愛媛1-2-1. 中山川  平成25年3月6日(水)快晴

 

今日もしおかぜ1号に乗り松山で乗り換え内子駅に着く。先日自転車で遡行した小田川の支流である中山川が内子市街地の東で合流している。この川は今は伊予市になった旧中山町を南西方向に流れる、数多く有る肱川の二次支流である。中山川は昨秋歩いた川と同じ名前の川で、先日の小田川も岡山には高梁川の支流と児島にも同名の川が流れている。中山川の川沿いに国道56号が走り、高規格の予讃線も谷沿いに通過している。

自転車利用も考えたが、国管理の国道にはまともな歩道が無く交通量も多く危険なので歩くことにする。今日は暑くなるので、今宵の宿に寄り冬のジャケットを脱いで預けておく。先ずは街中の重要伝統的建造物群保存地区を歩いて行く。木蝋で財を成した大きな家を中心に古い町並みが続いている。大洲の保存地区よりも整然と綺麗に保存された白壁と浅黄色壁の家が並んでいる。古い薬屋の店内は当時の様子が良く分かる。

 

 01.内子重要伝統的建物群保存地区

 02.薬屋の店内はリアル

 

和蝋燭の元になる木蝋で財をなした芳我家の大きく立派な家が次々に現れる。紙と蝋燭は生活の必需品で、これらの生産、流通に係わった商人は大いに儲けたようである。先ずは下芳我邸が現れ、次ぐに本家の本芳我邸が、更に上芳我邸と芳我づくしである。上芳我邸は木蝋資料館にもなっている。

 

 03.下芳我邸

 04.本芳我邸

 05.上芳我邸は木蝋資料館

 

街並保存地区が尽きた市街地の北で国道56号に入り遡行を開始する。国道の距離表示には内子座が挿入され、まともな歩道の無い道のサービスである。歩道は60cm程度の狭い物で側溝の蓋が延々と続き歩きづらい。自転車にしなくて良かった。川の右岸沿いに国道が、右岸の山裾を予讃線がトンネルを連続させ、左岸の中腹には松山道が谷間を通過して行く。ここは交通の大動脈地帯である。

内子町の北の端の幟立地区に来ると北から支流の藤の郷川が合流し、松山道はこちらに方向を変えて国道と川の上を横断して行く。これから先は谷間が狭くなり路線選定が不利なので別の谷間に逃げて行く。

国道の東側の狭い歩道を歩いているといきなり警察官の像が上からこちらを見下ろしているのに出くわしビックリする。高い台座の上にポリスボックスが設けられ警官の像が国道を見下ろしている。反対側から記念に写真を撮っておく。

 

 

 

 06.国道56号の距離表示には内子座が

 07.天空高く松山道が横断

 08.高い所から見下ろす警察官

 

中山町との境にある境地区にくると屋根付き木橋風の橋が現れる。河原に降りて橋桁を見るとPC橋で、木橋風にカモフラージュしている。対岸に渡ると先に向かう道は無く、川沿いに下流に向かって細い歩道がある。何のために架設した橋なのか理解不能である。

 

 09.なぜかこんな所に屋根付き橋が

 10.橋の先は行き止まり

 

中山町に入ると対岸の山の斜面が黄色に染まっている。今が盛りの菜の花の群落が出迎えてくれる。春が来たのだ!

 

 11.斜面に春の色が広がる

 

更に進むと小山の上に町の施設が立ち並び、予讃線が左岸側に渡る橋の下に施設に向かう道と橋が有る。橋の名前は「遊栗橋」。伊予中山は栗の名産地で、橋の袂には俳人が栗を詠んだ句碑が建っている。足元の中山町のマンホールの蓋の絵柄も栗のイガのようだ。

 

 12.栗の町中山には栗を詠みこんだ句碑が

 13.旧:中山町は栗のイガがデザイン

 

狭い谷間の国道沿いの中山地区を通過し、中山駅の先の橋を診てここを終わりにして駅に戻る。列車まで時間が有るので隣のミニ道の駅に寄り、名産の栗羊羹を土産に買って下り列車に乗り込む。二駅先の内子まで普通列車は100キロのフル運転で走る。この区間以外ではフル走行はできんぞな。再度の内子駅から街中の宿に向かう。松山観光切符は松山~内子間は乗り放題なので、これをフルに活用したことになる。

本日の歩行距離:18.1km。調査した橋の数:34。

総歩行距離:5,707.6km。総調査橋数:9,184。

使用した1/25,000地形図:「内子」(松山7号-2)、「中山」(松山7号-1)