京都1-1. 木津川(その4)平成30年2月14日(水)晴れ

再び南山城に向かう。相生、姫路、大阪、奈良と乗り継ぎ関西本線「加茂」駅に降りたつ。関西アーバンネットワークの東端である。計画では、木津駅からこの駅近くの府道橋まで橋が無いのでこの間を省略して上流に向かう予定であったが、木津からの車窓に工事中の橋が見えまた駅前の旧:加茂町の絵地図を見て変更することにした。聖武天皇の命により一時的に都となった「恭仁京」の史跡が木津川の北西に有るのを知り、さぼるのを止めて木津まで歩くことにした。大和路快速の終点駅として駅はすっかり変わってしまっている。奈良、片町、関西の3線が集まる木津駅の方が快速の起終点としてふさわしいが木津駅構内が狭く折返し運転が難しかったのだろう。足元の旧:加茂町のマンホールの絵柄は4種が挿入されている。町の木の松(黒松)と町の花の紫陽花、名産物の椎茸まで分かるが残りはお茶かな?

01.この絵地図を見て計画を変更する

02.旧:加茂町は町の花、木と名産物

加茂なる地名は日本各地に有り、市では新潟県に、町ではここ京都府(今は木津川町)と岡山県(津山市に)、広島県(福山市に)にあった。さらに駅では美濃加茂、土佐加茂、阿波加茂も有る。国鉄は同じ名前の駅は原則認めていないが、加茂駅は京都(関西本線)と新潟(信越本線)の2駅が同名駅である。同じ例は「福島」(大阪環状線、東北本線)、郡山(関西本線、東北本線)などが在り、何れも明治時代に官鉄では無く私鉄(北越鉄道、日本鉄道、関西鉄道、西成鉄道)が建設した古い歴史を有する駅である。私鉄が官営鉄道に吸収された以降の新線での同一駅は頭に旧国名を付けた。
駅から府道44号を北東に進み今日唯一の橋「恭仁大橋」に向かう。これで「クニ」と読むのだ。途中古く大きなお屋敷と蔵が交差点角に有る。ここの産物から考えるとお茶問屋だろうか?

03.この屋敷はお茶問屋かな

橋の手前の道沿いに先代の橋の親柱が展示されている。橋は死して親柱を残す!その姿、形は墓碑のようにも見える。橋は川を挟んだ加茂町を南北に繋げる唯一の橋で、木津川は橋の密度が低い。橋の歩道から下流側を見れば渇水期にも拘わらず水量豊富に流れている。三重県の鈴鹿山脈の青山高原から流れ、伊賀地方、奈良県北部、京都府南部を流域としている。

04.先代の橋の親柱を保存

05.恭仁大橋から下流側を見る

橋際は両端とも河原の竹林が近接し状況を見るのが難しい。右岸側の土手から下ると左側に恭仁宮跡への小さな道標がガードレールの前後に立っている。何とも慎ましい案内板だ。

06.恭仁宮への道標に沿って

田圃の中の細い道を北西に向かう。直ぐに河岸段丘の緩やかな丘となりゆっくりと進む。東西に走る国道163号の下を潜り直ぐの市道を西に行くと北側に恭仁宮跡に着く。宮跡は山城国分寺跡でもあると解説板で知る。鳥取の因幡国分寺跡に続く国分寺跡である。7重の塔が有った基壇の石郡の間に記念石柱が立っている。

07.恭仁宮跡は山城国分寺跡でもある

08.7重の塔の基壇の石碑

西側に廻ると周りより一段高いエリアが朝堂の中心の太極殿の有った所である。恭仁宮の在ったここは比較的広い河岸段丘の平地で、洪水、山崩れの心配の無い水はけの良い所で川からも物資の搬入が容易である。しかし都にするには面積が狭い。多くの長堂、寺院、居住地が必要な都にするには狭く、一時退避的に造営、遷都したのであろう。
直ぐ南側にはこの都の名前を冠した小学校が有る。木造の堂々とした建物である。都人だぞ。

09.ここは太極殿祉

10.都の名前が付いた恭仁小学校

史跡を後にして畑と茶畑の間を道を進み、渓谷に入ると道は国道のみとなり、歩道の無い大型車が多く通過する国道に入る。北側から山が迫り国道に歩道を作る余裕は無い。川側の路肩幅よりも山側の幅の方が幾分広いので右側の路肩を歩く。大型トラックが来るたびに立ち止まりトラックの走り方を注視し、当方を認知しているかを確認する。通過すると歩く、これを繰り返しながら西に向かう。川は広い石河原を見せ四万十川や仁淀川を思い起こす姿である。

11.四万十川か仁淀川と見まごう姿だ

対岸の丘の上に大きな清掃工場が建設中で完成間近である。3町合併により新しい清掃工場が必要になったのだろう。

12.3町合併の成果がこれだ

狭い渓谷の出口に来ると怖―い道がやっと終わり待望の歩道が現れる。京大の藤井教授が車の浸透が地方を疲弊させているとの本を出したが、当方も長く川沿いの道を歩き公共交通を利用してきたので全く同感である。高齢者の医療費抑制のためにも長距離歩行は必要で、この観点からの歩道設置が必要である。
直ぐに新橋の架かる所に着くが施工業者名は分かるが発注者の分かる看板の類が無い。府道なのか市道なのかだろうが、これだけの橋を建設しているのに広報が無い。前後に道は出来ておらず橋だけがポツンと出来つつある。

13.渓谷が終ってやっと歩道が現る

14.府なのか市なのか分からない新橋が完成間近か

更に西に進み先日歩いた国道との交差点を左折し泉大橋を渡り木津駅に向かう。大阪駅で途中下車し、構内の「いかり」で食料品を買い新快速に乗り込む。今日の釣果は2匹のみであった。

本日の歩行距離:8.5km。調査した橋の数:2。
総歩行距離:9,799.2km。総調査橋数:11,838。
使用した1/25,000地形図:「笠置山」(京都及大阪4号-1)、「田辺」(京都及大阪4号-3)、「奈良」(京都及奈良4号-4)