高知-2.四万十川(その10)前半  平成25年12月4日(水)晴れ

年の暮れに土佐久礼駅に降り立つ。この駅もお初の下車駅である。駅舎はJR四国独特の小さな三角屋根をちょこんと載せた屋根の前の赤い鳥居のような門が目立つ。

image1 01.土佐久礼駅は赤色が際立つ

前回の折返し点の大野見行きのバスまで小1時間有るので駅近くの久礼大正町市場に向かう。テレビで何度か見たことが有り、食いしん坊なので雰囲気を食べに行く。途中の狭い道に多くのホーロ仕上げのプレートを張り付けた古い店に出会う。昭和20年台の子供時代に戻った感覚になる。懐かしい!

image2 02.子供時代にタイムスリップ

直ぐに市場が現れる。コレコレ、瞼に残っていたそのままの姿の入口が出迎えてくれる。これぞ日本のアーケード街である。ミラノには負けんきに。市場に入ると思っていた以上に短く、半分ほどの店は閉まっている。数軒の魚屋には獲れたての魚が無造作に並んでいる。大好物の大きな鰹も居る居る。それにしても1万円とは超高級魚になってしまったものだ。12月は鰹も南に下がってしまったのだろう。反対側の入口の際にはこの市場の馴れ初めが書かれた高札が建っている。大火事の後大正天皇から復興金が届けられたことから市場の名前が付いたとある。四万十川の中流には土佐大正駅もあり、土佐は大正の名があちこちに残っている。

image3 03.久礼大正町市場が誘う

image4 04.大きな鰹は1万円もするきに

image5 05.市場名は大正天皇の大火事の見舞いを受けたことから

駅前に戻り停車している大野見方面行きの高南観光バスに乗り込む。発車時間になって運転手がどこからともなく現れ発車。今日は9名もの客が有り、先日の窪川行きのバスとは大違いである。旧大野見村は久礼の有る中土佐町と合併したが、バスの乗客数を見れば窪川よりも久礼の方が正解であったようだ。

街中を過ぎればバスは狭い1車線の道に入り、急坂をぐんぐん登って行く。標高350mの峠まで登り、今度は緩やかな道を290mの大野見まで下っていく。所要時間は30分、運賃は620円。先日の窪川なら時間は48分、運賃は1,080円。勝負あった!

旧役場前で降り川沿いの県道19号を北に向かう。距離的には上流部であるが、雰囲気は未だ中流部の緩やかな川には多くの色とりどりの鯉が泳いでいる。すれ違った婆さんが「鯉が居るでヨ」。やがて久万秋の沈下橋が見えてくる。この橋も先ほどのバスが通る橋である。橋際の状況からこの橋が沈下するのは少ないようだ。

image6 06.多くの鯉が泳ぐ四万十川

image7 07.久万秋の沈下橋

久万秋の集落を進むと、冬支度の薪割をしておられる。大きなマサカリを使わず座って砕石の要領で木を割っている。これなら重労働にはならず楽ちん楽ちんである。県道脇の無人販売小屋には綺麗に皮が剥かれた里芋が1袋100円で売っている。今日は1泊2日の歩きなのでパスして行く。地名と今の状況が見事に合致している。

image8 08.マサカリを使わずこれなら楽ちん

image9 09.皮まで剥いてくれた里芋が100円!

大きな建物が見え近づくと四万十の水の製造(?)工場である。川の直ぐ際の工場なので今が盛りの産地偽装はありましぇん。反対側には湧水の飲み場も有る。苔むした岩場と上品な碑がなんとも好ましい。中国なら土派手な碑が建つことだろう。

image10 10.ここの水は産地偽装は無し

image11 11.久万秋の湧水は品格が有る

更に進むと大きな石に深く彫り込まれた観音像が建っている。横には「ぼけ封じ観音」と書かれている。今しばらくは大丈夫なのでお祈りをせずに通過する。その時が来たら再度参ります。

image12 12.もうしばらくはご縁が有りません

谷間が少しずつ狭まり県道19号も完全2車線から1車線道路が混在するようになる。萩中集落の手前で超大型トラッククレーンを使用した桁架設工事に出会う。懐かしか!県道沿いに集落が並んでいて2車線拡幅が困難なので手前からバイパス化しているようだ。集落の真ん中にこれぞ究極と言ってよいぐらい小さな郵便局が有る。中を覗けば1坪も無いミニミニ局である。

image13 01.県道19号バイパスの橋桁架設中

image14 02.1坪も無い簡易郵便局だ

局の前の小学校の片隅にトイレが有ったので利用させてもらう。なんと最新のウオシュレットトイレである。こんな土佐の奥にも有るのだ。日本は凄い。これは世界に誇れる文化である。

北からの流れが西からの流れとなり、手元の昭和56年制作の地形図は古くなり、改良された県道が載っていない。惣崎地区の橋の袂に高札が掲げられ「この河を汚す者打ち首獄門に処す」とある。各々方くれぐれも用心召されよ。

image15 03.四万十川を汚す者は打ち首獄門ぜよ

次の高樋地区に来ると四万十本流最後の沈下橋が姿を現す。河口から160km以上も遡ってきても沈下橋が有るのだ。常時と増水時の差が極端な土佐、阿波ならではの橋である。

image16 04.高樋橋は本流最後の沈下橋

image17 05.これでしばし沈下橋ともお別れ

西からの流れが再び北に変わった所が旧大野見村と旧東津野村(現:津野町)の村境である。直ぐに東津野村地区の案内板が建っている。四万十川は絵地図の右上から下に流れ、国道197号が村の真ん中を横に走っている。旧中村市から歩き出して最後の自治体である。

image18 07.東津野村地区の案内板

ミニ峠にやって来ると山波の奥に不入山(いらずやま)(H=1,336m)がわずかに顔を出している。この山の東側山腹が源流点である。

桑が市集落に来ると眼前に地形図には無い真新しいトンネルが口を開けて当方を招いている。地形図では、県道はこの先西側の対岸に渡り曲がりくねった道となっているがバイパスはトンネルなどでショートカットしているようだ。トンネルに引き付けられ新道を進む。1kmほど新道を進むと新しい橋を渡り旧道に繋がる。岩土地区の橋に向かって脇道を下って行くと道端で放し飼いの鶏が虫を探している。首を振り振り元気に動き回っている。

image19 08.山波の奥に不入山が顔を出している

image20 09.放し飼いの鶏が元気だ

県道に戻り進むと、すっかり葉が落ちた銀杏の樹の向こうに雨戸に囲まれた神社が落ち葉に囲まれて鎮座している。大雨に備え普段は鎧ならぬ雨戸に覆われているのだ。この姿も良いものだ。

image21 10.落ち葉の奥に完全武装の神社が

image22 11.大雨に備えて建物を守る

上流部らしくなった渓谷の少し高い所を北に進む県道からは夕陽を浴びた不入山の一群が輝いている。

image23 12.夕陽に輝く不入山の一群

やがて国道197号に達し、国道を東に向かい舟戸集落に向かう。この地区には宿泊施設がないのでネットで調べた村の西の外れの民宿を予約した。国道197号を須崎から梼原に向かうバスまで1時間以上あるので、バス停横のミニコンビニ前のベンチでバスを待つ。陽が暮れると寒さが身に染みてくる。すっかり冷え切ったころに大型バスがやって来て乗車。20分ほど乗り高野バス停で降り、直ぐの民宿に向かう。遡行も大変だね。

本日の歩行距離:15.2km。調査した橋の数:19。

総歩行距離:6,545.5km。総調査橋数:10,279。

使用した1/25,000地形図:「萩中」(高知16号-2)、「新田」(高知16号-4)