高知-2.四万十川(その3) 平成25年6月30日(日)雨

JR四国の3日間グリーン車乗り放題の「バースデイ切符」の利用可能日が押し迫り、3日連続非雨天日を待っていたが締切が近づいたので30日ギリギリに出発する。坂出駅で購入し予讃線特急に乗り込む。宇多津、松山、宇和島と乗り継ぎ、前回の折返し点の予土線江川崎駅に着いたのは12時40分。自宅を出てから6時間半の長旅である。土讃線経由では窪川での接続が悪く、14時過ぎの到着となる。新幹線に乗れば盛岡あたりまで行ける所要時間である。

2日前の天気予報では3日間は一応曇りであったが小雨模様で傘をさしての遡行となる。駅から広見川と本流との合流点に向かい、三日目の遡行を開始する。

image1 01.江川崎から遡行開始

河口から広見川が合流するここまでを下流、ここから窪川までを中流と勝手に区分分けしている。下流域で多く見られた中洲が中流域からはほぼなくなり、川に岩が顔を出し瀬や渕が増える。南から南南東に流れていた下流から中流では東から西への流れとなり、極端な蛇行の繰り返しが続く。蛇でもこれだけの曲がりの連続は無理な屈曲の連続である。地図などで調べると、窪川から江川崎まで直線距離が33kmに対し川はその2.5倍の75kmもある。予土線は極端な屈曲をトンネルと橋で避け、この区間の距離は47kmである。国道も今は鉄道とほぼ同じであるが、かつては川といつまでも付き合っていたので70kmほど有った。

最初の橋は沈下橋の「長生橋」で雨に煙っている。直ぐに「半家」駅が現れる。難読駅名の一つで「はげ」と読む。ここからが大屈曲部の始まりである。

image2  02.七番目の沈下橋「長生沈下橋」

image3 03.この駅なんてーのー?

直ぐに鉄道は川を渡り対岸の屈曲部の根元をトンネルで抜けて行く。永久橋(?)の半家大橋と直ぐ上流に沈下橋の中半家橋が現れる。大橋は平成9年に完成したようで、沈下橋はその役目を終え、車は通れず、橋名も書かれていない。沈下橋だけの時代に洪水時に急病人が出たり、長期の通行止めで通学も出来ないことが生じ、永久橋の建設が始まったのであろう。他の永久橋で遠回りながらなんとか川を越えられる地域の沈下橋は未だ健在である。今日は水量もやや多く沈下橋の上から川面を見ると迫力がある。

image4  04.半家大橋から中半家沈下橋を見る

image5 05.中半家沈下橋から半家大橋を見る

image6  06.迫力満点の増水した川

image7 07.新旧の橋が並ぶ

最初のペニス状に曲がる川の根元の国道の立川トンネルを潜り、直ぐに旧道を下流側に向かうと九番目の沈下橋「半家沈下橋」となる。禿げ禿げがひつこく続く。

image8 08.九番目の半家沈下橋

雨は駅を出た時には時間雨量2ミリ程度であったが5ミリと徐々に強まり、10ミリ越えの雨となる。国道が右岸から左岸に渡る「半家橋」を調べるため旧道に入った所の家の軒先にブルーシートが架かっていたので暫し雨宿りをする。少し弱まったところで再開し、橋を渡り1km余りの長さの四万十トンネルに入る。轟音のするトンネルであるが、歩道も有り傘を差さなくても良いので助かる。

image9  09.旧道脇のブルーシートの下で雨宿り

image10 10.半家橋から半家沈下橋を見る

トンネルを出ると直ぐにまた川を渡る川平橋となる。橋を渡り下流に有る予土線の橋を診るため旧道を下る。見終わってから来た道を戻り川平橋をもう一度渡る。橋はトラス橋で普通のトラス橋よりも桁高を低くし、その分桁が太くなり力強い感じの橋になっている。濃緑色の力強い橋が川に良く似合っている。左岸側から橋台を見れば、普通はコンクリートの塊にする橋台もトラス桁に合わせた形状にし、景観を重視した姿勢が読み取れる。

image11  11.川平橋は力強いデザインのトラス橋

image12 12.橋台も桁に合わせたデザイン

左岸側の旧道を1kmほど進めば今宵の宿に到着する。宿の入口には週に1日だけ通るバスの停留所も有る、その名は「温泉前」。

image13  13.今宵の宿は温泉宿

image14 14.宿の前のバス停名は温泉前

 

本日の歩行距離:14.0km。調査した橋の数:8。

総歩行距離:6,109km。総調査橋数:9,694。

使用した1/25,000地形図:「江川崎」(宇和島1号-4)