徳島-4. 那賀川(その2)平成25年11月21日(木)晴れ時々曇り

 

朝5時半10日ぶりの遡行に出かける。18,19の両日、所属しているNPO法人の活動の一貫として、大分市と杵築市との橋梁長寿命化に関する相談会に会員の大学教授、コンサルタントの人と3人で大分に出かけた。遡行と同時に始めた橋の状況調査の経験が役立ったようだ。久しぶりの仕事(?)で技術営業もしておく。

先日と全く同じ列車を乗り継ぎ阿南に向かう。途中の立江駅は19番札所「立江寺」の近くにある駅で、札所に最も近い駅である。

 01.19番札所立江寺は立江駅の近く

 

阿南駅から先日の折返し点の中央橋まで向かう阿南バスまで時間が有るので、駅近くの喫茶店のモーニングで時を過ごす。バス停前の旅行エージェンシーの入口に幟が立ててある。阿南市が力を入れている野球の町のPRである。市の野球場を他地域の草野球の試合に開放し、市の宿泊施設の利用を促進する事業である。

 02.阿南市は草野球を後押し

10時前にやって来たバスに乗り、10時20分過ぎ「中央橋南」バス停で下車。一車線の道を下り先日見た潜水橋を右岸から左岸に渡る。渡り終えた所から橋を見ると、形良い岩山と青緑色の水面を背景に橋が際立つ。潜水橋は四万十川が有名であるがここも負けとらんゾ。

 03.これぞ究極の潜水橋だ

 

左岸沿いの県道19号を進むと、川は大きくゆったりと蛇行して流れ大河の趣がある。常時は水量は少ないが大雨時での増水が半端ではないので川の断面は大きく、吉野川、四万十川と変わらない大きさである。

 04.ゆったりと流れる風格のある川

 

やがて「十八女」地区に入ると国から県に管理が変わる地点となる。これで「さかり」と読むようで、女盛りのつもりであろうが別の盛りが付く意味にも取れるなんとも言いようのない読み方である。直ぐ現れる橋の名前にも付けられている。橋の袂にスペースが取れなかった竣工記念碑が橋の手前50mほどの県道脇に建っている。先日の加茂谷橋と同様に建設の経緯と橋の緒元が彫り込まれている。大河の渡船と潜水橋では往来が出来ないことも多く橋は地域住民の悲願であったのが良く分かる。

 

 05.国から県に管理が変わる

 06.十八女を「さかり」と読むとは・・

 07.この橋にも竣工記念碑が有った

 

県道は2車線区間と極端に狭くなる区間が混在するが、交通量が少ないのでこれで良いのだ。朝の冷え込みを考慮して準冬身支度でやって来たが、左岸側は川を南にして歩くので陽が当たり暑いくらいである。大きくS字カーブを描く川を程よい距離で見ながら南西方向に進む。曲がり角の川の真ん中に形の良い岩が現れ絵になるのでカシャ。

 08.川の真ん中に形良い岩が鎮座

 

大井地区にやって来ると20番札所の鶴林寺から21番札所の太龍寺に向かう遍路道が合流する。この20番と21番は恐ろしい遍路ころがしと言われる長い山道が続く札所である。直ぐに大きな接待所が川沿いに建ち、屋根下には多くのベンチと椅子が設けられ中央には蜜柑も置いてある。当方も準お遍路さんなので有り難く蜜柑を頂戴する。愛媛の川を歩いていた春には多くの歩きお遍路さんを見かけたが、11月下旬ではまったく見かけず今は車遍路となるのだろう。札所めぐりの旅は本来修行も兼ねていたと思っているので、車を利用してさっさと多くの札所を廻り朱印状を集めるのは邪道と考えている。

 

 09.右20番鶴林寺、左21番太龍寺

 10.接待所には蜜柑が振る舞われる

 

接待所の横には遍路道マップがあるが、どれだけの人がここから標高500m以上のお寺まで歩いて登って行くのだろう。川沿いに10kmほど進めば21番札所に行けるロープウエイが架かり簡単に太龍寺に行ける。かつてロープウエイが無い時代は、車の通れる道は山の途中迄で後は歩きを余儀なくされていたようだ。

 11.川近くの遍路マップ

程よい広さの渓谷は1~2キロおきに小さな集落が現れ、直ぐに川と道だけになる。それにしても今の流れはか細いが川の断面は大きい。全国有数の多雨地帯を流れる川は大雨時の増水は半端ではないのだろう。

 01.程よい渓谷が続く

 

渓谷が続き人口も少ないせいもあるが橋の間隔は広く、5kmほどの間隔となりなかなか橋が現れないが細野地区に入り出現する。ランガーアーチ橋は耐候性鋼材を使用した無塗装橋である。橋を架設する前に安定さびを出し、架設後は錆の進行が無い前提の無塗装橋であるが、ほんまかいなと思っている。

 02.細野橋は耐候性鋼材を使用した橋

 

南からの流れとなった渓谷を進むと阿南市から那賀町に入る。那賀町は平成の大合併で3町2村が一緒になった広―い町である。先ずは旧鷲敷町に入る。「わちきの名はわじきと読むのでありんす」。

 03.阿南市から那賀町(旧鷲敷町)に入る

 

一層狭まった渓谷を過ぎると谷間から広い平地となる。川はここで大きく屈曲し西からの流れに変わる。変曲点の左岸側が大きく川に迫り出した所に道の駅「鷲の里」が有る。太龍寺に向かうロープウエイもこの道の駅に有る。どう見ても道の駅と言うよりはロープウエイ乗り場と土産物売り場と食堂の雰囲気である。ここで遅い昼を摂るため館内に入る。館内にはダジャレづくしの案内地図がある。ここにも居るのだご同輩が。

 

 04.道の駅「鷲の里」は太龍寺へのロープウエイ乗り場

 05.ダジャレづくしの案内地図

 

高松駅で買ったおにぎり弁当を食べ直ぐに出発する。ロープウエイに乗り風景を見下ろしたいが、往復2,400円では無理無理なので諦める。数人を載せたスイス製のゴンドラが山に向かって行く。このゴンドラは那賀川の上を横断して山に登って行く。今日は晴天で剣山も橘湾も良く見えるだろう。

 

 06.道の駅からロープウエイが山に向かう

 07.那賀川を越えてロープウエイは寺へ

 

大きく西に方向を変えた田野橋を渡り右岸の和食集落に向かう。橋から対岸の街並みを見ると、30mはあろう高いコンクリート製の堤防が聳えている。まるで三陸の防波堤のような高さである。なにせ上流は日本記録の1日1,300ミリを超える雨量を記録した川である、これぐらいの高さがないと持ちまへん。大合併した町の役場もこの和食地区にある。

橋を渡り終わった所に鬱蒼と繁った森に囲まれた神社が有る。札所は山の上にあるが神社は人里にあるのだ。

 

 08.津波防波堤のような高さ

 09.鎮守の森の中に社殿がある

 

広い道を南に向かうと国道195号に出会う。22番「平等寺」は交差点を左に向かうが、交差点の東向こうにコンビニRが有るでない!また現れた。当方は右に曲がり西に向かう。家並みの続く国道を進めば直ぐに徳島バスのバス停が現れる。那賀警察署前バス停で時刻表を見れば予定していたバスの1本前のバスがやって来る時刻である。本来はこの先1.5キロほど先から乗る予定であったが次のバスは1時間20分後なので設計変更する。直ぐにバスはやって来て乗り込む。貸切状態で国道を東に向かう。途中、「中山中」なる停留所表記が現れたのでカシャ。上から読んでも下から読んでも・・である。阿南駅まで乗る予定であったが阿波橘駅前で下車し駅に向かう。この駅も大きな三角屋根を見せるJR四国らしい駅舎である。予定よりも1時間半早く帰路につくことが出来た。

 

 10.上から読んでも下から読んでも中山

 11.阿波橘駅も三角屋根だ

 

本日の歩行距離:14.0km。調査した橋の数:4。

総歩行距離:6,497.8km。総調査橋数:10,242。

使用した1/25,000地形図:「馬場」(剣山5号-4)、「阿井」(剣山9号-2)