設中

北の流れから東からの流れが続き再び轟橋が現れる。一つの町内に同名の橋が有るのは珍しく、多分町村合併以前に造られた橋なのであろう。旧広見村と旧川上村の違いなのであろう。

image10 10.同名の橋がここにも有る

国道脇に菜の花が一面に咲いている地区で面白い警告文を見つける。「菜の花を引くな!」。抜くなでは無く引くなと言うのだそうだ。やがて今宵の宿ある地区に入り、国道から旧道沿いにある民宿に向かう。

image11 11.抜くな!ではなく、引くな!だ

 

本日の歩行距離:21.5km。調査した橋の数:20。

総歩行距離:6,956.2km。総調査橋数:10,635。

使用した1/25,000地形図:「松丸」(宇和島5号-2)、「近永」(宇和島5号-1)、「下鍵山」(宇和島1号-3)

 

 

愛媛13-1.広見川(その3平成26年3月18日(火)雨一時曇り

昨夜は、土曜日夕方放映のテレビ番組「人生の楽園」そのもののリタイア後お二人が始めたログハウスの民宿に1泊。こだわりのログハウス、薪ストーブ、農園栽培の野菜、裏の谷川を利用したヒメマス飼育と料理提供と、毎週見ている番組と全く同じ筋書である。珍しくBSが映るので毎朝見ている「ちりとてちん」と「ごちそうさん」を見て出発する。二つとも舞台が大阪の北地域なので懐かしい。3日前の天気予報では曇りであったが、春の天気は早く今朝は小雨模様である。

image12 01.このログハウスに1泊

右岸側の旧道を東に向かいやがて対岸の国道がこちらに合流する大滝橋を診ることから始める。橋の直ぐ上流側は橋名が示すように川が滝状に流れている。

image13 02.今日も水量豊富に流れる

川は東から北からの流れとなり、やがて旧:広見町から旧:日吉村に入る。平成の大合併で両者は鬼北町となった。愛南町は字面も響きも良いが鬼北は字面も響きもよろしく無い。

日吉村に入って最初の橋の親柱には「義農 武左衛門翁」なる肖像が嵌められている。江戸時代の農民一揆や訴えで罰せられた義賊の記念碑や慰霊碑は数多く見てきたが、橋の親柱に肖像画が掲げられているのは初めてである。直ぐ近くには碑もあるのだろう。

image14 03.農民義賊の親柱は初めて

日吉村最初の集落に入ると国道にあのマンホールが有る!久しぶりにまともなマンホールに出会う。図柄は広見川と日吉村の産物のテンコ盛りである。川の綺麗さは上流部での公共下水道のお蔭と思っている。人と飼育している牛、鶏、の生活用水の処理と田圃の水張の仕方によって川の様子は違ってくる。

image15 04.旧日吉村は産物のテンコ盛りヤ

やがて広見川と支流である日向谷川が合流する上大野に到着し、川はここで東からの流れとなり、狭い渓谷となる。国道を離れ県道285号に向かう。集落の中にミニお堂が道の上に建ち、ミニ四国日吉霊場、結願所なる表記が有る。真っ先に結願所に来てしまったようだ。

image16 05.日吉のミニ四国の結願所

小雨が降り続き、狭くなった川、道路をとぼとぼと歩いて行くのは気が滅入りパッとしない。この狭くなった渓谷の奥の町営バスの終点である屋敷まで歩く予定であったが、小雨が降り続き、景色も川の様子も特段の特徴が無いので限の良い川口地区で折り返すことにする。傘をさしての地図とノートを広げての記入はやりたくない。8合目で折り返すことにする。

image17 06.小雨に煙る川口で打ち止めとする

上大野まで戻り宇和島行きバスを待つ。10分ほどでバスがやって来て乗車。2日歩いた国道をバスはスイスイと進み、忙しくバス停案内が途切れなく放送される。近永地区でバスは町中の狭い路に入り、これを越えると完全2車線の国道を西に進む。大分水嶺を越え、多くのトンネルを潜りあっと言う間に宇和島駅前に到着する。駅横の蒲鉾屋で名物のじゃこ天を土産に買い駅に向かう。

本日の歩行距離:8.0km。調査した橋の数:8。

総歩行距離:6,964.2km。総調査橋数:10,643。

使用した1/25,000地形図:「下鍵山」(宇和島1号-3)